Novel
抱擁へ至る一つの過程

 夢を見た。
 ゲデヒトニス家の屋敷の中。
 灯りがなくてとても暗い、真夜中の廊下。
 壁にはあの頃の当主だったアルト様のお父様の蒐集品がたくさん飾られていた。




 壁外調査から帰還し、調査兵団本部の医務室で一夜を過ごした私は朝になって目を覚ます。

「ん……」

 肩の疼きで現状を思い出し、女型に裂かれた部位へ意識を集中させた。
 身体を起こして、ゆっくりと動作確認を行う。特に問題は感じられない。出血はひどかったが、幸いにも骨や神経に異常はなさそうだった。
 発熱もなく、これなら大丈夫だと楽観しているとそこで医者に見つかって、診察と戦闘面における厳重注意を受けた。
 渋々納得してから身支度を整える。ジャケットを手に取れば肩口が派手に裂けていて、これはもう着られないと思いながら私は兵舎の自室へ戻った。そして立ち尽くす。

「……そうだった」

 グンタさんからもらった花が活けてある。
 エルドさんがくれた飴玉がまだ残っている。
 ペトラのために縫った刺繍のスカートがある。
 オルオさんにまだ返していないスカーフがある。

「…………」

 誰も死なない壁外調査をこれまで経験したことはない。

 だから、わかっている。

 これはひとりで乗り越えるしかない痛みで、重みで、虚ろなのだということを。




 しばらくして空腹を感じた私は部屋を出た。食べないとやっていられない。食欲があるのは良いことだと自分に言い聞かせながら。
 食堂に入れば、時間帯が朝食と昼食の間であるためか誰もいなかった。
 調理場も無人だったので、自分で手早く簡単なものを作る。これくらいの動作は普段と変わりなく出来た。
 完成したものを食べていると、

「リーベ、肩の具合はどうだ」

 ミケ分隊長だった。私が話せば、いくらか安堵したように息をつく。それから丸めた書類を差し出した。

「調査兵団幹部王都召集に関する書類だ。食事を終えてからでいい、リヴァイへ届けてくれ」

 今回の壁外調査の結果、調査兵団の支持母体は失墜した。
 団長など責任者が召集されるのみならず、エレンの引き渡しも決まったらしい。

「……はい」

 巨大樹の森で意識を失う前は女型が捕えられて、これで大丈夫だと思ったのに。
 目覚めてからはもうずっと、悪夢を見ているようだ。醒めない悪夢を。

 分隊長が言った。

「次の指示は数日後に出す。それまではお前も旧本部にいろ」
「了解です」

 それから――何を思ったのか、分隊長は私の頭を撫でた。わしゃわしゃと、髪が乱れるくらいに。

「よく生き残った」
「……分隊長はいつもそう言いますよね」
「当たり前だろう」
「…………」

 私にとっては、違う。

「――当たり前じゃないですよ」
「ん? 何か言ったか?」

 私は首を振る。

「いいえ、何も」




 馬を繋ぎ、私は旧本部を仰ぐ。燦々と太陽の光を受けているのに、どこか影を感じてしまうのはなぜだろう。
 扉を開けて足を踏み入れれば、そこは誰もいないような静けさに満ちていた。

「…………」

 ああ、そうだ。そんなのは当たり前だ。
 だって、もうほとんど誰もいないようなものなんだから。

 ぼんやりしていると広間の扉が開いて、声をかけられた。

「リーベ?」

 誰だろうと思うまでもない。兵長だ。兵服ではなく私服を着ている。

 私は歩み寄り、ミケ分隊長から命じられた書類を渡した。

「幹部王都召集に関する書類です。お目通し願います」
「……わかった」

 すぐに目を通すことはせず、兵長は私を見つめる。

「怪我の程度は?」

 私は説明しながら、彼も負傷していたことを思い出す。

「兵長は……」
「安静期間はお前と同じくらいだ。立体機動は無理だが、普段の生活に問題はないこともな」

 その言葉に私がほっとすれば、兵長が続けて言った。

「よくやった」
「え?」
「あの時、お前たち後列の班が命を賭して戦ったから時間が稼げた。あれがなければ一度でも女型を捕らえることは不可能だった」

 班長たちのことを思い浮かべて私がうつむけば、

「それに――」

 そっと手が伸ばされて、兵長の指先が私の頬へ触れた。輪郭をたどるように、やさしくなぞる。

「お前は生きて、ここにいる」
「…………」

 無事に生きていることを称賛されるのは不思議な心地になる。
 それが時に、褒められたことではないと知っているからだろうか。
 身を守ったから奉公先を追い出されて、居場所がなくなったのが良い例だ。

 かつての奉公先――ゲデヒトニス家。

 今朝見た夢を思い出していると、

「リーベ?」

 呼びかけにはっとする。

「すみません、ぼんやりしていました。――数日はこちらへ待機するように指示されたので、何かあれば呼んで下さい」
「……リーベ」
「あ、もうお昼ですよ。私はさっき食べましたけれど兵長たちはまだですよね? 私、作ります。出来たらお呼びしますから待って――」
「おい」

 兵長の強い口調に遮られて、調理場へ向かおうとした足が止まった。

「……泣きたきゃ泣けばいいだろうが」

 唐突な言葉に驚いてしまう。

「何です、急に」
「泣き顔のくせに涙が出てねえから言ってやっただけだ」

 一体どんな顔をしているのだろう。確認する気はないが。

 私が黙り込んでいると、兵長が続ける。

「――お前が泣けば、抱き締めるくらいしてやる」

 その言葉のやさしい響きに身体が震えた。抑え込もうとしても出来なかった。

「兵長」
「何だ」
「……泣かなきゃ、そうしてもらえないんですか?」

 まるで子供のように訊ねると、兵長は呆れたような顔をして、

「馬鹿か。そうじゃねえよ」

 まっすぐなまなざしで私を見下ろす。

「ただ、俺は」

 少し、もどかしそうな声だった。

「お前が俺に甘えたら、それを好ましく思う」

 覚えておけよと言葉を付け足し、するりと最後にまた私の頬をなぞってから、兵長は広間へ戻っていった。


(2014/02/26)
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