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その強さには説明がつく

 夜が近づいていた。
 兵士の多くは壁が壊されたと予測される現場へ急行する必要があったけれど、私はまだ医療班から立体機動装置の使用を許可されていない。壁の外へ行くこともミケ分隊長たちと合流することも出来ない。

 ならば、どうするか。

「……エルミハ区まで行こう」

 ウォール・シーナ南に位置する突出区だ。目的地の通過点でしかないとはいえ、現場に少しでも近づきたかった。

 先のことを決めていなくても調査兵団を退団する気持ちは揺るぎない。でも、ミケ分隊長たちや104期の皆を心配する気持ちも確かだ。直接的でなくても出来ることがあれば今は力を尽くしたい。

 憲兵団本部へ戻るナイルさん、半日ぶっ通しで馬を走らせたトーマさんと別れて馬車乗り場へ向かえば、エレンを支えるようにして座るミカサとアルミンがいた。

「あ、リーベさん、もうすぐ馬車が出ますよ」
「う、ん……」

 私を見るなりアルミンが教えてくれたけれど、この三人がいるならそのうち幹部も揃うだろう。一度この場を離れようかと迷えば、エレンが声を上げる。

「そうだ……俺、昨日からリーベさんに聞きたいことがあって」

 そして私を見た。巨人化の影響で衰弱していても、瞳に宿る光は力強い。

「それは今しないといけない話かな、エレン」
「いいえ。でも、俺は聞きたいんです。昨日リーベさんが射撃練習している姿を見て思ったんですけど――」

 直感が働いて制してもエレンは止まらなかった。憔悴していた昨日は話を打ち切ることが出来たけれど今日は無理そうだと観念すれば、

「リーベさんが《硝煙の悪魔》ですか? 銃を一発撃っただけで100人の同期を倒した訓練兵のことです」
「エレン、それなら冬山訓練で人食い熊……《山の覇者》を仕留めた兵士もリーベさんになる」
「憲兵団へ勧誘に来た師団長を撃ち飛ばして気絶させた話もリーベさんになるよ」
「…………」

 エレンのみならず、それに続いたミカサとアルミンの言葉に面食らって私は否定することを忘れた。

「教えて下さい、訓練兵団七不思議すべての真相を知った者は一匹残らず巨人を駆逐すると言われているんです!」
「な、七不思議っ? や、私はそんな――」
「やっぱり! リーベさんだったんですね?」
「いや、あの……」

 否定しようとして、やめる。隠すことに疲れていたし、一番知られたくなかった人にはもう何もかも知られているのだからこれくらい何だと開き直ることにした。

「……確かに訓練兵の頃はそう呼ばれてたけれど、どうしてそれを? 《山の覇者》なんて箝口令まで敷かれてまだ生きていることになってるのに。そもそも七不思議って何?」
「ええと……すべて七不思議というか噂の範疇だったので《硝煙の悪魔》と呼ばれた兵士が実在した上に数々の偉業が本当だったことに僕たちも驚いています」

 アルミンの言葉に力が抜けた。
 箝口令があったとはいえ『人の口に戸は立てられぬ』のか、真実は七不思議へと変貌して訓練兵団へ伝わっているらしい。『巨人』の名が付く特典があるならエレンが食いつく理由も理解出来る。

「状況はそれどころじゃないけど、誤解されたままだと困るから順番に話そうか」

 私はため息をついて、

「まず、爆弾でもないのに『一発撃って100人が倒れる』なんておかしいと思わない? 私がやったのは同時多発攻撃じゃないよ」

 三人の顔を眺めてゆっくり説明する。

「覚えてる? 訓練で使うのは一発撃てば装填が必要な単発式ライフル銃。それを戦闘開始と同時に、撃たれるより早く自分が撃つ。相手を戦闘不能にすることで奪った銃を手に入れて、それでまた撃つことを繰り返す。奪刀法の応用って言えばわかりやすいかな。あれも奪った相手の得物で攻撃するでしょ?」
「理屈としてはわかります。でも、だからと言って100人に対してそれが可能でしょうか?」

 アルミンの問いかけに私は頷く。

「出来るよ、あの訓練じゃ全員が私を警戒していたから。私もそれを見越して接近戦へ持ち込んだりしたしね。一人に対して大人数で挑むのは案外難しいんだよ。闇雲に戦えばどうしても味方を邪魔したり攻撃してしまうから、大半が味方のために手出しが出来ない」

 今日の昼に私が戦った憲兵五人が良い例だと思う。
 戦い方を知っているからこそ、同時に私へ襲いかかるのを彼らは躊躇した。だから私は順番に相手取ることが出来たのだ。

「だから『一発の弾丸で100人を地へ伏せる』表現は間違いではないけれど正しくもないよ。単に最初の持ち弾が一発だっただけなんだから。自分が撃つだけじゃなく相手の銃身を蹴って銃口を別の誰かへ向けて撃たせたり、弾丸を避けられない時はそばにいた同期を盾にしたり、私を狙う者同士で相討ちを図ったりもしたし――」

 補足すると実弾ではない練習用の弾丸だったから殺傷能力はなかった。痛いだけだ。当たるとしばらくは動けないほどに。

「ほら、大したことじゃないでしょ?」

 同意を求めたけれど「大熊は?」とミカサが呟くように口にしたために話は次へ移った。

「それは同期の一人が雪山訓練中に《山の覇者》と遭遇して……逃げたのは良かったけれど、麓の基地まで連れて来たんだよね。おかげで訓練兵団は阿鼻叫喚の大混乱。全員が食い殺されてもおかしくなかったかもしれない。だから私は教官のライフル銃を借りて脳天を撃ち抜いたんだけど」
「……あの熊が《覇者》と呼ばれた理由は、弓矢も弾丸も避けられて……命中しないからだと聞きました。だから、殺すことは出来ないと」
「そうそう。だから避けられない距離で撃てば良いんじゃないかと思って、ほとんど零距離射撃で仕留めたよ。襲われかけた同期が囮になっていたから出来たかな」

 黙り込んだ三人に対して私は続ける。

「箝口令が敷かれたのは《山の覇者》がいなくなることで雪山訓練の難易度と価値が下がることを懸念されたから。参加志願者が増えると三年間のカリキュラムと得点のバランスが悪くなるらしくて。それが教官たちの意見。で、訓練兵たちの意見は体感した恐ろしさの片鱗でも後世に伝えようと一致団結して決めたみたい」
「え? みたい、ってことはその場にリーベさんはいなかったんですか?」

 エレンの言葉に当時を思い出す。

「その間、熊鍋を作っていたから」
「リーベさんらしいですね……」

 アルミンが呟いて、次の話へ移る。

「憲兵団の師団長を倒した話は? 勧誘の話も本当ですか?」
「あー、それは……勧誘は確かにあったよ。ただちょっと色々あって……でも撃ち飛ばしてはないし、机投げて気絶させた話がそんな風に脚色されただけだと思う」
「つ、机?」
「手元にあったからつい投げちゃったのかな……本当に色々あって……」

 誤魔化せば、エレンが感嘆の息をついた。

「人食い熊に師団長に、一発の弾丸から100人の兵士を倒せるなら……じゃあリーベさんならミカサ相手でも勝てるってことに――」
「私の方が弱いと思うよ。巨人の単身討伐もしたことないし」

 エレンの言葉に首をすくめれば、

「でも、リーベさんに銃があるなら勝敗はわからないんじゃないでしょうか」
「私は、勝ちます。リーベさん、相手があなたでも」

 アルミンとミカサの言葉に私が苦笑していると、

「お、揃ってるね」

 ハンジ分隊長がやって来た。その後ろには司祭らしき男性と――兵長だ。
 しまった、と思ったけれどもう遅い。長話をしすぎてしまった。私はぎゅっと拳を握って逃げ出したい衝動を抑える。それでも手が震えた。

 私は何がしたいんだろう。逃げたり、手を振り払ったり、今はこの場に留まって。

 きっと、自分でもわけがわからなくなっている。
 こんなことになるとは思っていなかったから混乱している。

 ハンジ分隊長が明るく声を上げた。

「四人ともお待たせ、じゃあ行こうか。あ、彼はウォール教の司祭ニックだよ」

 私がいることを当然のように扱われて戸惑ううちに、簡単に男性を紹介をされた。どうやらこの人――ニック司祭もエルミハ区へ行くらしい。

「あの、私は次の馬車で向かいますのでお先にどうぞ」

 現在ここにいるのは合計七人。馬車は六人乗りなので一人だけ外れることになるから素早く申し出たのに、

「はい、リーベも乗った乗った!」
「ハンジ分隊長、これは六人乗りなので私は――」
「大丈夫大丈夫、リーベは小さくて羽根みたいに軽いから。ほらアルミン、ちょっと隣に詰めて」

 抵抗の余地なく腕を引っ張られて無理やり乗せられてしまった。そして馬車は動き出し、ストヘス区を出る。もうすっかり夜だ。

 どうしてこうなったのかとひたすら気配を消していたら、

「いきなりローゼが突破されるなんて……我々に何か手が残されているのでしょうか。それに……なぜ、ウォール教の司祭も一緒に……」

 アルミンの言葉にハンジ分隊長が説明する。

「彼は壁の中に巨人がいることを知っていた。でもそれを今までずっと黙っていた。――彼ら教団は何かしら壁の秘密を知っている」
「はあ!? なんだそりゃ!」

 エレンが詰め寄るように立ち上がったけれど、すぐに身体をふらつかせてミカサに支えられた。まだ巨人化の後遺症が残っているらしい。

「何か知ってることがあったら話して下さいよ……人類の全滅を防ぐ以上に重要なことなんてないでしょう」

 口を閉ざすことが信じられないというようにエレンが話しても、司祭は黙ったままだ。

「質問の仕方は色々ある」

 兵長が懐から取り出した拳銃を上着越しにニック司祭へ突きつけた。

「俺は今……役立たずかもしれんが、こいつ一人を見張ることぐらい出来る。くれぐれもうっかり身体に穴が空いちまうことがないようにしたいな……お互い」

 その言葉に、

「逃げても意味ねえよな、だってリーベさんは《硝煙の悪魔》って呼ばれた兵士でどんな距離も――」
「エレン!」

 私の声にエレンは目を大きくして黙ったけれど、遅かった。

「悪魔、だと……!」

 怯えるような表情になった司祭を睨めば、思いきり目を逸らされた。
 前を向けばハンジ分隊長が目を輝かせていて、

「待って、私もその兵士のこと知ってるけど本当にいたの? しかもリーベ? 何それ滾る! ねえねえねえ! 《山の覇者》は巨人みたいに大きいって本当!?」
「確か3m級くらい――って今その話は待って下さい……」

 私が正直参っていると、兵長の声がした。

「それはさておきだ。……ハンジ、お前はただの石ころで遊ぶ暗い趣味なんてあったか?」

 分隊長の手を見れば、確かに何かが握られていた。

「これはただの石じゃない。……女型の巨人が残した硬い皮膚の破片だ」

 その言葉にアルミンが「消えてない!?」と驚きをあらわにする。私も驚いた。死んだ巨人や、エレンやアニのような人間が巨人化を解くと通常ならば蒸発して跡形もなく消え失せるのが通説だ。それが、物質として残っているだなんて。

「もしかしたら……と思ってね。顕微鏡で『壁』の破片と見比べたらその模様の配列や構造までよく似ていた。つまりあの壁は大型巨人が主柱になっていて、その表層は硬化した皮膚で形成されていたんだ」

 あの壁には石の繋ぎ目や何かが剥がれた跡も何もないため、どのように造られたかはこれまで謎だったが――人類を巨人から守る壁は、巨人によって出来ていたということらしい。

「そんな……でも、つまり硬化能力の汎用性は高い、ということですね」
「本当に……アルミンも言ってた通り……」

 私とミカサがそれぞれ呟けば、「あ!」と閃いたように声を上げたアルミンの口を手で塞いでまでハンジ分隊長が力説する。

「このままじゃ破壊されたウォール・ローゼを塞ぐのは困難だろう。穴を塞ぐのに適した岩でもない限りはね。……でも、もし……巨人化したエレンが硬化する巨人の能力で壁の穴を塞げるのだとしたら。本当にもし、そんなことが可能ならだけれど。さっきまでそう考えてたんだ」

 分隊長の手から解放されていたアルミンが口を開く。

「賭ける価値は大いにあると思います。同じやり方が可能ならウォール・ローゼだけではなくウォール・マリア奪還も明るいですよね」

 従来のやり方だと壁を塞ぐための資材を運ぶ必要もあり、およそ20年かかる計算だった。しかしエレンの力が行使出来るなら、その必要はない。

 さらにアルミンが巨人の動けない夜間に作戦決行を提案すれば、分隊長は破片を握りながら表情を歪めて、

「状況は絶望のどん底なのに、それでも希望はあるもんなんだね……」
「すべてはエレンが穴を塞げるかどうかに懸かっているんですが……」
「それって出来そう?」

 そこで馬車に乗る全員の視線がエレンに集中する。

 エレンが言葉を失っていると、

「出来そうかどうかじゃねえだろ」

 兵長が言った。

「やれ。……やるしかねえだろ。こんな状況だ……兵団もそれに死力を尽くす以外にやることはねえはずだ。必ず成功させろ」

 するとエレンは表情を引き締め、

「はい! 俺が必ず穴を塞ぎます!」

 力強く、そう言った。




 馬車がウォール・シーナ南に位置するエルミハ区についた。ここから先は巨人の領域だ。
 ウォール・ローゼが破壊された知らせにより、沈痛な面持ちで避難する住民たち。それを目の当たりにして立ち尽くすニック司祭の腰を兵長が蹴り飛ばすのを横目に見ていると、

「リーベ。これはアニの身辺調査結果の写しだ。説明する時間がないから兵長と読んでおいてくれ」
「あ、はい……」

 差し出された書類を反射的に受け取れば、モブリットさんが先へ行く。

「分隊長、急ぎましょう」
「モブリット、ちょっと待って」

 そこでハンジ分隊長がニック司祭へ顔を向ける。この惨状を前に彼が壁の秘密について口を割ることを全員が期待すれば、

「私は話せない。他の教徒もそれは同じで変わることはないだろう」

 それでもニック司祭は、壁の秘密を握る一族の血を引く者について話し始めた。その人物は血族の争いに巻き込まれて偽名を使い身を隠しているそうで、まだ何も知らないとのこと。だが壁の真実を知り、それを公へ開示する権利を持つそうだ。

「今年調査兵団に入団したと聞いた。その子の名は――クリスタ・レンズ」

 その名前に、

「え……」
「あ、あいつが?」

 エレンたちだけではなく私も戸惑った。

 クリスタ?

 すぐに私よりも小さな彼女のことを思い出していると、分隊長が息を呑む。

「その子、104期だから……今は最前線にいるんじゃ……」
「行きましょう! とにかく現場に急がないと!」

 駆け出すエレンに、ハンジ分隊長が声を上げる。

「待って! まだ104期全員の名前を知らないんだけど……」

 クリスタを知る私たち四人は順番に説明する。

「あの一番小さい子ですよ!」
「そうそう、私よりも背が低くて」
「金髪の長い髪で……えーと、あと……かわいい!」
「ユミルといつも一緒にいる子です」

 誰の言葉に反応したのか「え?」と分隊長が声を上げた。兵長も目を少し見開いていた。




 住民避難誘導などの仕事は憲兵や駐屯兵に委ねられていて、調査兵団エルミハ区待機組に仕事はなかった。正確に言えば待機が任務だが今の私には苦痛しかない。
 ストヘス区に残るべきだったかと後悔しながら、夜を過ごすための毛布を集める。もちろん清潔なものを。

「……私、何やってんだろ」

 呟きつつ、月が雲に隠れたせいで暗い暗い夜道から馬車へと戻る。兵長とニック司祭へと一枚ずつ運んでそばに置いた。そしてその場を離れようとすれば、

「寒い」

 声がした。兵長だ。

 私は信じられない思いで振り返る。

 この人がこんなことを口にするなんて。

 それに夏ではないとはいえ、空気が冷えきっているわけでもないのに。

「……じゃあ、もう一枚毛布をもらってきますね」
「違う」
「え?」
「寒いんだ」

 運んだばかりの毛布は手付かずで、わけがわからない。この人は一体何を言っているのだろう。
 しかし首を傾げようとしたその瞬間――言葉の意味が唐突にわかった。

「…………」

 私は知っている。
 その『寒さ』が何を求めるものなのか。

「……そう、ですか」

 だから自然と身体が動いた。

 どれだけ手が震えて逃げ出したくても、そうせずにはいられなかった。

 だって私は知っていたから。

「――じゃあ、こうしましょう」

 座ったままの兵長をそっと抱きしめる。

 こうすれば、寒くない。

 私はそれを知っていた。

 十二歳の冬の夜。
 命を疎まれ、身体を虐げられ、心を蔑まれて。
 夜空の下でひとり立ち尽くし、強く望んだことだから。

 私は腕にぎゅっと力を込める。
 たとえ拒まれたり、否定される恐怖があってもそうせずにはいられなかった。
 あの心臓が止まってしまいそうな寂しさを思うと、この人を放っておくことの方が耐え難くて。

 私は自分のことしか考えられないどうしようもない人間だけれど、それでも、だからこそ――強く抱きしめていたかった。

「兵長」

 ゆっくりと深呼吸をしてから私は言った。

「お話を、しましょう」

 やっと覚悟が決まった。


(2014/11/02)
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