Novel
ゲデヒトニスの扉が開く時

「女兵士! 銃を下ろせ!」

 ナイル師団長の周りにいる憲兵五人がライフル銃を構え、そのうち一人が叫ぶ。命じる声は高圧的だ。

「リーベ」
「団長、私一人で問題ありません」
「おい」
「兵長、巨人ならいざ知らず相手は憲兵ですよ。大丈夫です」

 そして私は兵長から離れて団長よりも前へ出る。手には拳銃を構えたまま。

 ここは私が動くしかない。団長には調査兵団トップとしてどっしり構えてもらわなければならないし、兵長は足を負傷しているし。
 私も左肩が万全ではないけれど、禁止されているのは立体機動だ。それにエレンとの対人格闘訓練で割と動けることがわかっている。

 憲兵がまた叫ぶ。

「銃を下ろせと言ってるだろうが! 撃つぞ!」

 しかしそこで声を上げたのはナイル師団長だった。

「やめろ、駄目だ! この女を撃つな!」

 その声に憲兵たちは驚いて、

「なぜですか師団長!」
「こいつは――」

 その時、周辺一帯にまた地響きが轟く。
 壁外調査でしか聞くことのない巨人の足音が今はストヘス区を蹂躙していた。

「一体何が……さてはお前たちが仕組んだことだな!?」

 錯乱した誰かの声が聞こえた瞬間、すべてが始まった。憲兵の一人が引き金を引いたのだ。
 ナイル師団長を除いた五人の憲兵に対して私は即座に応戦した。
 現在装填しているのは先程ライフルを破壊したものと同じ非致死性で殺傷能力のない弾丸だが、急所に当てれば昏倒させることくらい出来る。

「な!?」
「がはっ」

 まずは一人目と二人目を続けざまに急所へ命中させて戦闘不能に陥れ、その事実に身体を強張らせた三人目の憲兵の懐へ私は一足飛びで入り込む。他の兵士は仲間を撃つことを恐れて手を出せない。

「この女……!」

 三人目の相手は眼前にいる私へ銃口を向けようとして、次の瞬間には顔を凍り付かせた。ライフルは標的が近すぎると撃てないことに気づいたらしい。
 それに対して私の拳銃なら至近距離でも撃てる――が、そこで発砲はしなかった。

「え? が!?」

 銃底で躊躇なく側頭を殴りつければ、相手は声を上げてもんどりうつ。

「おい! 全員やめろ! 全員だ、武器を下ろせ!」

 ナイル師団長の声が響く。でも、混戦の中では憲兵も私も誰も応じない。

 私が気絶した三人目の襟首を掴んで盾にすれば、四人目が叫びながら突進して来た。撃てないならば接近戦へ持ち込んだ方が有利だと思ったらしい。
 私は身代わりにした三人目の顔を四人目の拳で殴らせている隙に、相手の鳩尾を蹴り飛ばす。

「ぐぇっ!」

 崩れ落ちた四人目の上へ用済みとなった三人目を投げた時、五人目が私の後ろへ回り込んでいた。

「死ね、調査兵!」

 その言葉に顔を向けることなく、私は脇の下から背後へ銃口を向けて撃つ。そして五人目が倒れた。
 私の周りにはもう誰も立っていない。
 やがて、

「……俺の部下じゃお前の相手にならねえことはわかってたよ」

 ナイル師団長の声がした。とても疲れているような声だった。

「『変わってない』んだな、お前。リーベ・ファルケ」

 こうしている間にもストヘス区を壊滅させるかのような破壊音は止まらない。まだ距離のあるこの場所でこの衝撃なら現場はどうなっているのか。

 その時、遠くから二人の憲兵が駆けて来た。

「師団長! 巨人が! 巨人が巨人と戦っています、このストヘス区で!」
「巨人同士が戦っているだと……?」
「はい、街の被害は甚大! 住民、兵士共に死傷者多数!」

 ナイル師団長は目を見開き、

「エルヴィン! すべて貴様の作戦が招いたことか!」
「そうだ。すべて私の独断専行だ。弁解するつもりはない」

 団長の言葉に二人の憲兵がライフル銃を構える。
 私もまた彼らへ銃口を向ければ、ナイル師団長が部下に今度こそ武器を下げさせた。

「やめろ、話が進まねえ!」
「しかし師団長!」
「お前たちじゃ無理だ! こいつが本気を出せば一発撃って100人倒せる!」
「え、それって――」

 その憲兵は緊迫した様子から一変して間の抜けた声になった。

「《硝煙の悪魔》のことですか?」

 その言葉に――私は目を瞠る。

 そして次の瞬間、その憲兵を殴り飛ばした人がいた。ナイル師団長だ。

「んなこと言ってる暇があったら全兵を現場へ派兵し、住民の避難、救助を最優先で行え! こいつらは俺が何とかする!」
「は、はいぃっ」
「了解です!」

 憲兵はどちらも踵を返して逃げるように駆け出した。

 一方で私は――誰の目も見ることが出来なくて。
 だって今、自分がどんな顔をしているのかさえもわからなくて。

「リーベ……?」

 兵長の視線も、痛いくらいに感じているのに。

「――ごめんなさい。すぐに戻ります」

 私はその場に留まっていられなくなって、離れた。ナイル師団長の声が聞こえた気がしたけれどわからない。

 ひとりで闇雲にストヘス区の裏路地を走りながら自分に言い聞かせる。

「落ち着かないと……落ち着いて……」

 そのうち足は止まり、私は立ち尽くす。
 ペース配分も考えずに走って来たので息が切れていた。

「これくらいで取り乱して、馬鹿みたい……」

 抑え込んで。抑え込まないと。大丈夫。今までずっと出来ていたことなんだから。

「しっかりしないと……。あんなのは偶然なんだから……少し、びっくりしただけだから……」

 自分自身に言い聞かせていたその時、

「よし、この区域は派兵完了だ。しかし……一体ストヘス区で何が起きているんだ? そして俺は何で師団長に殴られたんだ?」

 憲兵の声が耳に届いた。さっきと同じ人だ。いつの間にか彼らの活動拠点近くまで来てしまっていたらしい。
 姿は見えないのに、声ははっきりと聞こえて来る。

「さあな。ところで《硝煙の悪魔》? 何だそれ」
「ん? ああ、何年か前に憲兵団で話題になったんだよ、銃を持たせれば敵なしの訓練兵が。一発の弾丸で100人の同期を地へ伏せさせ、雪山訓練では《山の覇者》と呼ばれる熊を討ち取ったって噂の。絶対無比の狙撃手は十番以内の成績じゃなかったのに憲兵団入団を許可されたとか。結局そいつは内地に現れなかったから、そんな兵士はいない結論になったが……」

 憲兵たちの会話は終わらない。

「へえ、面白い話があったもんだな。俺が知っている《悪魔》といえば《ストヘス区の悪魔》だが……」

 その言葉に――私は心臓が凍りついたような錯覚に陥った。

「《ストヘス区の悪魔》? 何だそれ。俺はそっちの方が知らねえけど」

 やめて。
 言わないで。

「知らないのか? 昔、このストヘス区にいた幼女連続強姦殺人鬼のことだ」

 がつん、と頭を殴られたような衝撃が走った。

「俺、聞いたことがあるんだ。その事件はどっかの貴族が金でもみ消したそうだが」
「何で貴族が出て来るんだよ」
「確か……犯人がその貴族の家の料理人だったとか。さらにそいつを殺したのが同じ家の使用人だったみたいで、殺人鬼がいただけじゃなく殺しまで行われたなんて不名誉極まりないだろ?」

 ああ。

『なあリーベ。お前は《ストヘス区の悪魔》を知っているか?』

 そんな。

「う……」

 よみがえる。

「あ、ああ……」

 すべてが。
 あの日が。

『それは俺のことだ!』

 あの冬の夜が!


ゲデヒトニス…記憶
(2014/06/15)
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