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そして絶望の名を知る
「アルミン、頭の包帯はもう外したの?」
夜。今後に関する作戦会議が旧本部内で行われるよりも先に、私は呼び出された。その部屋には金髪の少年が一人でいた。
「はい、問題ありません」
「なら良いけど。――さすがだね、エルヴィン団長の補佐なんて」
「いえ、そんな……。僕の考えはまだ推測の域を出ませんし、証拠もありません。なので少しでも情報が必要です。ご協力をお願いします。リーベさんにどうしてもお聞きたいことがあるんです」
アルミンは表情を険しくしたまま続けた。
「今回の壁外調査で、女型の巨人と対峙された時のことを詳しく教えてください」
「女型と?」
「エレンたちが誘導ポイントへ行くまでの時間を単身で稼がれたでしょう? そして――生き残った」
「そうだけれど……」
私はその時のことを思い出す。
『私が相手だ、女型の巨人!』
もちろん憶えている。
「……私に出来たのは『生き残ったこと』だけだよ」
「そのことに意味があると思います」
アルミンのまなざしは力強かった。
「だから、お願いします。教えてください」
「――わかった」
まっすぐな青い瞳に、私は頷いた。そして記憶を探る。
「ええと……足止めしようと女型の周りで速力を削ごうとしたけれど、うまく出来なかったの。それから……深追いして判断を誤った時に肩を抉られて、その隙に身体をつかまれて……」
さっきも言ったように、私は何も出来なかったに等しい。
「あとは、上に投げられて墜落死させられそうになっただけ。それで終わり」
「墜落死?」
アルミンが首を傾げる。
「リーベさんはミケ分隊長に助けられましたよね?」
兵長も助けに来てくれたよと言いかけたものの、会話に必要ないことだと判断して私は頷く。
「うん、そうだよ」
「上へ投げることで、誰かに受け止めてもらえることを女型は見越したと思いませんか?」
今度は私が首を傾げた。
「それだと私、死なないのに?」
「ええ。可能なら殺したくなかったんじゃないでしょうか。少なくとも躊躇はしたはずです。女型はリーベさんを即死させることが出来たのに、そうはしなかったんですから」
「……何を言っているの、アルミン」
言葉の意味がわからなくて私は首を振った。
「肩へこんな怪我をさせられるくらいに直前まで殺す気満々だったのが、急にそうなるなんておかしいじゃない? やっぱり落下して死ぬことを狙ったと思うよ?」
するとアルミンは考え込んで、
「もう一度、負傷してからのことを教えて下さい。今度はより詳しく」
「ああ、うん」
私はまた思い出す。
「痛みに気を取られて離脱が遅れたの。その瞬間に立体機動が壊されて、身体は女型の手に捕まって……握り殺されるかと思った。でも、その時にエレンが私の名前を叫んで、そしたら――」
あの瞬間のことは憶えている。
「女型の巨人が私を見た」
長い長い、一瞬のことを。
「それで次の瞬間には上へ放り投げられたの」
アルミンがまた考え込むように顎へ手を当て、やがて口を開いた。
「エレンなら、もっと早くに名前を呼びそうですけれどね。リーベさんが負傷された時とか」
「あ、そうだ」
同時に私は思い出す。
「あの瞬間にフードが外れて顔が見えたからエレンは私だとわかったんだよ。立体機動中にフードなんて被られたら顔が見えなくて、班員同士くらいしか見分けつかないしね。だから雨の時とか訓練でも大変で――」
「『フードが外れて顔が見えた』?」
アルミンが眉を寄せる。わけがわからないといった様子だった。
「どうしてフードを?」
「え? ああ、女型に追いつく直前に突風が吹いて、それで……」
何やら食い付いた様子に、私は戸惑う。
「じゃあ、女型はずっと顔が見えなかったんだ。……そうか……だからリーベさんは……」
「アルミン?」
「つまり女型の巨人はエレンの声を聞き、リーベさんの名前に反応したということです。顔を見て、確認まで行った。それまで向けられていた殺意と負傷の理由は、自分を害するだけの調査兵だと思っていたからです」
「…………」
「リーベさんを知っていたんですよ、女型の巨人は」
私が言葉を失っていると、アルミンが続けて言った。
「リーベさんはソニーとビーンが殺された時、団長の問いかけに答えることが出来たと聞きました。なら、敵は壁の中に――兵士の中にいるとわかっているはずです」
そういえば、そうだった。
そんなことはすっかり思考から遠ざけていたけれど。
「兵士の、中に……」
「ええ。――僕たち104期兵の中にいると思われます」
突如絞り込まれた事実に、私は目を見張る。
「104期に……? ちょっと待って、どうしてそんな……」
そしてアルミンは順番に説明を始める。
彼自身も女型の脅威から逃れたこと、そして同期しか知らないエレンのあだ名『死に急ぎ野郎』の言葉に反応した女型のことを。
「そして、リーベさんは僕たちの訓練兵一年目に炊事実習へ来て下さっていたでしょう?」
「……だから、私のことも巨人の中身の誰かは知っていた、と」
「そうです」
「……違うよ、アルミン。だって――」
私は首を振る。どうにか目の前にいる少年の考えを否定したかった。
「だって、ほら。もう三年も前だよ? それ以来は会ってもいない私のことなんて普通、忘れていると思うけれど」
あの子たちは、そんな薄情な子じゃない。現に壁外調査前の『借り人競争』の時だって、みんな私の名前を呼んでくれたのに。
私はただ、違うと言いたいだけだった。
そんな風に目を背けるような真似は、許されるはずもないとわかっているのに。
「もう一つ、お聞きしたいことがあります」
どうしようもない私に対し、アルミンがまた口を開く。
「リーベさんは先日、出資者の一角であるゲデヒトニス家へ行かれたそうですね」
よみがえるのはアルト様の優しい瞳だった。
そして、今朝に見た夢もまた思い出した。
「……うん、資金援助の関係で。当主の方を昔から知っていたから」
一体何が聞きたいのかと思いながら私が頷けば、アルミンが続ける。
「ゲデヒトニス家があるのはストヘス区です。――リーベさん、そこで誰かに会いませんでしたか?」
記憶がよみがえる。あまりにも、鮮やかに。
『あの、覚えてるかな? あなたが訓練兵だった時に炊事実習に行った――』
『リーベさん。覚えてますよ』
どうして。
『憲兵団? じゃあ十番内に入ったんだね』
『四番でした』
そんな。
『憲兵団の本部で良ければ休まれますか?』
『ううん、ありがとう。平気だよ』
そこでやっとわかった。
目の前にいる少年は、すでに女型の正体を割り出していたのだと。
私との会話は、単にその『答え』を固めるだけに過ぎないのだと。
もう、目は逸らせない。
「アルミン、どうして……?」
自分の声が驚くほど掠れているのがわかった。
「それは――」
アルミンはソニーとビーンが殺された際に行われた立体機動装置検査のことを話し始めた。
「…………」
でも、結局はまだ推測の域を出ない。証拠もないことだ。
なのに、私はもう何も言葉にすることは出来なかった。
(2014/04/07)