Novel
歳月人を待たず
「間に合わない間に合わない間に合わなーい!」
調査兵団本部の通路を全速力で駆け抜ける。どうしよう、炊事実習の時間が迫っているのに。ミケ班とハンジ班の合同訓練後の立体機動装置整備に時間がかかってしまった。今から訓練兵団へ行くとなると間に合うか甚だ怪しい。
慌てて通路を曲がれば、誰かと盛大にぶつかった。兵長だ。
「おい、危ねえだろうが。走るな」
「すみません!」
謝って頭を下げてから今度は早足で厩へ向かおうとすると、強く腕をつかんで止められる。
「リーベ」
「は、はい」
「深呼吸」
「え?」
「やれ」
言われた通りにする。吸って、吐いて。
「行け」
そこで腕を解放される。さらに背中を軽く押された時には嫌な焦燥感が消えて心臓も落ち着いていた。
「い、行ってきます……!」
不思議な感覚に戸惑いながら本部から外へ出たタイミングで、上の窓からゲルガーさんの声が降ってきた。
「リーベ! てめえまだ机に書類の山が残ってるじゃねえか!」
「ご、ごめんなさい! 炊事実習から戻ったらやります!」
逃げるように厩に着いて、自分の馬に飛び乗る。
気軽に引き受けてしまったけれど、炊事実習は今年度限りにしよう。毎日ではないとはいえ、訓練と業務とその他兼ね合いを考えると今日のように難しい時がある。来年はもう出来ない。
訓練兵の皆と過ごす時間は楽しいけれど私の身体はひとつしかないから仕方ない。出来ることと出来ないことの判断は付けなければ。
そう考えながら、私は訓練兵団を目指して馬で駆けた。
「届かない……」
訓練兵団へ無事に到着し、現在実習の準備中。しかし材料の積まれた荷台の一番上にある箱から順番に取りたくても私の身長では背伸びしても届かない。近くに台座もないし、こんな時は背の高い誰かに助けてもらうに限る。
ミケ分隊長と同じくらい大きいベルトルトに声をかけようとした時、彼が誰かを見ていることに気づいた。
金髪の綺麗な女の子――アニだ。
「…………」
この状況で声はかけづらい。
そう考えていると、
「これを取ればいいんですか?」
ライナーが箱をひょいと下ろしてくれた。一つのみならず全部。体格の良い彼は私がやって欲しいと思っていたことをあっと言う間に済ませてしまう。
気の良い性格で面倒見が良くて、皆の頼れる兄貴分。私の方が少し年上なのに、ついそんなことを思ってしまう。
「気を遣わせちゃってごめんね、ありがとう」
「これくらいどうってことないです。今日は何ですか? 俺もう腹が減っちまって」
朗らかに笑う様子に、私は少し考えた。
「ライナーの出身はどこだっけ」
「――ウォール・マリア南東にある山奥の村ですけど」
「じゃあ大丈夫かな」
「え、何か関係が……?」
街育ちなら少し苦労するかもしれないけれど、山や村など自然に囲まれて育った子なら恐らく慣れているだろうと思いながら私は口を開く。
「今日は鳥を絞めるから」
所々で阿鼻叫喚に包まれたその日の作業と片付けを終え、報告のため教官室へ向かった。扉を開けるといつもいる眼鏡をかけた教官ではなく、キース教官がいた。
「今日も無事に終わりました」
「そうか。ご苦労だった」
机と椅子を借りて簡単に日誌と記録をつけていると、キース教官の視線を感じた。顔を向けると目が合う。
「あの、何か?」
今日の実習に遅れかけたことを指摘したいんだろうかと思っていると、
「いや、何でもない」
単に視線を逸らされただけで終わった。
「終わらない……」
夜の調査兵団へ戻ってもまだ今日が終わらない。いつも通り兵長の部屋へ実習で作ったものを届けても全くゆっくりすることの出来なかった私は書類の山と格闘していた。自室でやるとベッドという名の誘惑があるので地下書庫の奥に陣取る。まずは以前モブリットさんに教えてもらったやり方で資料と書類を順番に照らし合わせた。王都で今度行われる幹部会議用の資料らしい。この確認で目がとにかく疲れる。神経も磨耗する。
書類の山が書類の丘となったくらいの頃に短くなった蝋燭を新しいものへ交換して、今度は数字とひたすら睨み合う。似た内容で複数枚に分かれているものを一枚にまとめたり、新しく書き換えたりもして、ようやく終わった。朝一番に提出すれば間に合う。
懐中時計を確かめれば、もうとっくに日付が変わっていた。
「眠い……」
目を閉じて少し休もう。そう思っただけなのに、そのまま眠ってしまったらしい。はっと目を覚ました時には朝の気配がした。地下でもそれがわかる。
「……ここで寝ちゃった……」
欠伸をしながら身体を起こすと毛布が滑り落ちた。
あれ?
「毛布?」
誰が掛けてくれたんだろう。
新兵として調査兵団に入団したばかりの頃もこんなことがあったなと思い出しながら、私は目元を擦って身体を伸ばした。
「――よし」
今日も一日頑張ろう。
(2015/11/16)