Novel
飛べない鳥の末路と同じ
私の身体は投げられた。
木々や地面へ叩きつけられるではなく――真上の、大空へ。
「!」
瞬く間に高い空の中。
同時に記憶がよみがえる。
849年の誕生日。
兵長と一緒に空を飛んだこと。
とても美しい世界を見たこと。
それなのに――。
どうして今は、こんなに哀しい空の色なんだろう。
どうして今は、こんなにもひとりきりなんだろう。
耳元で鳴る、風の唸り声。
それだけが聞こえる中、やがて女型に投げられた勢いのまま上昇していた私の身体が重力によって落下を始める。
そして空の青が私の肩から流れる血の色と混ざったその時、爆音と閃光が空まで轟いた。
エルヴィン団長の作戦が発動したに違いない。恐らくあの女型の巨人を捕獲したのだ。――それが、今回の壁外調査の本当の目的だった。壁の内側にいる敵。エレンを狙って来るに違いない存在。それを捕えられたなら、作戦は成功だ。
しかし今の私にはそれどころじゃない。立体機動へ移ろうにも完膚なきまでに破壊されたし、一部はすでに身体から離れているのだ。
落ちる。
落ちていく。
このままだと墜落死だ。恐らく女型の巨人は握りつぶすまでもなく、こうすれば私が死ぬと思ったに違いない。そしてその考えは正しい。
「っ……!」
そんなのは――嫌だ。嫌だ!
一気に恐慌状態へ陥って、悲鳴を上げることさえ出来ない。
どうしよう。どうすればいいの?
どうすることも――出来ないの?
こんな風に諦観に苛まれたことは過去に、十二歳だった冬の夜にもあった。
『リーベ、お前には何も出来ねえよ。それを教えてやる。――絶望の何もかもと一緒にな!』
記憶の彼方、冷たい暗闇から声がする。
「い、や……」
呼吸が止まるかと思った瞬間――同時に、覚悟が決まる。『あの時』のように。
ここで諦めてたまるか!
「私、は……!」
歯を食いしばり、意識を切り替える。眼下へ顔を向ければ、どんどん木々が迫って来ていた。
そうだ、ここは巨大樹の森。木を緩衝材にして落下速度を落とし、右手で枝を掴むなり身体を引っかけることは出来ないだろうか。――いや、出来ると思うしかない。
このまま風に流されなければ可能だと踏んだその時、
「リーベ!」
声がした。聞きたくてたまらなかった声だった。
木々の中からその人は立体機動装置で飛び出して来た。一気にこちらへ向かってくる。
「兵長……!」
その姿を見て、思わず声が震えた。
距離はあっという間に縮められる。あと少しだ。
兵長が手を伸ばし、私も力いっぱいに右腕を伸ばした。互いの指先が触れ合う。
もう大丈夫だと思った矢先――それはかすめるだけに終わった。
「!」
「っ!」
つかみ損ねた手に、目を見開く兵長。
私だって、信じられなかった。
落下は――止まらない!
「クソッ」
上空で身体の向きを即座に切り替えて兵長がこちらへ向かって来ると思った瞬間。
私はまだ宙にいるにもかかわらず背中から何かにぶつかった。
「うっ」
「しっかりしろリーベ!」
ミケ分隊長だった。
上空で私を受け止めた分隊長は、そのまま手近な枝へ降りる。
「医療班はどこだ! 手当を頼む!」
その叫びに「こちらです!」と応える声があった。
異常事態に肩の痛みをすっかり忘れていた。意識した途端に激痛が走る。
「っ……」
痛みに気が遠くなりながら空を仰げば、兵長が少し離れた枝の上に着地していた。そしてこちらを一瞥すると団長の元へ向かって行くのが見えた。
その姿を見送る前に、私はミケ分隊長によって医療班へ運ばれる。肩の傷が酷いことになっているのは見るまでもないことだった。
でも、生きている。死んでいない。
途端に視界がぐらりと歪んだ。緊張状態が緩んだのだろう。そう認識していると、ゆっくり身体が下ろされる。
そして医療班の人に傷を診てもらう中、ミケ分隊長が言った。
「リーベ、もう大丈夫だ。――気絶しておいた方が楽だろう」
「……今、気を失えばもう何も出来なくなります」
「その怪我で何が出来る」
言い返そうとしたのに、刺すような痛みが私の言葉を遮る。
「死ぬぞ、お前」
「…………」
死を何より恐れるわけじゃないけれど。
ミケ分隊長の言葉とその表情がとても厳しくて、私はうつむく。
「……壁外で気絶なんてしたらその時点で終わりですよ」
「生きているんだ。連れ帰るに決まっている」
そんなやり取りをするうちにもう限界だった。どれだけ叱咤しても、身体が言うことを聞かない。
「……分隊長、すみません」
「お前はもう十分やった」
ミケ分隊長の言葉を最後に、私は目を閉じる。そして意識を手放した。
目を覚ました時、私は荷馬車の上にいた。走っているのか、ごとごとと揺れている。どうやらまだ壁外にいるらしい。
あれからどうなったの?
女型の正体は判明した?
「ぐ……っ!」
身体を起こせば、手当されたらしい左肩がまた疼く。思わず顔をしかめていると、
「リーベさん……?」
声をかけてきたのは馬で並走しているミカサだった。どうして彼女がここにいるのかと疑問に思って、すぐに理由はわかった。私の隣でエレンが横になっているからだ。
「……ん?」
エレン?
どうして彼がここにいるのだろう。さらに意識を失っているようだった。
そのことに思わず眉を寄せてしまう。
「どうしてエレンが……」
「それは……」
結局――女型の巨人を取り逃したことをかいつまんでミカサは説明してくれた。その際にエレンがさらわれかけたこと、兵長が彼を取り戻したもののミカサの失態を庇って負傷したことも。
「そんな……」
作戦は成功したのではなかったのか。
意識を失っている間に起きたことに対して言葉を失っていると、
「今はカラネス区へ帰還することが最優先されています。もうすぐ壁です」
「……そう」
またしても視界が歪み、座っているにもかかわらず身体がふらついた。
その様子を見たミカサが、
「横にならないと……。出血がひどいと医療班が話していました」
その通りにすべきだ。わかっている。
けれど、どうしてだろう。
「ミカサ」
口が勝手に動いて、私は訊ねた。
「特別作戦班は?」
なぜエレンが一度でもさらわれたのか。彼を守る存在でもあった彼らは一体どうしたのだろう。
「……特別作戦班は――」
ミカサは一度口を閉じた。そして正確に事実を教えてくれた。
その瞬間、強い風が吹いた。
「…………」
考えてみれば、先程の話に彼らが出て来なかった時点でどうして気がつかなかったのか。自分の愚かさを痛感すると同時に、私は顔を逸らした。そして目の前にある現実から逃げるようにうつむく。
『すごく素敵! ありがとうリーベ!』
『自分を大事にしろバカヤロー!』
『お前は立派な兵士で、可愛い女の子なんだからな』
『リーベに似合うと思ったんだ』
信じられない。
こんなにもはっきりと思い出せるのに。
もう二度と、彼らの声を聞くことは出来ないのだ。
(2014/02/06)