Novel
本当は食べ尽くしたい

 涙が止まらない時は流れるまま任せるに限る。

 だから私はぐすぐすと洟をすすりながらも、変わらず手を動かし続けていた。場所は深夜の兵舎調理場である。

 また涙がこぼれ落ち、手で拭おうとすると――誰かの気配がした。

 顔を向けると兵長だった。水でも飲みに来たのだろうか。

「おい」

 なぜか驚いたような表情をしていた。珍しい。どうしたんだろう。

「リーベ、何があった」
「え?」

 兵長はこれまた珍しいことに少々慌てた様子でそばまで来るなり、強く私の肩をつかんだ。
 わけがわからなかったが、指先でやさしく頬の涙を拭われて、気づく。――勘違いされていることに。

「あの、違います。何でもないですよ」

 そうは言ったものの兵長は納得していないようで、

「だがお前――」
「玉ねぎを切っていただけです」
「……は?」
「玉ねぎです」

 私はまな板の上を示す。そこには切ったばかりの野菜があった。

「涙腺の周りの神経を刺激する作用があるんですよ、これ」

 こんこんと説明すれば、深いため息。

「兵長?」
「……普段泣かねえやつが泣いてたら何事かと思うだろうが」

 どうやら心配してくれたらしい。

「すみません、お騒がせしました……」

 謝罪すれば、兵長はまた私の頬へするりと指先を滑らせた。かと思うと、ぺろりと涙を舐めた。

「な……っ?」

 思いがけないことに私は飛び上がる。

「兵長、何やって……!」
「涙ってのは人間が排出する物質で何より綺麗らしいな」
「ええと……」

 だからといって口にするものだろうか。

 自分の顔が熱く、赤くなるのがわかった。

 うつむいていること、

「なあ、リーベよ」
「な、何ですか」
「今、気づいたが――お前は泣かねえな」
「はい?」

 私は状況を忘れ、思わず間抜けな声を上げた。

「……現在進行形で泣いてますけれど」

 言い終わらないうちに、また涙がこぼれる。

「違う。――感情のまま、泣かねえってことだ」
「んっ」

 また優しく触れられて、身体が震える。心臓が痛いくらいに脈打つ。どきどきして苦しい。

「兵長、あの、私、食事を作らないと、いけないので……!」

 身をよじれば、やっと解放される。

「こんな時間に何だ。もう日付が変わってるだろうが」
「ミケ分隊長の夜食ですよ。書類を溜めて珍しく徹夜されるみたいなので」

 やっと涙が止まり、鼓動も落ち着いた私が作業を再開すると兵長がすかさず、

「俺も食う」
「……すみません、料理長から一人分しか材料もらってないです」
「……ならいい」
「あ、スープならありますよ」

 私が提案すれば兵長は鍋を眺めて、

「お前が作ったのか」
「いえ、兵舎の料理長が作った夕食の残りです」
「じゃあいらねえ」
「そうですか……」

 どうしたものかと思いながらも、材料がないのでどうしようもない。

 私は今度こそ調理を再開することにして、玉ねぎを含む切った野菜をパンの間に少しばかりの肉と一緒に詰める。メニューはお手軽に食べられるバケットサンドだ。
 同時に先ほど話にも出た、夕食のスープにもまた火を入れた。残り物ではあるが贅沢は言わない。

「…………」

 すぐに部屋へ戻るかと思えば、兵長はまだそばにいた。

 視線を感じながらも私は調味料をいくつか混ぜて、パンに挟んだ野菜と肉にかけるソースを作る。最後の仕上げだ。

「これでよし」

 少し味見をしようと洗った指に作ったソースを軽く絡めて舐めようとすれば、誰かに手首をつかまれる。
 誰か、なんてここには兵長しかいないけれど。

「え」

 そして気づくと私の指先は兵長の口の中にあった。
 ぺろりと舐められ、唇で軽く吸われる。

「ひゃっ」

 その感覚に思わず声を上げる。

 さっきの涙といい、今日の兵長は一体どうしたんだろう。

「あの、兵長……?」

 私がそう訊ねれば、兵長は一言。

「馳走になった」

(2014/01/26)
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拍手お礼文 2013/11/02-2014/01/05
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