「リーベの誕生日?」
「そう! 再来週だから今から準備してるんだけど、良かったら一緒にお祝いしない?」
目を輝かせるペトラに、俺は首を振る。
再来週なら俺はもうこの時代に居ない。過去の時代へ戻っているはずだ。
「悪いけど――」
「考えておいてね、楽しみにしてるから!」
断ろうとしたのに一方的に話を打ち切られた。まあいいか、今はこっち優先だ。ペトラの立体機動装置なんだが、ワイヤーの射出と回収に違和感があるらしい。
技術班へ持ち帰ろうか少し迷ってからここで出来る範囲までやろうと考えて、俺は持ち歩いている工具を訓練場の地面に広げる。とにかく原因を探る必要がある。
「で、違和感ってどんな?」
「うまく説明出来ないけれど、滑らかじゃないのよね。全部の動きが思うようなタイミングと一瞬ずれるような感じ?」
とりあえず装置を分解して中身を検めていると、ペトラが感心するように覗き込む。
「兵団へ来て初めて装置に触ったんでしょ? すごいわね、もうこんなに手際良く扱えるようになるなんて」
「操作の方はからきしだけどな」
顔面から木にぶつかった時のことを思い出して、つい顔をしかめてしまう。こいつらみたいに自在に飛べたらと思う気持ちがないわけじゃねえけど、俺はこれでいい。
そのうち不調の原因がワイヤーの一部に癖がついているからだと推測して、新しいものに交換することにした。
「射出口が原因じゃないの? ワイヤーなら少し前に交換したばかりなんだけど……こんなこと今までなかったし」
「俺もそう思ったけど射出口は正常だ。ま、部品のすべてが完全で完璧とは限らねえってことだな。誤差は想定範囲内でも当たり外れはある。――これでよし。とりあえず確かめてくれ」
交換を終えてペトラに調子を見てもらえば、問題なく宙を動いているように見えた。この場で解決出来たことに満足していると、
「おい、終わったのか」
振り返るとリヴァイだった。最初会った時から妙に睨まれているような気がするんだが、こいつは元々こういう目つきなんだと思った。それにしたってリーベや他のヤツらからの評判は上々で、優しいだの仲間思いだの、本当なのか? あと人類最強? このチビオヤジが? はっきり言って信じられねえ。まあ、立体機動の動きを見ていたら納得出来る部分もあるんだが、そこまで言うほどなのかはやっぱり疑問だ。
確か階級は兵士長。妙な役職だと思ったら、こいつのために作られたらしい。そんなことってあるんだな。
とりあえず私情は置いといて、
「ああ、あの通りだ」
俺はちらっとリヴァイの立体機動装置を見やる。
使い込まれている。かなり。ぼろぼろだ。でも、ちゃんと手入れされている。一心同体だというように感じられる。
悪くない。それどころか、すごくいい。
こんな風に扱われる武具を残せたことに誇りを感じる。
俺はずっと焦っていた。怖かった。不安だった。でも、それで良かったんだ。おかげでこうして未来の時代へ繋がっている。
だから――これで充分だって思ってしまう。それに、この時代にとって俺は部外者で、しゃしゃり出るのは違う気がして。
ハンジから好きなようにやれ、何でも新しいものを作れって胸が躍ることを常々言われていてもそうしようとは思えないのは、それが理由だと思う。
だってこの時代は、こいつらのものなんだから。
そのうちペトラが戻って来た。
「いつもより、動きやすい!」
その表情に、ほっとする。
「ガスの噴出口も少しいじったんだ」
「そうなの? どうやって? ――あ、リーベ!」
ペトラの声に顔を上げれば、確かにリーベがいた。二階の窓からこっちを見下ろしている。
「お前、何してるんだ?」
「え? ええと……少し、リヴァイ班の訓練を見学しようと思って。でも、どうしてアンヘルがいるの?」
「たまたま寄ったら、ぺトラの立体機動装置が違和感あるとかで呼び止められただけ」
そこでペトラに話そうと思った噴出口の説明をリーベにも一緒にしてやろうと思った。
「来いよ、お前にも教えてやるから」
「わかった」
こっちに来るように示したら、リーベは迷いなく二階の窓から飛び降りた。
は?
何が起きたのかわからない一瞬の戸惑いの後、咄嗟に両手を広げた。リーベを受け止めるために。
「え?」
落ちてくるリーベが驚いたように目を見開いて――そのまま抱き留めた次の瞬間、
「わっ!?」
「うぉっ!」
二人揃って地面に転がっていた。全身痛い。
呻いていると、
「アンヘル……!」
リーベの声に意識が引っ張られる。目を開ければ、リーベの表情がほっとしたものになる。それから怒ったような顔つきになって、
「何してるの、危ないでしょ……!」
「……は?」
その言い振りに腹が立った。
「危ねえのはお前だろ、立体機動もなしに二階から飛び降りるとか何考えて――」
「これくらい普通だよ、ちゃんと着地出来るんだから! そうだよね、ペトラ?」
リーベがペトラに同意を求めれば、
「うーん……確かにそうだけど、アンヘルが心配する気持ちもわかるような……そりゃあお互いぶつかって危なくはあるけど、でも、何と言うか……」
結局何が言いたいのかわからねえけど俺にも非があるような扱いだった。納得いかねえ。
最後にまとめるようにリーベが、
「こんなこと、もうしないでね」
「…………」
そう言われても、困る。
俺は頭を掻きながら、
「でも、仕方ねえだろ、お前が落ちて来たら受け止めないとって……最初会った時から、ずっと、そう思っちまうんだから」
その時、視界の端に赤いものがちらつく。よく見れば、リーベの手の甲がざっくり切れていた。たった今に工具が散乱している地面に倒れて転がったせいだ。
「い、医務室!」
俺が慌てて連れて行こうとすれば、リーベは何てこともないように、
「あれ? いつの間に……医療班の世話になるほどじゃないよ、大丈夫」
「でも、だからって……!」
だからって、ほっとけるか。
身体が勝手に動いていた。傷口へ唇を寄せる。
「ひゃ、ちょっと、アンヘル……!」
リーベの制止を無視して、軽く吸ってから離す。すぐに血は止まった。これでよし。
顔を離せば、リーベが顔を真っ赤にしていて、
「な、な、何を……!」
「いや、血が止まらなかったから」
「だ、だからって……!」
何が言いたいのかリーベがしばらく言い淀んで、
「舐めるのは良くないんだよ、医療班の人が言ってた」
「そうなのか? 何でだ?」
「ええと……理由はよくわからないけれど」
「じゃあ気にしなくていいだろ」
ちょっと血を舐めたからって死ぬわけじゃねえんだから。
「でも、その……あんまり他の人にこういうこと、やらない方がいいよ」
「は? お前だからやったんだ。他のヤツにやるかよ」
リーベの手を離して、立ち上がる。そろそろ技術班へ戻ろうと思ったら、
「アンヘル」
呼び止められて、振り返る。まだ顔が赤かった。
「何だよ」
「あの、ええと……」
しばらく言葉に迷ってから、口を開く。
「ありがとう、私を――受け止めてくれて。危ないけれど、もうしないで欲しいけれど、でも、嬉しかった」
それだけ言い残して、リーベが背を向けて離れて行く。おかげで言葉を返すことが出来なかった。
当たり前だろ、そんなの。
何度だって、受け止めてやるよ。
一人で技術班へ戻れば誰もいなかった。不思議に思っているとソルムの書き置きを見つける。班長の奢りで全員が飲んでいるから店に来いと書いてあった。下手な地図と一緒に。まだ周辺の地理がわからねえ俺にはこの情報だけじゃたどり着ける気がしない。放っておくことにして作業道具の手入れをしていると、背後に気配がした。
振り返るとリヴァイだった。腕組みをして壁にもたれている。
「立体機動装置の修理か? 軽微なら明日までには仕上げて――」
「陥落した」
たった一言告げられたその言葉に、
「は?」
わけがわからなかった。
首を傾げていると、
「ウォール・マリアは陥落した。四年前の845年に」
ゆっくりと告げられた言葉を理解するのに時間がかかった。やっと理解しても、簡単に受け入れることが出来ない。
「な、何で……」
「60mの超大型巨人が出現してシガンシナの門を蹴破ったからだ」
「…………」
何だよ、超大型って。60m? それってどういうことなんだ。それに――シガンシナ?
「……じゃあ、シガンシナは……」
思い出すのは、あいつとのやり取り。
『なあ、リーベ。俺さ、シガンシナの、俺が居た工房に行こうと思って――』
『だめ』
『何でだよ』
『だめだから』
なあ、リーベ。
お前、何で教えてくれなかったんだよ。
(2017/06/27)
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