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Kampf!!
第57回壁外調査の朝。
私は今日の『作戦』をエルヴィン団長から聞いた時のことを思い出しながら、馬を引いて班長の元へ向かっていた。その途中、背中を強く叩かれる。振り返れば三つの人影があった。
「死なねえ程度にやれよ」
「わかってますよゲルガーさん」
「気を付けて、リーベ」
「ナナバさんも」
「いつもと違う班だと俺は不安だ」
「トーマさん、そんなこと言わないで下さい」
私が苦笑していれば、ゲルガーさんが説教でもするような口調で言った。
「いいか。よく聞けよ、リーベ」
「何ですか」
「お前はまだ巨人相手に単身撃破は出来ねえんだからな。お前が討伐する時はいつだって俺たちの誰かが補佐してんだ」
その通り。いつかは一人で倒せるようになりたいと思うけれど――今の私には無理だ。冷静に自分の力量を把握している。
「だがまあ、平均的に数十人で一体を仕留めるところをだな、数人で一体が殺せる戦力になるまで成長したことは誉めてやる」
「それはどうもありがとうございます」
「つまり俺が言いたいのはだな――ひとりで突っ込むなよ。今回の班員とちゃんと連携してやれ」
最後の言葉と同時に、ゲルガーさんは私の頭を軽く叩いた。
「――はいっ」
私が強く頷けば、丁度ミケ分隊長がやって来た。
「何だ、お前たち。一緒にいたのか」
別に、ミケ班が召集されたわけじゃない。
けれど、自然と集まってしまうことが何だかおかしくて笑ってしまう。
「今回の壁外はいつもと違う構成になったが、やはりこの面々で集まると安心するな」
ミケ分隊長はそんなことを言ってから、表情を引き締めた。
「さて――行くぞ、お前たち」
「はっ!」
私たちは敬礼をして、それぞれの持ち場へ向かって足を踏み出した。
開門直前。最後尾で班長たちと合流し、そろそろ馬に乗ろうかと思っていると、私たちの前を走ることになる特別作戦班がやって来た。彼らがどこを走るのか正確に知らされている兵士は多くないので、最後に位置へ着くのだ。
私の姿を見つけると、オルオさんはあっかんべーをするように舌を出したと思ったら、誰かに背中を突き飛ばされて盛大に舌を噛んだ。そのすぐ背後にいたペトラが綺麗なウィンクを投げてくれた。
前の二人を見て笑うエルドさんが挨拶するように鷹揚に手を挙げ、グンタさんは「おはよう」と口の動きをして見せてくれた。
初めての壁外調査となるエレンは少しばかり緊張した面持ちで、私を見つけると慌てたように頭を下げた。
そして彼らの一番後ろを歩くのは――
「……死なねえ工夫はしろよ」
すれ違いざまに聞こえた言葉。私の耳だけに届いた声。いつもと変わらないその口調。
想いのすべてを声にして告げることが出来たらどうなるだろう、と思ったことがある。確か、前回の壁外調査の時だ。何も変わらないだろうか、と私は考えたのだ。
でも――変わらないわけがない。変わってしまう。変わらざるをえない。
けれど、変わらないものだってある。そのことが何だか無性に嬉しかった。
「はい」
頷いた私の横を兵長が通り抜ける、ほんの刹那の間――指先と指先が触れ合って、絡み合った。
兵長から伝わるぬくもりに、はっとした時にはもう離れていて。
「…………」
こんな想いの伝え方もあるのだと教えられたような気がした。
「間もなく開門だ。全員馬に乗れ」
班長の指示で私は思考を切り替え、班員の先輩たちと共に馬へ跨った。
やがて前方からエルヴィン団長の声が轟く。
「第57回壁外調査を開始する! 前進せよ!」
限りない大空の下。
壁の外を走っているけれど、一番後ろなだけあってこれまで巨人との戦闘はない。
「右翼側壊滅的打撃!」
しかし事態は最悪だ。伝達された報告に心臓を鷲掴みされたような心地になる。
ああ、本当に脅威がやって来た。まだいくらも走っていないのに。
エルヴィン団長の読み通りに事が進んで、空恐ろしくなる。
間違いなく『何か』はやって来る。もうすぐそこに。
予感の通り、『それ』は私たちの視界にも現れた。
「う、わ……」
14m級はあるだろうか。報告通り右翼側から。しかしまだ私たちの班から距離があり、討伐しようにも追いつけない。
「女型の巨人か……。あいつを止めるぞ! 全員加速しろ!」
目的に向かって馬で全速力で駆けながら、班長が言った。班員全員で「了解!」と答える。
その時だった。巨人が、巨大樹の森へ入っていこうとしていた瞬間。追いついた兵士を大きな手でわしづかみにしたかと思うと――そのまま握りつぶし、地面へ叩きつけた。
「!」
殺した!
通常種などとは一線を画するその動作に言葉を失ううちに、私たちも巨大樹の森へ着いた。
「ここから立体機動に移る! リーベ、お前は俺たち全員の馬を森の入口へ繋いでから合流しろ!」
「優先すべきは巨人です! 私もこのまま行きます!」
「毎晩班会議しただろうが! 馬を蔑ろにするんじゃねえ! 忘れたか!」
私はぐっと感情を抑えて応じる。
「了解です!」
班長と先輩方が馬の上から立体機動を駆使し、女型を追って森の奥へ消えていく。
私は指示通り五頭すべての馬を入口へ繋いだ。
その時、森の中から音響弾が響いた。ああ、この合図は――。
即座に私も立体機動装置で巨大樹の森へ入った。軽く地面を蹴った身体は一気に宙へ舞う。
そして――戦慄した。
「!」
死体。血。内臓。
拓けたその道は女型の進んだ道をあまりにも明確に、そして残酷に、おぞましく示していた。
あまりに圧倒的な、力。
思わず言葉を失い、ごくりと唾を飲み込む。
「……行かなきゃ」
ガスを吹かせ、全速力で追う。早く、早く!
恐怖はもちろんある。けれど、恐れることなんて後ででも出来ることだ。
私が今、すべきことは――
私に今、出来ることは――
ひたすらに木々の間を立体機動装置で抜ける。距離が思うように縮まらないのか、なかなか目標を視界に捉えることが出来ず焦る。
そうして追いかけている間に、班員だった先輩たちが押し潰され、握り潰され、すり潰され、死んでいる姿を見つけた。
「そんな……」
状況はどうなっているのだろう。
最悪の事態を想像したその時、
「進みます!」
この距離からでも聞こえた、その声。エレンだ。
特別作戦班の彼らが無事であることに希望を持ち、私はさらに速度を上げる。
そして今一度、女型の巨人の姿を視界に捉えた。
たった一人戦っているのは――
「班長!」
私が叫んだ時にはもう、彼は女型の手の中。そして絶叫も虚しく木にぶつけられて班長は上半身を失った。
「目標、加速します!」
「走れ! このまま逃げ切る!」
女型のすぐ前には、馬で疾走する特別作戦班の姿。エレン、ぺトラ、エルドさん、オルオさん、グンタさん、そして――。
兵長。
「っ……!」
だめだ、行かせてはならない。
私は自由を――あなたを、守りたい。
そのために、戦いたい。戦わなきゃ。
でも、ちょっと待って。
アンカーを樹々へ次々発射して追いながら私は思考する。
そばには、誰もいない。他の兵士は、誰も。班長も、目の前で殺されてしまった。
そんな、それじゃあ――私だけ?
私しか、ここにはいないの?
たったひとりだけ?
『よく聞けよ、リーベ』
聞いたばかりのゲルガーさんの声がよみがえる。
『お前はまだ巨人相手に単身撃破は出来ねえんだからな。お前が討伐する時はいつだって俺たちの誰かが補佐してんだ』
その通りだ。
私は冷静に、自分の力量を把握している。
『ひとりで突っ込むなよ』
迷いは、一瞬だった。
「くっ……!」
ごめんなさい、ゲルガーさん。
私はガスを最大限に吹かせ、前へ進みながらも一気に上昇する。
頭は冷静だし過信なんてしてないけれど――やらなければならない。
たとえこの巨人を倒すことが出来ないとしても、戦わないと。
少しでも、彼らが先へ進めるように。作戦成功のために。――時間を、稼ぐんだ。
同時に、これまでに見た兵士たちの亡骸が脳裏を過ぎった。
死ぬのは――嫌だ。
けれど。
それよりも恐れることがある。
だから。
死を恐れずに戦えばいい。
アンカーを前方へ発射し、私は声を上げた。
「待て!」
頭上から、ようやく追いついた。そして巨人の前方に向かって急降下。さらに加速をかける。もうすぐ敵の視界へ入るだろう。
来たるべき時に備えて刃を構え、叫ぶ。
「私が相手だ、女型の巨人!」
Kampf!!……戦え!!
(2014/01/11)
(2014/01/11)