Novel
まだ何も識らないだけ

 今日は雲が多いけれど過ごしやすい陽気で、ちょうど良い風も吹いていた。だから外に出たくなるけれど、今は駄目。
 書類の山の囲まれる中、私はモブリットさんと向き合っていた。

「――ということになるけど、ここまでは理解できたかい?」
「…………あの、すみません」
「気にしなくていい。わからないところをもう一度説明するよ。どこから話そうか」
「…………『何がわからないのかわからない』です」

 そもそもの発端として、昨日の訓練で足を捻挫してしまった。壁外調査での負傷ならばいざ知らず、情けない。
 大した負傷ではないけれど、完治まで長引かせないために立体機動はもちろん訓練全般を禁止、安静にするようにと医療班に診断された。そこで普段は訓練へ充てていた時間に内勤業務を手伝うことにした。ミケ分隊長に相談して、お邪魔したのがハンジ班。

 忙しいモブリットさんからせっかく説明されたあれこれを理解できない焦燥感に嫌な汗をかきながら手元を見下ろす。どうしよう、自分なりに整理して書いたメモを読み返しても全然わからない。兵団内の備品購入申請書、本館建物で劣化しつつある水回りの修繕費用の報告書、駐屯兵団との合同訓練に伴う使用区域の計画書――どれもシンプルな内容のはずなのに、これでもかと難解な単語に置き換えられた上に遠回しに記載されている。何これ。

 書類仕事初心者にさせるものではない気がする。

「……内勤専門の調査兵を採用した方が良いと思うんですよね」

 ははは、とモブリットさんは渇いた声で笑う。

「その気持ちもわかるけれど、戦う意志ある者が集う場所だからな、ここは」

 それはその通りだろうけれど。

「駐屯兵団は内勤のみに従事する兵士が多くいるみたいですよ。専用の勤務体系制度もあるとか」
「あそこは兵士数が桁違いに多いから」

 内勤業務だけに従事したい兵士なら調査兵団を選ばずとも既に制度の整った駐屯兵団へ行ってしまうのか、と納得していたら、

「じゃ、リーベが初の内勤専門調査兵をやってみない?」

 明るい声と共にハンジ分隊長がやって来た。その提案に私は即座に首を振る。

「無理ですね。この書類とか内容も扱い方も何もかもわかりませんし」
「書類仕事は慣れだよ、慣れ。そりゃあ最初はわからないことばかりだろうけど、原因は『知らないから』だ。私たちに遠慮せず質問してくれたら良いから」
「あの、それに私、仕事が遅くて……お金の計算とか、ものすごく時間が……なので、戦力外かと」
「それもね、慣れ。やってたら自然と速くなる。訓練の合間にやる程度じゃなかなか身に着かなくて当然だよ。思い出してみなよ、ゲルガーが管理してたらいつの間にかぐちゃぐちゃになってたミケ班の現金帳簿、トーマも匙を投げたのにリーベが直したんでしょ?」

 その件に関してはミケ分隊長に相談した上でナナバさんとトーマさんにゲルガーさんを取り押さえてもらい、ゲルガーさんの財布を私が奪取。そこからゲルガーさんが公私混同で使っていた班の財布へ用途不明の差額分を返金してもらって無理矢理残高を合わせたからで、別に私一人の功績じゃない。
 ちなみにその一件以来、班の現金管理は私の役割になってしまった。一番下の階級なのに。一番下の階級だから?

「精神論じゃないけどさ、『ちゃんとしよう』って気持ちが大切だと思うんだよね。リーベの仕事ぶり見てたら一番大切なことはもう出来てる。ミケ班から提出される帳簿、見やすい上に確認しやすくなったってニファが喜んでたよ。誤りがないし、君の正確さは素晴らしい点だ。内勤業務に向いてるよね、モブリット?」
「同意します」
「あ、ありがとうございます」

 もったいないくらいに評価してもらえて、恐縮してしまう。ニファさんの負担が減ったなら嬉しい反面、ゲルガーさんが帳簿作成していた頃にかけていた苦労を思うと同じ班員として申し訳なさすぎる。

「で、どうする? 私からミケにもエルヴィンにも掛け合うよ」
「え、ええと……」
「もちろんゆっくり考えてくれていいとも!」
「うーん……」

 真に受けるわけじゃないけれど、もしかしたら内勤業務に向いていないことはないのかもしれない。
 だけど、

「――それでも、私は壁の外へ出て戦いたいので」

 そう伝えれば、ハンジ分隊長は「そっか。そうだよね」と苦笑する。

「よくわかったでしょ。内勤専門の調査兵がいない理由」
「……そうですね」

 頷いて、納得した。

 そして壁外調査で生き永らえても戦えなくなった調査兵が内勤として留まることなく退団する理由も、わかる。

 戦えない不甲斐なさを抱えて、調査兵団に在籍し続けるなんて私なら耐えられない。

 だって、戦うためにここへ来たのに。

 あの冬の夜に、決めたのに。

「…………」

 だけど――

 いつか、もしも。

 壁外調査じゃ生きるか死ぬかのどちらかしかないけれど、もしも私が生きていながら戦えなくなったとしたら。

 戦えないのに調査兵団に居続けることは苦痛に違いないし、どこまで頑張れるかわからないけれど。

 今、頑張らない理由にはならないから。

「――モブリットさん、こちらの書類についてもう一度教えて頂けませんか?」

 一先ず、今できることをやろう。

 深く呼吸をして気合を入れてから、改めて姿勢を正した。


(2022/08/07)
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