Novel
役者は揃った
「よし」
就寝前のこと。夜着を身につけた私は気合を入れて兵長の部屋へ向かった。緊張するし不安だし、恐怖も少しばかりはあるものの、それらを抑え込んで旧本部の通路を進む。一歩一歩、力を込めて目的地へたどり着いた。
立ち止まって深呼吸を三回。震えそうになる手で扉をノックすれば、兵長が出て来た。私を見てもその表情は変わらない。
「あ、あの……!」
そこで心拍数が一気に上がるのがわかった。
落ち着けと自分自身に言い聞かせ、私は呼吸の調子を整える。
「ええと、その……私……」
だが頭が真っ白になって、声にしようとしていた言葉を忘れてしまう。うつむいて手を握り、挙動不審になっていると、声が降ってきた。
「リーベ、明日は何の日だ」
「……え? 明日はストヘス区での作戦実行の日です」
顔を上げて私がはっきりと言えば、
「その前夜にお前が考えたようなことをやれば、明日は足腰が立たなくなるぞ」
「え、ええ!?」
思わず顔が赤くなって、同時にわけがわからなかった。
「それがわかったらさっさと寝ろ」
「あの、ちょっと! 待って下さいっ」
私は慌てて閉められそうになった扉へ追いすがる。このままではとても眠れない。
「じゃあ、どうして……兵長は私を呼んだんですか?」
私は昼の出来事を思い出す。
『今夜、俺の部屋へ来い』
兵長は確かにそう言ったはずなのに。
意味を履き違えたのだろうか。いや、でも、どう考えてもあれは――そんな風に記憶を探っていると、
「知りたかっただけだ」
静かな声に、私は首を傾げるしかなかった。
「……何を、ですか?」
兵長の手が伸ばされたかと思うと、私の髪を軽くすくい上げる。少しくすぐったい。
「お前が俺をどう思っているのか。どこまで俺に委ねているのか。――抱かれてもいいと思っているのか」
やさしい指先は頬をなぞったかと思えば、するりと首筋へ這わされる。無意識に身体が跳ねた。
「お前の考えを、知りたかっただけだ。確かめたかっただけだ」
どうしよう。言葉が浮かばない。
指先から伝わる熱に意識のすべてが奪われてしまう。
「それだけだ。そしてその目的は達せられた。――だから、何もしない。今夜は」
「兵長……」
「試すようなことをされてクソみてえな気分だろ。その点については謝る」
指先と身体が離れて、私は思わず声をあげる。
「こんな回りくどいこと、しなくても」
「……回りくどくて悪かったな」
「ただ単に聞けばいいじゃないですか」
兵長が私に望んでくれることを、少なくとも私はしたいと思うのに。
「それに、どうして前日の今夜に呼んだんですか。昨日なら――その、まあ、何と言いますか……」
確かめるだけではなく事に及ぶことも出来ただろうに。
すると兵長はため息をついて、
「昨日はお前、会議の前にガキと話した後からずっと顔面蒼白だったじゃねえか」
アルミンと交わした会話の後のことを思い出してはっとする。
確かに彼の導き出した『真相』に心乱れてはいたけれど、そんなに酷い顔色だとは思わなかった。兵長がそんな私を案じていてくれたことも。
私が何も言えずにいると、兵長が扉を閉める仕草をする。
「さっさと横になって寝ろ。明日は早いからな」
「――兵長」
最後に一つ、問うことにした。
「どうして……」
「何だ」
「どうして兵長は、そんなに私を……」
私はじっと兵長を仰ぐ。
「大切に想って下さるのでしょうか?」
自然と込み上げた疑問に対して、
「馬鹿か、お前は」
兵長の額が私の額にやさしく触れた。
目の前にあるのは、真摯なまなざし。
「蔑ろになんざ出来るわけねえだろうが」
胸が甘く、あたたかく――狂おしいくらいに満たされて、どうすれば良いのかわからなくなる。
でも、自分が今『どうしたいのか』はわかった。
「兵長」
「何だ」
「おやすみの、キス、しませんか?」
私が言い終えるより早く、兵長がさらに顔を近づけて――唇と唇が触れる直前で止まった。
「たまにはお前からやってみろ」
その言葉に対して私は――とん、と軽く踵を上げて背伸びをした。
翌日。作戦決行日。舞台となるストヘス区へ向かう馬車の中で、私は先ほど技術班と交わしたやり取りを思い出してため息をついた。
『調査兵のジャケットがない?』
『最近消費具合が激しくてね、生産が追いつかない』
『そんな……。あの、ジャケットがないと困るんですけれど』
『君だってこの短期間に二着もだめにしただろう。それと似たようなことがどんどん増えて、しかも加速して起きているし。作る身にもなって欲しいよ』
『…………』
『それにこんな小さなサイズ、もともと生産数が少ないんだ。着る人間も多くないからね』
『その情報はいらないです』
そんなわけで、何の紋章も入っていないジャケットだけもらうしかなかったのだ。
自由の翼。
それがないとすごく寂しい。
私は自分で思っていたよりも、調査兵団の紋章が気に入っていたのだ。
でも――今の私は飛べないから、翼を持たないことはきっと相応しいのだろう。
肩の傷に障るので全身のベルトも外しているし、全体的に物足りない気分だった。
しかしそんなことでいつまでも気を落としてはいられない。
馬車に揺られて、ストヘス区の街並みを眺める。前に来た時から日数はそれほど経っていないのに別の街を見るようで不思議だ。
隣には、兵長。こちらは私服姿だった。そして私の前に座っているのは、
「これは立派な銃だ」
ゲデヒトニス家特注の拳銃を手に取って眺めながら興味深げに唸る団長がいる。
「この銃は一度の装填で十発まで撃てます。引き金の操作でシングルアクションもダブルアクションも可能です。安全性と機能性を備えています。強いて難点を挙げるならこれは口径が小さいので威力に欠けることでしょうか」
「ふむ。貴族の財力と権力があるからここまでのものが作れたのだろうな……」
考え込むような声に私はふと気づく。
「ああ、そういえば。団長、ゲデヒトニス家の異名をご存知ですか?」
「異名? 知らないな」
団長が拳銃を私へ返しながら眉を寄せる。私はそれを受け取り、太腿のホルスターへ戻した。隣から兵長の視線を感じた。
「俺も知らねえ」
「兵長もですか? 知らないのにアルト様に『これ』を作らせたんですね」
私が驚いていると兵長は眉を寄せる。
「どういう意味だ」
「ゲデヒトニス家は――」
そこで馬車が止まった。私は会話を打ち切る。
目的のポイントに着いてまず団長が馬車を降りれば、憲兵がぞろぞろと立ち塞がる。その様子に小さく嘆息して次に兵長が出た。
私も降りようとしたその瞬間、
「!」
閃光と轟音がストヘス区を支配した。
驚きはしたが、何が起きたのかは想像に難くない。
衝撃をやり過ごして私も馬車を降り、兵長の隣へ並ぶ。
「兵長」
「ああ」
エレンかアニのどちらかが巨人化したらしい。いや、冷静に考えてアニだろう。エレンが一人で巨人化する必要はない。どうやら一次捕獲は失敗したようだ。二次捕獲へ上手く移れるだろうか。現場の状況がわからないのがもどかしい。
でも、だからこそ、私はここで私に出来ることを果たそう。
「護衛班! ここはいい! 状況を見てこい!」
「了解です!」
すぐそばで憲兵たちのやり取りが聞こえる。喧騒と悲鳴に、平穏は完全に打ち破られていた。
「ナイル、すぐに全兵を派兵しろ。巨人が出現したと考えるべきだ」
「な……何を言ってる! ここはウォール・シーナだぞ!! 巨人なんかが現れるわけない!!」
冷静な団長の声に対して強い動揺の声。憲兵団のトップ、ナイル師団長のものだ。
「エルヴィン、お前……一体……何をしている?」
意識してはいなかったが、兵長のそばに立つことで死角にいる私の姿はナイル師団長から見えないだろうなと思った。
ふと隣に立つ兵長を見れば、遠くを仰いでその拳をぐっと握りしめていることに私は気づく。
この人は今、何を想っているのだろう?
「動ける者は全員続け! 女型捕獲班に合流する!」
団長が手早く立体機動装置を身に付け終えて命令を発した時、私の意識は自然と研ぎ澄まされた。
そして、
「エルヴィン、待て!」
ナイル師団長がライフル銃を手にした瞬間――その銃口がエルヴィン団長へ向けられるより先に、私はホルスターから拳銃を抜き、すでに一発を撃っていた。
「!」
その瞬間に起きたことを、ナイル師団長は信じられないというように目を見開き、そして死角から現れた私を見る。
「お前……」
かすれた声だった。
「リーベ・ファルケ……?」
そこで私が思い出すのはミケ分隊長と昨日交わした会話。
『憲兵団師団長ナイル・ドーク。――お前はあいつと知り合いなのか?』
『……二回しか会ったことのない人をそう呼ぶのなら』
ああ、この人と会うのは今日で三度目だ。
「お久しぶりです、ナイルさん」
私は拳銃を構えたまま挨拶した。
ナイル師団長の持つライフル銃からは、引かれるべき引き金が破壊されていた。
私の撃った弾丸によって。
(2014/05/29)