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戦略的撤退を行使せよ

 声が聞こえたと同時に私は素早く足払いをかけて相手を床へ倒す。次の瞬間には馬乗りになってその口内へ銃口を突っ込んだ。
 これで相手は動くことも話すことも出来ない。戦う気力も失せるはずだ。
 あとは顔面でも蹴れば昏倒させられるけれど――私はため息をついてから銃口を引き抜いた。

「……憲兵団トップが何をしているんですか?」

 私が立ち上がって離れるとナイルさんは何度か咳き込んで、

「お前、その即戦性はどうかと思うぞ!? 今日だけで何人倒したっ?」
「そんなの覚えてませんよ」

 私はポケットから取り出したハンカチで唾液の付着した銃口を拭う。

「巨人がいなくなっても騒ぎは全く収まっていませんけれど」

 いや、いなくなるどころか壁にもいるかもしれないんだっけ。

「問題ない。今はザックレー総統が全体の指揮をしている。それに――」

 身体を起こしたナイルさんはそのまま通路へあぐらをかいて座る。

「俺はな、同期と調査兵団を志しておきながら惚れた女を守りたくて、そばにいたいから憲兵団を選んだんだ。エルヴィンの野郎みたいに人類や大それたものは守れなくても、せめて目の前にいるヤツくらいは助けてみせると決めている」
「……ご立派なことですね。次は私の弾丸から誰かを守ってあげて下さい」

 銃をホルスターへ戻した私が力なく呟けば、

「俺には誇りがある。家族を持ったこと、師団長の地位に立っていること、そして――」

 ナイルさんの視線を感じたけれど、私は顔を向けなかった。

「お前が生きていることだ、リーベ・ファルケ」
「…………」
「あの冬の夜にお前を助けられたことが俺の誇りの一つなんだ。だから、そんなことは言うな」

 私は首を振った。

「私が兵士になった理由を知っていて『助けられて良かった』なんて言えるんですか。――私は生まれ方どころか生き方も……胸を張っていられる人間じゃない」

 生きていたいと望むことは愚かだ。
 愛されたいと願うことは間違いだ。

 私はちゃんとわかっている。

「だから、そんな誇りを私は信じられない」

 その場を立ち去ろうとすれば、耐えかねるような声が追ってきた。

「じゃあ俺が『死ねば良かったのに』と言えば信じるのか!?」

 足が止まる。

 例え話だとわかっているのに、どうしてこんなにも胸が痛いのだろう。
 想像だけでかなしいくらいに締め付けられて、呼吸することも苦しい。

「……そうですよ、そしてその言葉をあなたであろうと赦さない」
「お前なあ……」

 今度は疲れたようにナイルさんは言葉を続ける。

「否定を赦さないのはまだ理解出来る、だが肯定まで自分しか認めないとはどういうつもりだ。結局お前が一番お前自身を虐げているじゃねえか」
「……世の中の正しさと私の正しさは違うとわかっているんです。だからせめて、死ぬべき私を私だけが生きて良いと認めなきゃ。それだけです」

 重いため息が聞こえた。

「教えてやる。お前にずっと言いたかったことだ。《ストヘス区の悪魔》然り《切り裂きケニー》然り――」
「《切り裂きケニー》とか昔に流行った都市伝説じゃないですか、一緒にしないで下さいよ」

 するとナイルさんは表情を険しくする。

「実際にいたんだよ、ヤツは! 捕らえようとした憲兵100人が殺されたんだ」
「…………」
「信じてねえなその顔は。――とにかく!」

 握られた拳は震えていた。そこにある感情は読み取れない。

「真面目なヤツもいるにはいるが、憲兵団は知っての通り腐った組織だ。だが、それでも当時『《ストヘス区の悪魔》を早く捕まえろ』と住民の声が高まって俺たちは動いた」
「……そりゃあ、あの《悪魔》の標的は無差別によるものだと考えてられていましたから、大事な子供を殺されたくない親たちはそんな声を上げるでしょうね」

『俺が殺すのは死ぬべき子供、それだけだ!』

 暗い記憶に目を伏せれば、ナイルさんは首を振った。

「違う。そうじゃない。……そうじゃ、なかったんだ」
「……何がです」
「《ストヘス区の悪魔》が手にかけたのは、決して死ぬべき子供たちじゃなかったんだよ。なぜなら――殺されたことで誰にも悲しまれない被害者は一人もいなかった! 悲しむ連中の声で俺たちは動いたんだ。『死を望まれた子供』でも誰かにとっては『生きていて欲しいと願われた子供』だったんだよ……!」

 声の響きに違和感があってナイルさんの顔を見れば、

「ちょっと、ナイルさん……泣かないで下さいよ」

 ナイルさんはごしごしと目元を拭って言葉を続ける。

「お前だって、そうなんだ! 俺はお前に生きて幸せになって欲しい! 頼む、俺の言葉じゃなくても良いから、誰かの願いだけは信じてくれ」
「ナイルさん……」

 私はその涙と声と言葉に動揺して首を振ることしか出来ない。

「そんな……でも、私は……」

 あの《悪魔》の標的になった子供たちが、誰かにとっては生きていることを望まれていたのに殺されたとしても。

「自分の欲望で誰かを殺せてしまうから……私も《悪魔》なんです」

『良いじゃないか。この世界にひとりくらい、無条件に君を想う人間がいても』

 アルト様の言葉を受け入れることが出来ないように、その言葉は私へ向けられて良いものではない。そう思う。

「だから、そんなにやさしいこと、言わないで下さい」
「リーベ……」
「私が十五歳だった解散式直前の夜のことを覚えていますか? 机を投げてあなたを気絶させてまで黙らせて逃げた。あれ以上の言葉を聞くことが怖かったから。あなたは酷いことを言わない人だと知っていても。……ごめんなさい。私が、弱くて臆病で、意気地なしで――」

 声が震える。泣いてもいないのに。

 ただ、哀しかった。

 どうして私はこんな人間なのだろう。

「私がもっと強ければ良かったのに」

 いつだって自分のことだけで精一杯だ。

「何言ってやがる。お前は強いし、立派な兵士だ。人間として誇っていい。今日だって両親が死んだ子供を保護したことを俺は知っている」

 ナイルさんが強い口調で言っても、首を振ることしか出来ない。

 だって私はただ、あんな男が赦せなかっただけだ。女の子を助けたいとか、崇高な使命感なんてなかったのだから。

 そこでナイルさんがポケットから出した懐中時計で時間を確認する。苦々しい顔になって、

「……今日の総括会議の時間だ。お前はこれからどうする」
「ナイルさん」
「何だ」
「もう、わかりません。私、どうすれば良いのか――」

 自分でも情けない声だと思っていると、

「今のお前が考えるべきは『どうすれば良いか』じゃねえだろ、『どうしたいか』だ。十二歳のお前に出来たことが今は出来ないのか?」

『私、兵士になります』

 確かに私は自分で未来を選び取った。

 生きていたいから。愛されたいから。
 その望みを壊しかねない、しかし同時に守る、戦う道を。

「私……」

 うつむいて、声を絞り出す。

「調査兵団を、辞めます」

 この胸を占めるあの人の存在が大きすぎて、私は恐ろしかった。

 否定されることが怖くて仕方がない。
 肯定されても信じることが出来ない。

 ああ、そうか。
 愛することと信じることは違うのだ。

「もう、あの場所に戻れない……」

 私は――

 何年も積み重ねて大切にしていたものを。
 ほんの短い時間で壊して喪ってしまった。

 自分でも聞こえないくらいの呟きに、

「良いじゃねえか! 辞めちまえっ」

 その力強い声に私は目を丸くする。

「え、あの、そんな簡単に――」
「戦いぶりを見るに兵士を辞めたいわけじゃなさそうだな。――憲兵団へ来いよ。そうだ、それが良い。俺の補佐兼護衛はどうだ?」

 思いがけない提案に私は戸惑うしかなかった。

「私に憲兵の資格は――」
「おいおい、忘れたか? 十五歳の時からお前は許可されていたんだ。問題なんかどこにもない。そうだろ?」
「ナイルさん……」

 私が声を詰まらせていると、

「お前が『辞めたい』と口にするくらいなら、よっぽどのことがあったはずだ。それだけで充分な理由じゃねえか。調査兵になってから何回も壁外へ出て討伐数も戦果も上げて充分働いたんだからエルヴィンにも文句は言わせねえよ」

 ナイルさんはさらに続ける。

「もしも調査兵団から逃げるような真似が嫌なら言い方を変えてやる。これは『戦略的撤退』だ。お前ならこれが立派な戦い方の一つだってわかるだろ?」
「…………」

 もし私が調査兵をやめれば――

 一番最初に浮かんだ人をかき消して、私は考える。

 ゲルガーさんは確実に怒る。
 ミケ分隊長は何て言うだろう。
 ナナバさんは顔をしかめるかな。
 トーマさんは――

 その時、慌ただしい足音が近づいてきた。ナイルさんが腰を上げて、私も現れるであろう誰かに対して構える。

 現れたのはたった今考えていた人だった。

「トーマさん?」
「リーベ!? こんな所にいたのか」

 この人がここまで焦る姿を見るのは初めてだ。

「どうしたんですか? 今日はウォール・ローゼ南区で104期の見張りじゃ……」
「それが――」

 そしてトーマさんは叫ぶ。

「ウォール・ローゼが巨人に突破された!」

 長い一日はまだ終わらないようだ。


(2014/10/03)
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