■ 夢か現か

 よく晴れた日の朝、わたしは退院することになった。

「お世話になりましたー!」

 医療班の人たちに頭を下げて、鞄を手に歩き出す。
 一時は上半身と下半身がちぎれかけたのに、今は四肢がちゃんと動いて日常生活にほとんど支障なし。傷跡は残っているけれど、充分な完治だと思う。
 でも、立体機動を駆使する動きには耐えられないと診断されて、兵士をやめることにした。
 兵団へ未練はないとはいえ、わたしは家に戻れない。さてこれからどうしようかと考えていたら、女王に即位したヒストリアが孤児院の手伝いをして欲しいと声をかけてくれたおかげで最低限の生活は出来そう。

「とりあえず私物を預けてるサシャのところに行かなきゃ。お土産は、パンでいいかな……」

 考えながら歩いていると、走る子供たちに追い抜かされた。

「…………」

 日常生活にほとんど問題はない。でも、走ることは禁止されていた。

 けれど、もう、走ることなんてないだろう。

 この三年間ずっと、走って目指す先にいたあの人は、もういないから。

「イリス!」

 うつむいていた顔を上げると、前から来たのはアルミンだった。

「忙しいのに来てくれたの? ありがと」
「大丈夫、休暇もらったんだ」

 アルミンはわたしの手から鞄を持ってくれて、隣を歩き始めた。当たり障りのない近況報告を聞いた後、

「イリス、ベルトルトのことだけど……」

 アルミンがそれ以上話す前に、わたしは首を振る。

 ウォール・マリア奪還の際、エレンとアルミンが超大型巨人を討ち取った。そして巨人の力を手に入れたらしい。――ベルトルトを捕食することで。

 瀕死のアルミンが、周囲の決断によって、それを行った。

 わたしが意識を取り戻したのは、すべてが終わった後だった。

「どうしようもないことだったと思う。アルミンだって、自分が死にかけて起きたらびっくりしたでしょ。自分が巨人になってベルトルトを食べてたなんて」
「うん……そうだね……前後の記憶、まるでなかったし……」
「だから、あんまり、色んなこと背追い込まないで」

 わたしは深呼吸をして、震える感情を抑え込む。

「ベルトルトがいなくなっちゃって……悲しくて、寂しいけど……でも、アルミンが生きてくれて良かったとわたしは思うよ。それに、感謝しなきゃ。アルミンがいなきゃ今頃わたし牢屋にいただろうし」

 わたしは子供だった。自分のことしか考えず独りよがりに突っ走って、人類のために戦わずに、あの人だけを追いかけた。
 兵士としてそんなことが許されるはずがない。現に許されなかった。当たり前だよね。
 アルミンの揃えてくれた資料と口八丁のおかげでどうにか懲戒処分を免れたけれど最終的にそれが許されたのはわたしが子供だったからだと思う。

「…………」

 しばらくして、アルミンから地図を渡された。今後の生活については、まずこの場所へ行けばいいらしい。
 随分と辺鄙な所だなあと思いながらアルミンと別れて、また歩き出す。

 風が、ゆっくりと吹いた。

「会いたいなあ……」

 自然と感情が込み上げる。

 どうしても、抑えられない。

 まだ受け入れられていないせいかもしれない。ベルトルトの、死を。皆のようにその瞬間を見ていないから。話に聞いただけだから。

「ねえ、ベルトルト」

 今、わたしが生きているのは、手当てをしてくれた上に壁の内部にあった部屋で匿ってくれたおかげだよ。
 放ってたら死んでいたのに、どうしてそんなことしてくれたの?

 想いも問いかけも、どこへ向かうこともなかった。

 この行き場のなさは昔と少し似ている。結婚させられそうになって家を飛び出した、十二歳の時と。

 目指した訓練兵団。
 でも、行きたくて行くんじゃなくて。
 そこに行かないともう生きていけないから行くしかなくて。

 自分がどこを目指せばいいのか。
 自分が何をすればいいのか。
 自分が何を目指したいのか。
 自分が何をしたいのか。

 何も、わからなくて。

 立ち尽くしていた、そんな時、

『大丈夫?』

 そう声をかけてくれた男の子がいた。

 その優しい声の響きに、わたしは救われたんだった。

 懐かしさに浸っていると、大きな木の陰に車椅子で休んでいる人がいた。両足がない。元兵士なのかもしれない。腕は一応ついているけれど、一目で義手とわかる。ほとんど機能がない、ただの腕。
 しかも、その人は顔中にもぐるぐると包帯を巻いていた。片目と口は開いているけれど、かなり重症みたい。見える範囲の九割が包帯。
 わたしが言えた義理じゃないけれど、この人、よく生きていられたなと思う。

 それにしても気になるのは、車椅子なのに後ろを押す介助人がいないこと。両手が使える人ならまだしも、この人の状態ならいなきゃおかしい。もしかして放置されてる?

「……あの、良かったら後ろ、押しましょうか……?」

 思わず申し出た瞬間、やっとその人の目をまっすぐに見ることが出来た。

 世界の時間が止まったような気がした。

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………ど」
「…………」
「ど、どういうことなの……!」

 死んじゃったんじゃ、なかったの?

 信じられない。

 今、わたしの目の前にいるのは――

「話せば、長くなるけれど……」

 ベルトルトは、ゆっくりと話し始めた。巨人化したアルミンの中から瀕死の状態で発見されたことや、巨人化能力は脊髄から奪取されたことでもう不可能だとか――わたしには理解できない。そんな頭脳はないし、そもそも現状が理解できない。

 巨人に食べられても生きているだなんて――ああ、でも、前にいつだったか読んだ気がする。『アンヘル・アールトネンの功績』の本に、巨人の体内から生き残った人間がいたって記述があったような。

 でも、仮に前例があって、こうしてベルトルトが生きているとしても、不思議で仕方なかった。

「……どうして、会えたの?」

 こうして生きていても、表向きは死亡とされているのに。

 わたしがそれを知ることは、決して誰にも許されないはずなのに。

 アルミンに渡された地図を思い出して、周りを見ても誰もいない。見えないところにいるのかもしれないけれど、そうだとしてもこの状況が考えられなかった。

「……君なら僕を絆すことが出来ると考えたのかもしれない」

 その言葉に、思わず吹き出した。

「ベルトルトはわたしに絆されてくれないこと、わかってないね」

 肩をすくめれば、ベルトルトが切ない眼差しになる。

「向こうの情報を吐くつもりはない。巨人の力を失ったからには故郷へ帰れなくても、ここは敵地だ」
「何でもいいよ、そんなの、どうでもいい」

 夢でも構わない。

 彼が今、わたしの目の前にいてくれること。

 それだけで、わたしは――

「ねえ、ベルトルト」
「イリス。それでも僕は君に伝えたいことがある」

 思い上がりじゃなければ、きっと今、わたしとベルトルトは同じ感情を共有していると思う。

 気持ちが通じ合うって、きっとこういうこと。

「生きていてくれて、ありがとう」


END.
(2018/01/11)
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