Novel
街での一幕
「見つかるまで何軒かかるかな……」
ハンジ分隊長から渡されたメモを手にため息をつきながら街を兵服のまま一人で歩いていると、
「リーベさん?」
後ろから名前を呼ばれた。振り返るとアルミンとマルコがいた。
「どうしたの、二人とも」
「キース教官に頼まれて、買い出しに」
「なるほど、優等生ならではの頼まれごとだね」
「いえ、マルコはともかく僕はそんな……」
謙遜するアルミンの隣で、マルコも困ったように笑う。それから私の手荷物を眺めて、
「リーベさんも買い出しですか?」
「そうなんだけど、上官お目当ての本だけがどうしても見つからなくて。古本屋にしかなさそうだから余計に難度が高いみたい。これから五軒目」
するとマルコは何か考える素振りを見せてから、
「僕、良い古本屋知ってますよ。ご案内しましょうか?」
「え、いいの? 助かるけど、でも……」
「僕たちの用事はもう終わったので、お手伝いします」
少し考えてから結局その言葉に甘えることにして、マルコが一本通りを外れたところにある古本屋へ連れて行ってくれた。初めての店だ。揃えられている系統から目当ての本が見つかりそうな気配が漂っている。
そして、十分後。
「見つけた……!」
本の山に埋もれていたそれを手に取る。タイトル、著者名、発行元の出版社も聞いていたものと一致している。
ほっとしていると、
「良かったですね、お疲れ様です」
「二人のおかげだよ、本当に助かった。ありがとう」
一息ついて、改めて周囲を見回す。
「せっかくだし、もう少し色々見させてもらおうかな」
「リーベさんはどんな本が好きですか?」
「うーん、割と何でも読むから、これといったものは……」
「じゃあ何度も読んでしまう本とか」
「――これかな」
ちょうど目の前にあった本棚から私が一冊を抜き取ると、アルミンがタイトルを読み上げた。
「『アンヘル・アールトネンの功績』――確か立体機動装置の発明者ですよね? 座学で学びました。彼なくしては今の人類、そして調査兵団はないと」
「さすがアルミン。――この人が全部一人で成し遂げたわけじゃなくて、多くの職人や技術者の改良ありきの話だけど」
「確か当時、調査兵団の活動が一時凍結されていて……彼が巨人の弱点が『うなじ』にあることを発見したんでしたね」
マルコがしみじみと言った。
「今じゃ当たり前のことですが、立体機動装置がなかった頃に壁の外へ出ていた兵士たちもいたんですよね……とても信じられませんが……」
そこでアルミンは一度言葉を置いて、私を見る。
「いつか、人類が壁の外へ自由に出られる日が来ると思いますか」
「来るよ」
いつか、きっと、必ず。
力強くて優しい背中を思い出すと、迷わず言い切ることができた。
「すみません、リーベさん。たくさんご馳走になってしまって……」
「本当に助かったし、お礼くらいさせてよ。――気にするなら出世払いでよろしくね。確かマルコは憲兵団志望だっけ? 中央の腐敗を叩き出してくれたら充分だから」
「が、頑張ります……」
二人に紅茶とお菓子をご馳走した店を出たその時、悲鳴が聞こえた。驚いて声のする方向を見れば、女の人が叫びながら何かを指差している。その先には全速力で走る男の人がいて、彼は女性用の鞄を手にしていた。
「引ったくり、みたいだね」
状況を確認しながら私はマルコへ本を、脱いだジャケットをアルミンへ預けた。
「え、あの、リーベさん?」
「ちょっと持ってて」
近くを掃いていたおじいさんから箒を借りて、こちらの方向へ向かってくる男の前に躍り出る。
相手は私を避けようとする素振りもない。体当たりで突き飛ばせばいいと思っているんだろう。想定内。
呼吸を整え、箒を構える。タイミングを見計らい、箒の先端を男へ突き出した。避けようとした男の体勢が僅かに崩れた一瞬、私は一気に距離を詰めて、その勢いのまま前蹴り――ブーツの先を鳩尾へめり込ませた。
男は呻き声を上げて、地面へ転がる。そのタイミングで近くにいた人たちが取り押さえてくれた。
あとは憲兵か駐屯兵を呼んでください、と周りに集まってきた人たちへ言い残して、私は落ちた鞄を女性へ届ける。箒をおじいさんへ返してお礼を言ってから、アルミンたちの所へ戻る。
「あんなに綺麗な前蹴り、初めて見ました……」
「そう? ミカサ辺りならもっと巧いと思うけど」
預けていたものを受け取って、ジャケットは着ずに腕に抱えることにする。
「どうして身分を明かさなかったんです? 『調査兵です』って」
「わざわざジャケットまで脱いで……」
アルミンとマルコの疑問に、苦笑する。
「色々あって」
「調査兵団のイメージアップになりますよ」
「この程度で風向きが良くなるならもっと率先して街中見回るよ。それに、そういったことは基本的に駐屯兵の仕事だから積極的に侵害するのは問題が生じるんだよね」
それに、と私は続けた。
「班の人たちに、怒られる」
「え? お手柄なのにですか?」
「ゲルガーさんは『調子乗ってんじゃねえぞ』って言うだろうし、ナナバさんは『危ないよ』とか、トーマさんも『感心しないな』って、ミケ分隊長も褒めることはしない。新兵の頃、似たようなことがあって駐屯兵団から調査兵団へ報告が回った時がそうだった。だから、言わない」
すると、アルミンが言った。
「リーベさん。それは皆さん、怒っているんじゃなくて、リーベさんを心配しているんですよ」
「……そんなことは」
「ありますよ。リーベさんは大事にされているんですね」
マルコが瞳をやわらかく細めた。
私の方が歳上でも、そこまで年齢差がないことを感じさせられる表情だった。
「…………そう、かな」
私は大事にされるような人間じゃない。
でも、そのことを訴えるのも子供みたいで、曖昧に言葉を返すことしか出来なかった。
それぞれの帰路へ付くために相乗り馬車まで並んで歩きながら、
「もうすぐリーベさんの炊事実習もおしまいですね。寂しいです」
「結局、私が教えられたことってなかったよね。私の方が学んでばかりで」
「そんなことありません!」
声を揃えて首を振る二人に嬉しくなったけれど、やっぱり不思議だった。
どうして私が、この実習の教官として選出されたのか。
そもそも炊事実習とは? みたいな疑問が今でも拭えない。
そういえば、とマルコが声を上げる。
「キース教官と以前からお知り合いだったんですか? リーベさんって南方訓練兵団出身でしたっけ」
「ううん、私は東方訓練兵団だよ。キース教官とはこの実習を通じて初めて会ったけど、どうして?」
「いつも、必ず一度は実習を見に来ているので気になって」
「そりゃあ、変なこと教えてないか見ておく必要はあるんじゃない?」
「うーん、そういった感じではないんですけれど……」
何か引っかかるものがあるように首を傾げるマルコに、私も同じように首を傾げるしかなかった。
「リーベおかえり! 忙しいのに頼んじゃってごめんね? ミケに怒られちゃったよ、リーベはせっかくの午後休暇だったのに何を雑用押し付けてるんだって」
「いえ、買い物も気分転換になりましたから」
ハンジ分隊長へ頼まれた品々を渡してから、途中で買った紅茶缶を袋から取り出した。お土産用に包装してもらっている。
「あの……兵長がどちらにおられるかご存知ですか?」
するとハンジ分隊長はきょとんとして、
「リヴァイ? エルヴィンと貴族のご機嫌取りに行ったよ。次の壁外調査にたんまり出資してもらわないとだし」
「……そうですか」
会いたかったのに。
でも、会えないんだから仕方ない。
それでも、会いたかった。
どうしてこんな気持ちになるのか、わからないまま私は自分の部屋へ戻った。
(2019/09/09)