Novel
遠くても寄り添う影

『まだ話していないことは必ず話せ』

 兵長の言葉は。

『お前が重荷に感じているものは全部だ』

 いつも私の心を見透かすようだ。

『泣きたきゃ泣けばいいだろうが』

 でも、私は。

『お前が俺に甘えたら、それを好ましく思う』

 私は――




 ため息をつきながら食堂へ向かえば、そこにはエレンがいた。かなり憔悴した様子だ。

「エレン?」

 声をかければはっとしたように顔を上げ、

「……リーベさん」
「お腹空いてるでしょ、お昼作るから待っててね」
「あ、あの……」

 エレンが慌てたように立ち上がる。

「何か手伝うことはありませんか?」
「大丈夫だよ、ありがと」

 火を熾し、私はひとりで調理場の奥にある食糧庫へ向かう。そこで一度に大量の食材を抱えたせいで、肩に痛みが走った。――そんなにたくさんの材料はいらないよ、とでもいうように。

「…………」

 食材を戻して、必要な分だけ選び直す。そして調理場へ戻った。

「すぐに出来るからね」
「でも……リーベさんは負傷されてますし、やっぱり俺が代わります」
「そこまで酷い怪我じゃないよ。これくらい大丈夫だから座って待ってて」

 いくらか口調を強めれば、エレンが渋々ながら椅子にまた腰を下ろしてくれた。
 それを視界の端でそれを確認し、私は手早く刻んだ材料を沸騰させた水へ順番に入れる。そこから時間を測りながら鍋を混ぜていると、

「……すみませんでした」

 耳に届いたのはエレンの暗い声だった。調味料を振りながら、私は耳を傾ける。

「俺のせいで――俺が、選択を間違えたから。もっと早く巨人化していれば。だからリヴァイ班は……リーベさんも怪我を……」

 顔を向ければ、うつむくエレンが膝の上で強く拳を握っていた。手のひらには爪がくいこんで、血が滲んでいるのではないだろうかと思うくらいに。

「俺が……仲間を、信じたいと思ったから。そうするのが都合がいいからって」

 私は一口分を皿へ取り分け、味見する。よし、完成だ。
 簡単に作った出来立ての特製スープを鍋から皿へ大量に移し、私はそれをエレンの前に置いて彼の隣へ座った。

「『仲間を信じた自分のせい』、か」

 その言葉を反芻しながら、想う。
 これまで共に過ごした、彼らのことを。

「でも、『信じる』ことを選択したのはエレンだけじゃなかったでしょう?」
「え?」
「『私たちを信じて』――そんなことを、皆は言わなかった?」
「それは……」

 エレンが見せた表情で、私の予想は正しいだろうとわかった。
 私は言葉を続ける。

「私の怪我が私の選択と結果であるように、『信じる』とか『信じてもらう』とか――選択は、全員が、それぞれにしたことじゃないかな」

 だから結果がどれだけ哀しいものだったとしても。

「それは誰とでも出来ることじゃないし、兵士の間では尚更必要なものだと思う。決して『都合のいい』ことじゃないよ」

 どうか、そんな哀しいことを言わないでほしい。

 しばらくしてエレンがかすれた声で言った。

「……リーベさん」
「うん」
「やっぱり、俺は……俺のせいだと思うんです」
「……そっか」

 トロスト区奪還作戦や、今回の壁外調査では多くの兵士が死んだ。けれど、エレンのためだけに彼らが死んだのではない。それは彼らそれぞれが思い描く未来のためでもある。彼らそれぞれが願う希望のためでもある。少なくとも私はそう思う。
 だから、エレンがそれで苦しまなければいいと思う。何もかもすべてを自分のせいだと、必要以上に思い詰めることをしないでほしい。

「ねえ、エレン」

 だから、私は――

 私にエレンの心を癒すことが出来ないとしても。
 誰にそんなことが出来るかは知らないけれど。
 そんなことが可能なのかはわからなくても。

「お願いがあるんだけれど」

 ただ、何も言わないことはしたくなかった。

「食事が終わったら、対人格闘の訓練に付き合ってくれない?」




 薄青が広がる空の下、私たちは向き合う。エレンは不承不承といった様子だ。

「リーベさんは怪我されてるのに」
「だからこそ、いざって時に自分がどこまで動けるか把握しておかないと。ね?」

 改めて頼めばエレンは神妙な顔つきになって、

「……わかりました」

 仕方なさそうに頷き、戦闘態勢に入る。私も同じように構えた。

 エレンと組むのは別に初めてではない。旧本部にいた頃は何回か手合せしたことがある。とはいえ、今は互いの全力を尽くすことが重要なのではなく、主に行ったのは動作の確認作業だった。
 相手の力を利用して正確に投げる、最小限にうまく攻撃を受けるなど、様々な動きを繰り返す。
 基本動作を一通り何度も行って、負傷した左肩へ負担をかけなければ割と動ける事実に安心した。私がそう思えたのは――

「エレンが相手になってくれたおかげだよ、ありがとう」

 休憩中、私は言った。何もかもを自分のせいだと思おうとする少年へ少しでも響きますようにと願いながら。

「基礎の動作をきちんと踏んでくれたから本当に助かった。それに強いし、さすが104期対人格闘成績トップ!」
「……それはミカサで俺は二番です」
「そうだっけ」
「そうです。でも、リーベさんだって――」
「あ、そうだ!」

 104期の面々を思い出し、私は長らくエレンに話したかったことをやっと口にする。

「前にストヘス区へ行った時、アニと会ったよ」
「そういえば俺たちの中であいつだけが憲兵に……」
「元気そうだったし、私を覚えていてくれて嬉しかった」
「いや、リーベさんを忘れる恩知らずはいませんよ」

 エレンはため息をついてから、

「話を戻しますけど、リーベさんだって強いじゃないですか。俺はそう思います」
「お世辞はいらないのに」
「お世辞じゃありません。訓練兵時代の成績も十番内では?」
「対人格闘は何番だったかな。……総合卒業成績は十六番だったけれど」

 伸びをしながらそうこたえれば、

「あと少しだったんですね。――ああ、そうだ」

 エレンが思い出したように言った。

「三年前に聞きそびれたんですけれど、リーベさんはどうして調査兵団に?」
「そういえば話しそびれてたね」

 懐かしいなと思いながら私は話した。

「この場所が一番戦えると思ったの」

 戦うことが出来ると知ったあの夜。

「だって、戦わないと」

 その時に、わかったのだ。

「自分が生きていることを蔑ろにされた時、負けてしまう」

 相手が人間でも、巨人でも、それは同じだ。
 だから戦うことをやめることは出来ない。
 だって、もしも敗れたならその時は――

『もっと俺を楽しませろよ、なあリーベ?』

 頭を殴られたような衝撃で『あの男』の声がよみがえって、息を呑む。

 最近どうしたんだろう。今までは忘れられないことも思い出さないように制御出来たのに。今朝は夢まで見てしまった。

 だが、原因はわかっている。――ゲデヒトニス家だ。
 壁外調査前、アルト様と会うためにあの家へ行った時からどうもおかしい。
 あの時は平気だと思ったけれど、やはり記憶のどこかを刺激でもしたのだろうか。

「リーベさん?」

 エレンの声にはっとする。私よりもずっと背の高い少年の瞳が心配そうに翳っていた。

「今日はこれくらいにしましょう。顔色が悪いし……もう充分動かれたと思います」
「ん……そうだね、エレン」

 私は微笑んで、エレンと旧本部内へ戻った。――きっと、うまく笑うことが出来ていたと思う。


(2014/03/14)
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