Novel
もしも透明な棺で眠れたなら

「リーベさーん!」
「こっちを手伝ってくれ!」

 顔を向ければ門の前にニファさんとケイジさんがいた。ハンジ班の面々だ。
 他にも何人かいて、黒い布を被せたものを馬で引いて運んでいる。

 私は声をかけられたことに驚いて、

「ど、どうしたんですかっ?」
「人手が必要なんだ、頼む!」
「了解です!」

 反射的に返答してからはっとする。

 何を言っているんだ私は。兵長にあんな姿を晒して、知られて、もう今まで通りに調査兵であり続けることなんて不可能なのに。

「…………」

 私なんかが崇高な志を持つ彼らと肩を並べて良いはずがない。それはわかっている。
 でも、声をかけられた上に返事をしてしまったのだからと自分に言い訳して足を踏み出そうとすれば、

「リーベ、行くのかい? 紋章がないからもう調査兵は辞めたと思ったのに」

 アルト様の言葉に、私は門の向こうにいる人たちに聞こえないように呟いた。

「――もし私が調査兵を辞めたら……」

 胸を刺す痛みに拳を握っていると、晴れ晴れとアルト様が声を上げる。

「それはとても良いことだと思うよ!」
「…………」

 何も言えない私は、荒れ果てた土地を再び眺める。

 ゲデヒトニス家。私の育った家であり――悪夢の舞台はもう、どこにもないのだ。

「アルト様はこれからどうされるのですか」
「王都にも家はあるからそこに住もうかな」
「ミットラスに?」
「領地の関係でこの土地を失うわけにはいかないけれど、こうなった以上ストヘス区はしばらく満足に機能しないだろうし」

 そこで彼は優雅に微笑んだ。

「いつでも僕の所へおいで。――とは言っても、あちらには父がいるから君は嫌がるかな。うん、それなら僕がリーベに会いに行くよ、どこへだって」
「アルト様……」

 本当の私は自分自身しか肯定出来ないと思っていた。
 本当の私は誰かに否定されるしかないと思っていた。

 だから自分以外の誰かによる肯定を私は否定してしまう。そんなはずがないと思ってしまう。
 生まれた時や十二歳の時のように自分という存在を殺されそうになるほど否定されることは怖いし嫌だ。でも、肯定されることを簡単に認めることも出来ない。矛盾していてもそれが真実だ。

 だから私はアルト様の好意から逃げるように話題を見つける。さっき聞いた言葉に気になるものがあった。

「『やっと歩けるようになったばかりの女の子がゲデヒトニス家へやって来た』ということはつまり――私は生まれてすぐこの家へ来たのではなかったのですね」

 物心ついた頃にはここで暮らしていた上に『赤ん坊が裏口で寝かされていた』なんて話を信じていた頃が私にもあったから、てっきりその時分からゲデヒトニス家にいたと思い込んでいた。
 でも、生まれてしばらくは『ここではないどこか』で過ごしていたということだ。

「そうだよ。気になることがあるなら調べようか?」

 アルト様の言葉に私は首を振る。

「いいえ、結構です。――それでは」

 そして今度こそ背を向けようとすれば、優しい声がした。

「またね、リーベ」
「…………」

 私は頭を下げてからゲデヒトニスの土地を出た。
 それからハンジ班一行に駆け寄れば、ニファさんが不思議そうに私とアルト様を見比べて、

「お知り合い、ですか?」
「はい。ごめんなさい、こんな時に」
「それは構わないから手伝ってくれ。人手が足りないんだ」

 ケイジさんの言葉に私は頷き、黒い布が掛けられた物体を見下ろした。

「わかりました、ええと……『これ』を運ぶんですね」
「そうだ、早く地下へ行く必要がある。可能な限り人払いを頼む」

 指示に従って周囲の様子を可能な限り俯瞰しようと試みて振り返った瞬間、ウォール・シーナの城壁が見えて――私は息を呑む。

 まず、壁の一部が抉れたように欠けていた。

 そしてそこから半分だけ見える巨大な顔。

 巨人だ。

「何、で……」

 あの巨人は何? どうして壁の中に? 生きているの?

 疑問は尽きることなく、嫌な動悸が抑えられない。ごくりと唾を飲み込んだ。

 そうだ、私だけがこの異常事態に戸惑っているはずがない。

「あの、か、壁に巨人がいて……」
「……見間違いなら良かったんだがな」
「今、分隊長の命令で別の班が布を集めて隠そうとしていますが……」

 歯切れが悪い二人の様子に私は何も言えなかった。

 ても、誰にも解決出来ない疑問と不安はどうしようもない。無理やり視線を外し、深呼吸してから私は自分のやるべきことを整理する。が、その前にひとつ聞きたかった。黒い布を被せたものの正体を。

「ところで『これ』は何ですか?」

 そしてケイジさんは苦々しい顔つきで女型の巨人捕獲作戦の全貌を話してくれた。




 地下で黒い布が取り払われた『それ』を前に私は息を飲む。そこには水晶に似た結晶の中に金髪の少女がいた。

「アニ……」

 一次捕獲作戦は失敗。二次作戦へ以降途中に戦況は急変し、その後多くの犠牲を経て巨人化したエレンが激闘の末に女型の巨人を取り押さえ、うなじからアニを捕らえようとした瞬間にこの状態となったらしい。
 そして先ほど壁の中にいることが判明した巨人は、その戦闘の最中に出来た壁の亀裂が広がって現れたそうだ。
 顔の半分しか見えなかったけれど、恐らく胴体も手足も存在しているだろう。何のために、一体どうしてそんなことになっているのかは相変わらず謎だ。壁と三人の女神を崇めるウォール教が絡んでいるらしいと小耳に挟んだけれど、今の私にとっては目の前にいる少女の方が重要だった。

 私は一歩、結晶へと近づく。もうすぐハンジ分隊長が来るらしいけれど、今は他に誰もいない。調査兵で私だけが今日の役割をすっぽかしているからこんな所にいられるのだ。とはいえ見張りはいる。憲兵が二人。でも面倒なことに突っかかって来たので先ほど気絶してもらった。

「アニ……」

 何度呼びかけても反応はない。死んではいないと思う。まるで水晶の中で眠っているみたいだった。

 巨人の硬化能力を応用した力で出来たらしいこの結晶。硬度は超硬質ブレードも粉々になるほどだとケイジさんが教えてくれた。

「…………」

 第57回壁外調査で多くの犠牲を出した女型の巨人。

 多くの兵士が直接的に、或いは間接的に殺された。
 それはすぐ目の前にいる、ひとりの少女によって。
 この後に及んで信じられないというわけではない。

「だって、私は……」

 生まれるべきではないとされた人間なのに。
 死んでいれば良かったとされた人間なのに。

 それでも生きていたいから。
 どうしても愛されたいから。

 そのために――たくさん過つことが出来る人間だ。

 アニと同じことも――きっと出来てしまうだろう。

 ああ、私は、こんな人間なのに、

「アニ、どうして私を殺さなかったの」

 アルミンも口にしていたように、あの瞬間、あの長い一瞬はきっと彼女の躊躇だ。そうでなければ今こうして生きていることがおかしい。
 847年の一年間で、彼女が私にどのような感情を持ってくれたのかはわからないけれど、

「殺してくれたら良かったのに」

 この期に及んでも死を望むわけではないけれど、あの時に殺されていたら。
 今、こんなに苦しまずに済んだと思ってしまう自分がいるのは確かだった。

『それでも、ひとりじゃないんですか』

 肩の傷が疼くと同時によみがえるアニの声。

 私のような人間が生きていたいのなら、ひとりで生きるべきだった。
 それが嫌なら、そもそも私のような人間は生きるべきではなかった。

 だから、そんな人間であることを隠してきた。

 あの人と共に生きたいと願ってしまったから。

「知られたくなかった……」

 こんなことになったのは自業自得だとわかっていても、そう思わずにはいられない。

「私、ばかだな……本当に、ばか……」

 あの人は何を思っただろう。
 私という人間の正体と真実。そして私が何のために戦っているのか。

「アニ、私は――」

 どうすれば良かったの?

 すがるように水晶へ手を伸ばした。しかし指先が触れる直前、強い力で肩をつかまれて後ろへぐいっと引っ張られる。
 その勢いに足がよろめき、身体が誰かの胸に受け止められた。

「やめろ、触るな」

 その低い声に私は息を呑む。そして反射的に肩をつかむ手を叩き払った。

「私に触りたくないなら離して!」

 悲鳴のように叫べば目の前にいるその人は目を見張って、次の瞬間、誰かが慌てたように私たちの間に入った。ハンジ分隊長だ。

「ストップストップ! ちょっと待ってどうしちゃったのリーベ? リヴァイはアニに触っちゃ駄目だって注意しただけで、リーベが心配になっただけだよ? もしかしたら結晶の中に吸い込まれることとかもなきにしもあらずかもしれないしで危ないじゃない? ちょっと目的語が足りなかっただけで決して『俺に触れるな』とかそんな意味じゃないというかそもそもこの男がリーベにそんなこと言うはずがないじゃない!」
「…………」

 私は荒くなった呼吸を落ちつかせることしか出来ず、何も言えなかった。

 ハンジ分隊長の言葉は理解出来る。私の捉え方が悪かった気がする。

 けれど、でも――本当に?
 この人が本心では何を思っているのかなんてわからないのに?

 何も言葉を発することが出来ずに拳を握っていると、ハンジ分隊長は首を傾げてからそっと腕を伸ばす。そして私の身体をぎゅっと抱きしめた。

「どうしたの、大丈夫?」

 最初の一瞬は身体がこわばったけれど、その優しい声にほっとする。

 この人は『私』を何も知らないから、安心して身を委ねることが出来た。

「……分隊長」

 私は最低の人間だけれど、こんなにも誰かのぬくもりが嬉しい。求めてしまう。離したくない。

「そういえばリーベはアニと顔見知りだったもんね、ごめん、何て言えば良いかわからないけれど……」

 違う。
 私はただ、自分のことしか考えられないだけなのに。

「見張りの憲兵二人が気絶しているのが気になるけど、まあいいか。――今はどこかでゆっくりしておいで?」

 そっと離された身体が、とても寒く感じた。

「は、い」

 頷いた私は最後にアニを一瞥して、ふらつきながらも足を踏み出す。行く当てなんてないけれど。

「おい」

 低いその声は聞こえないふりをして、私は地下を出た。
 それから走り出す。一刻も早くその場を離れたかった。

『お前は生きる権利もなければ、愛される資格も救われる理由もないガキなんだよ!』
『お前のことだリーベ! 産みの親たちを死へ至らしめた悪魔!』
『「変わってない」んだな、お前。リーベ・ファルケ』

 またしても逃げた後悔と安堵、そしてよみがえるいくつもの声に歯を食いしばる。

 そのうち誰もいない通路の壁にもたれて座り込んでしまえば、すっかり息が切れていた。
 周りを確認することもなくしばらく走っていたからここがどこかわからないし、別にどこでも構わなかった。

「……う」

 胸の奥深い場所が。
 自分でも見えないその場所が。
 誰にも触れられないはずの場所が。

 痛くて、痛くて、痛くて。

 どうしたらいいのかわからない。
 どうしたいのかさえわからない。

「自分の心なのに……」

 でも、すべてに通じる答えはわかっている。あの人だ。

 兵長。
 私の自由そのもの。

 二度と会いたくないのに――今すぐ会いたい。
 もう何も聞きたくないのに――声が聞きたい。
 触れないで欲しいのに――抱きしめて欲しい。

 矛盾する想いが私を苛む。何もかもぐちゃぐちゃだ。

 座り込んだまま膝を抱えていると――

 足音がした。

「見つけた」


(2014/09/12)
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