次の日から早速技術班と仕事することになった。同じ年頃の、人懐こい顔のヤツが俺に手を差し出す。
「オレはソルム。よろしくな!」
「……ソルム?」
思わず名前を繰り返すと、不思議そうな顔をされた。当然だ。俺は慌てて幼馴染と同じ名前だからと目の前のソルムに説明して、手を握り返す。
「よろしくな、ソルム。俺はアンヘルだ」
そんなやり取りをして作業に入る。任されたのは備品の在庫確認からだ。手にある用紙と照らし合わせて不足分を書き込んでいると、ソルムが自慢げに言った。
「オレ、今度の壁外調査に連れて行ってもらえるんだぜ! いいだろー?」
「……兵士でなくても壁外に行けるのか?」
驚いて、つい手が止まる。ソルムが胸を張って、
「短距離なら随行しねえけど、次の遠征は泊りがけの大規模なものだからな! もしも立体機動装置に何かあった場合に備えて整備が必要ってことだ」
「なるほど……!」
確かにその通りだと思わず身を乗り出して、
「俺も行く!」
「絶対だめ」
振り向くとリーベがいた。
「リーベちゃん、お疲れー!」
「こんにちは、ソルムさん」
リーベの手には欠けたり割れたブレードの欠片が山になった箱。訓練場に溜まった廃棄分を運んで来たらしい――って、そんなことより、
「何でお前に止められなきゃならねえんだ。マリアみたいなこと言うなよ」
「マリアならもっと厳しく言うと思うよ。とにかくだめ、絶対に」
有無を言わせない口ぶりにむっとして言い返そうとすれば、
「リーベさーん!」
外から声がして、新兵の連中が開いた窓からこっちを見ていた。最初に俺を囲んだ時とは打って変わって朗らかな様子だった。
「対人格闘術のお相手願いまーす!」
「僕たちが勝ったら、おやつ作って下さーい!」
ざっと数えたら相手は十人くらいで、全員が手に木剣を持って臨戦態勢だった。雰囲気でわかる。こいつらは一対一を挑んでるんじゃねえ。全員でリーベ一人を相手にしようとしてやがる。
「お前らな、多勢に無勢にもほどが――」
俺が苦言を口にする前に、
「いいよ、やろう」
ひらっと窓を越えて、リーベが地面へ降り立つ。いいのかよ。そして構えを取った。既視感がある構えだった。ん? 何で見覚えがあるんだ?
数分後。死屍累々の言葉が相応しい惨状の中で唯一立っているリーベの背中に俺は言った。
「……ソルムがお前に色々と教え込んでいたことがよくわかった」
見覚えのある構えと戦いぶりの答えはすぐに出た。答えは昔から見てきたソルムだ。孤児院時代から近所のガキ大将相手に喧嘩してた時や、兵士になってから街の治安維持で身体張って戦っていた時の動き。
リーベは初手から奪って使っていた新兵の木剣を手に振り向いて、
「あの頃は全然身体が出来てなかったから単に知識を詰め込むだけだったけれどね。ソルムに動きを見せてもらってイメージを掴むくらいしか出来なかった。訓練兵になってしばらくしてから、やっと理解して身体を動かせるようになったんだよ」
「……そうか」
強くなったんだな、こいつ。包帯だらけだったあの頃とはまるで違う。歴とした兵士だ。まあ、窃盗団相手に立ち向かう果敢さとかは最初に会った頃からあったんだが、無謀とも言えたあの頃の勇気に、ちゃんと実力が追いついている。
俺にとってはあれから二年。こいつにとっては五、六年? 時の流れを感じながら、
「……教えられたのは怪しい薬品の使い方だけじゃなかったんだな」
ゼノフォンがやっていたことを思い出しながら呟けばリーベは懐かしむように、
「そうだよ。マリアからは訓練兵団の集団生活における同性並びに異性との適切な距離感の構築について」
「それもまた……」
何を教えてるんだよ、マリア。
リーベは微笑んで、
「おかげで周りに馴染みやすかったし、色々あったけど楽しかったよ、三年間」
「ふーん……」
ソルム、マリア、ゼノフォン――三人それぞれ、リーベに色々教えてやってたんだな。いつの間にそんなことをしていたのか、全然知らなかった。
程なくして新兵たちが呻きながら起き上がって、のろのろ退散していく。哀愁漂うその後ろ姿に菓子の提案をしているリーベの背中を眺めながら、想う。
「……俺は、お前に何かしてやれたかな」
一日の終わりにソルムがやらかした。製作依頼されていた武具の工程を一つすっ飛ばして組み上げやがった。当然やり直しだ。ソルム一人じゃ間に合わない。やり方と疑問を一通り聞いてから、俺も手伝って今日中に仕上げる必要分はどうにか完成した。
「今日は悪かったなアンヘル、おかげで助かった!」
「いや、別に。……これで最後だからお前もう上がれば?」
時間はあるし、どうせならじっくり取り組みたい一心でそう言えば、ソルムがポケットを漁りだした。
「そうだ、お礼にこれやるよ!」
「は? 何だこれ」
渡された紙切れを見る。皺だらけで文字が読みづらい。するとソルムが読み上げた。
「近所の娼館の割引券! 綺麗どころが揃ってるぜ? 超おすすめ!」
「…………」
反応に困っていると、
「もしかして恋人いるとか?」
「いや……」
興味がないわけじゃねえけど、でも、気が乗らないというか何というか何とも言えねえ。
「もしかしてリーベちゃん? なるほどなるほど、ちっちゃくて可愛いよなあの子。それならこんなもんいらねえか」
違う違う違う。そんなんじゃねえよ、あいつは。
「ソルム、お前は使わねえの?」
「オレ、花屋の恋人が出来たからな!」
今日もこれから会いに行くんだと鼻唄混じりにソルムが出て行った。それを見送って適当に割引券を放っていたら、それを拾うヤツがいた。ハンジだ。いつの間にここに来ていたんだと驚けば、
「ふーん、興味ないんだ?」
こいつが男なのか女なのか未だに判断が付かないせいでこの話題をどう扱えばいいのか困っていると、俺の心情なんかおかまいなしにハンジが続けた。
「そうそう、聞きたかったんだけど、何かこの時代で成し遂げたいことってある?」
「…………」
その質問は唐突で、答えられなかった。理由は――考えてなかった。考える必要がなかった。考えるまでもないと、無意識に思っていたから。
「せっかく未来へ来たんだし価値のあるものにしたいだろ? 発明に関することじゃなくてもさ、例えばここで自分の血を残すってことは君がここに居た証になるわけだし」
こいつが何を言いたいのか、わかるようでわからない。とりあえず、
「……知ってるよ、親がなくても子が育つってこと。俺、孤児院で育ったから。でもさ、自分は無責任な人間になりたくない」
話を終わらせるために組み上げた武具を専用の箱の中へ戻した。こいつが男ならこの割引を使えばいいと思ったんだが、ハンジは券を置いた。そして扉へ向かう。
「気を悪くしたなら謝るよ。何にせよ、希望があれば協力するからさ」
ひとりになって、今度は立体機動装置と向き合う。この時間を待っていた。他にはもう誰も残ってねえから気兼ねなく取り組むことが出来る。
もう暗いから蝋燭へ火を点けて、まずは徹底的に装置を分解する作業に取り組んでいると、しばらくして扉が開いた。今度は誰だと顔を向ければ、
「アンヘル、まだいたの?」
リーベだった。髪が濡れている。風呂に入った帰りなんだろう。
「ごみ落ちてるよ、ええと、何だろこれ。割引券? どこのお店――」
「うおっとおおおお!?」
慌ててリーベから娼館の紙をひったくって、そのまま細かく破って捨てた。
「え、何? 破って良かったの?」
「あ、ああ……」
何でここまで必死になってるんだ、俺は。いや、必死にもなるよな? 嫌な汗を拭っていると、
「まだ休まないの? 部屋、用意してもらってるでしょ? 何やってるの?」
リーベが俺の手元を覗き込む。洗いたての髪の匂いに、妙に鼓動が速くなる。何でだ。
「アンヘル?」
「……何でもねえ。お前、ちょっと座って待ってろ」
少し考えてから、周りにある適当な材料で昔に作った発明品を思い出しながら組み立てた。
すぐに完成させて、ハンドル付きの小箱をリーベの膝に乗せた。箱の上部からは布製の筒を伸ばして、後ろに回った俺は先端部分を手にする。
リーベは首を傾げて、
「何これ」
「ハンドルを回したらわかる」
「こう?」
指示通りにリーベが手を動かすと、俺が持つ筒から風が出た。俺はそれを目の前にある頭へ向ける。リーベは肩を跳ねさせて、
「な、何これ……! あったかい、風が……?」
「髪を乾かす小型温風機。かなり簡単に説明すると、お前が回しているハンドルは箱の中で複数の歯車と連結してるんだ。それを回し続ける動力で熱と風が生まれてる。製造原価がどうしても抑えられなかったから試作品で終わったけどな」
放出される風は穏やかで、簡単に乾くことはないだろうが、自然乾燥に任せるよりは早い。冬場は大活躍だと踏んだんだが、金の問題でそうはならなかった。
「この時代にまで残ってたら良かったのに……」
惜しむような呟きに今日一日技術班で過ごして気づいたことが頭をよぎる。少し考えてから、
「なあ、リーベ。俺さ、シガンシナの、俺が居た工房に行こうと思って――」
「だめ」
即答に面食らう。俺が壁外調査に行きたいと話した時と同じ口調だった。
「何でだよ」
「だめだから」
「理由になってない」
「……私じゃ一緒に行けない」
何でお前と一緒に行くのが前提なんだよ。確かにここはお前の時代だけど、でも、だからこそ、
「確かめたいんだ」
「何を」
なめらかな髪を指で梳きながら、迷いながら、俺は話すことにする。
「俺が思ってるより、この時代の技術は進んでない」
「……進んで、ない……?」
「もっと戸惑うと思ったんだ。だって俺は過去の人間で、ここにあるのは未来の技術なんだから。そりゃあ立体機動装置は凄いと思った。それでも俺の知識が追いつける程度で――そもそも、原型は俺が作ったものなんだろ? つまりこういった便利な発明が未来にはもっと溢れてると思ってたのに、存在しないんだ」
「それは単にアンヘルが凄いからじゃないの? こんなの簡単に作るくらいだし」
「違う」
この感情がうまく伝えられなくて、もどかしい。
そうするうちに温風で徐々に乾きつつある髪はさらさらと指を通り抜ける。リーベの持っていた櫛で梳いてやれば完璧だった。触っていると気分がいい。
「すごい……もう渇いてる……」
リーベがしみじみしているのを横目に、俺は立体機動装置の分解に戻った。さっきの話をもう少しうまく説明出来るように考えながら工具を手に取れば、
「ちょっとアンヘル」
咎めるような口調が背中にぶつけられた。
「ちゃんと部屋で休むって」
「それもそうだけど、それだけじゃなくて」
「さっきの話なら、後で」
「……じゃあ私、ここで待ってるから」
「わかったわかった。もうすぐだ」
そして三十分後、やっと一段落ついた。蝋燭も尽きかけているし、今日はこれくらいにしておくか。そう思って振り返れば、ソファに座っていたリーベは――横になって眠っていた。
「あー……」
そりゃあそうだ。一日中訓練と業務に動き回って、周りに気遣い続けて、やっとゆっくり出来る時間に俺なんか待ってたらこうなるに決まってる。
当然起こす気にはならなくて、薄い毛布を見つけて身体にかけた。寝顔を眺める。こいつが十二歳だった頃の面影と重なる。
『何かこの時代で成し遂げたいことはある? せっかく未来へ来たんだし価値のあるものにしたいだろ?』
本当はもう、この時代に来た意味も価値も充分に手に入れているんだ。考えるまでもなく、答えは見つけてある。誰にも言うつもりはねえけど。
無意識にリーベの柔らかい頬を指先でなぞって――我に返る。
「……何やってんだ、俺」
さっさと寝よう。リーベの部屋がわからねえからこいつを運べないとなると一人置いていくわけにもいかねえし、俺はこのまま床でいい。幸い毛布はもう一枚ある。適当に寝転がろうとした時、視線を感じた。気になって扉を開けて、通路の暗闇を確認しに行っても誰もいない。
「……気のせいか」
いたとしてもネズミくらいだろう。
欠伸をしながらそう考えて、毛布にくるまりソファの前で横になる。あっという間に睡魔にさらわれるのがわかった。
明日も忙しくなりそうだ。
(2017/06/21)
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