Novel
殺意なき戦場
849年のある日のことだった。
発端は調査兵団と駐屯兵団に籍を置くそれぞれの新兵が発した言葉らしい。
「調査兵の方が強い!」
「駐屯兵をなめるな!」
その些細な諍いが今回の催しを生み出した。その名も『駐屯兵VS調査兵・絶対強者決定戦』。キャッチコピーは『腕に覚えのあるものは出場せよ。参加は任意』。
総兵数こそ天と地の差であるものの、この参加基準のおかげで人数が釣り合ったらしい。
「酔狂なイベントじゃねえか。俺が出場していたら間違いなく優勝だったのによ」
「二日酔いで出場辞退した人が何言ってるんですか、ゲルガーさん。顔がまだ青いですよ」
「リーベ、二回戦でキッツ隊長を気絶させて勝ったからって気を抜くなよ。まあ、前にミケ分隊長投げ飛ばしたお前なら出来ると俺は思っていたがな」
「……二年も昔のことは忘れてください」
私は順調に勝ち進んで次が三回戦だ。
「さて、お前はどこまで勝ち進めるかな?」
「何が言いたいんです?」
ゲルガーさんがにやりと笑う。
「なぜなら次の相手は――駐屯兵団の精鋭だ」
時間が来て試合会場となる広場へ出れば、そこにいたのは銀髪の女性だった。普段は眼鏡をかけているのか戦闘用ゴーグルを装着している。
『――実況中継は調査兵団第四分隊副隊長モブリット・バーナーと駐屯兵団ドット・ピクシス司令でお送りします』
『第三回戦第五試合は駐屯兵団所属リコ・ブレツェンスカ、調査兵団所属リーベ・ファルケ。おお、これは華やかな試合になりそうじゃのう』
技術班が開発した拡声器を使用した解説の声が観覧席を盛り上げる。
『それでは選手の紹介です。まずはリーベ・ファルケ! 調査兵団ミケ班所属。見かけと反した力強さを持つ戦闘技術に注目されています。そんな彼女の巨人討伐数と討伐補佐数は――』
『討伐数で兵士の優劣は語れんのう』
『ちょ、最後まで言わせて下さいよ!』
『選手紹介は一回戦と二回戦でやったからもういいじゃろう。ルールはこれまで通り相手が負傷または降参、戦闘不能となれば問答無用で終了じゃ。それではいざ尋常に――』
審判も兼ねているピクシス司令が手を挙げて、私たちはそれぞれ構えを取る。互いに剣を両手にそれぞれ一本ずつ。ちなみに対巨人用のブレードではなくて技術班の新兵が腕を上げるための練習に鍛えたものだ。
『――試合開始!』
開始の合図と共に湧き上がる観衆。
対峙する相手――リコさんと私の視線も強く交錯する。
それと同時に相手が剣の一本を投げつけてきた。もちろんこちらへ向かって。
鋭く回転して迫る刃に、私が下から上へ弾き飛ばした次の瞬間――綺麗な銀髪が目の前にあった。
「くっ!」
振り下ろされた強い打ち込みを二本の剣で受ける。それからは斬る、薙ぐ、といった動作で襲いかかってくる切っ先を弾く動作が続いた。隙を見て仕掛けても防がれてしまう。
『これまで両者は一回戦、二回戦共に初撃で相手を地へ伏せましたが、さすがは三回戦ともなればなかなか決着がつきませんね』
『「殺して勝つことより殺さず勝つことは難しい」とはよく言ったものじゃのう』
何度も打ち合いを重ね、やがて強烈な一閃で私の左手から剣が弾き飛ばされた。地面の上を滑るように遠くへ行ってしまう。
即座に残った一本を両手で持ちかえた瞬間、今度は鋭い蹴りが飛んできた。仰け反ることでブーツの底を避けたけれど、その攻撃は私の剣へ炸裂する。すると刀身が――見事に折れた!
「!」
驚愕と共に近すぎる距離から離脱を選択した私がすぐ後退する一方で、体勢を整えたリコさんは――空から降ってきた剣の柄を見事につかみ取る。私が最初に上へ弾き飛ばしたものが長い飛行を終えてついに落下してきたのだ。
感嘆に満ちた歓声が場を支配する。目の前で起きたことに私は絶句するしかなかった。
相手には両手に武器がある。それに対してこちらは丸腰。一本は折られ、もう一本は遠くへ飛ばされた。
「十秒あげるよ。降参するか決めな」
『武器を失っても勝負は終わりません。さあ、リーベ選手の選択は降参か続行か』
凛とした声とモブリットさんのアナウンスで我に返る。そうだ、まだ負けてはいない。勝負の終わりは負傷と降参だけだ。
私はちらりと視線を横へ滑らせた。ひゅん、とリコさんが私へ切っ先を向ける。
「言っとくけど、武器を取りに動いたらその瞬間に攻撃を再開する」
「ですよね……」
目論見はすぐにばれた。
そもそも走って間に合う距離ではないので諦める。
さて、どうしようか。
ふと視線が調査兵団の観覧席へ吸い寄せられる。そこには見慣れた顔がいくつもあった。
相変わらずの歓声で何も聞こえないし読唇術なんて心得てないけれど、それぞれが言っていることは何となくわかる。
(おいリーベ、お前がここで負けたら俺の賭け金どうなるかわかってんだろうな……!)
知ったこっちゃないですよゲルガーさん。
(どうするのよリーベ! 完全武装の敵を前に丸腰なんてこの上なく不利じゃない!)
私も困ってるよ、どうしようペトラ。
(降参する勇気を持つのも大事だぞリーベ! こんな場所で怪我でもしたらどうする!)
その通りだと思います、グンタさん。
そこから少し視線をずらせば、なんと兵長がいた。参加はしないと聞いていたけれど、観戦には来たらしい。腕を組んで、ただじっと試合を見ている。
視線が絡み合った瞬間、
「時間だよ」
その声に私はリコさんへ顔を向けた。
「……はい、決めました」
折れた剣の柄を捨て、私は叫ぶ。迷いはなかった。
「調査兵団所属、リーベ・ファルケ! 来ませい!」
そんな私の声に呼応するように――調査兵団の席が沸き立った。
「行っけええぇぇっ!」
「その意気だ、リーベ!」
「調査兵団の力を見せてやれ!」
たくさんの歓声が私の背中を強く押した。
「馬鹿じゃない?」
リコさんが鼻で笑う。そして二本の剣を隙なく構えた。
「駐屯兵団所属、リコ・ブレツェンスカ。――さっさと終わらせるよ」
そして彼女は駆け出した。速い。一気に距離が縮む。
私は一度深く呼吸してから向かって来る相手を見据え、見取り、見極める。
そしてブーツで地面を強く蹴るようにして一歩を踏み込み、二本の刃を躱した瞬間――相手の右手首を強くつかんだ。
「な!」
リコさんが目を見開いた時にはすでに、私は剣を一本手にしていた。
『今のは――』
『奪刀法の一種じゃな。掴んだ手首を内側へ曲げることで相手が武器を握る力を弱めて奪う――口にするのは簡単じゃが、相手の動きを見る洞察力と素手で挑む体術が必要じゃのう』
『リーベ選手、訓練兵卒業総合成績は十六番、対人格闘ではなんと――』
『これは一風変わった成績じゃのう』
『だから最後まで言わせて下さいってば!』
これで互いの手にある武器は一本ずつ!
私は即座に後退して姿勢を整えた。
一方リコさんは私がさっきつかんだ手を見て、
「なるほど、相手の武器を奪うのは反則じゃないからね……。馬鹿と言ったのは取り消す」
「ありがとうございます。――それでは試合続行で」
私たちは同時に前へ駆けて、再び打ち合いが始まる。激突する刀身で火花が何度も散って、歓声が沸いた。
でも、その時間はいつまでも続かなかった。
瞬間、それぞれの剣の刃が砕けたのだ。
「!」
「っ」
さっき蹴り折られた分といい、技術班の新兵が鍛えたものは脆いらしい。
思考の隅でそんなことを考えながら降り注ぐ刃の雨から思わず眼球を守ろうと目を閉じる直前に見えたのは、こちらへ突進してくるリコさんの姿。そうか、ゴーグルがあればそんな躊躇は必要ない。
私は感覚を優先して真横へ転がるように攻撃を逃れた。そこから武器を捨て、素手による格闘に切り替えようとしたその時、
『勝負あり! そこまでじゃ!』
ピクシス司令の声に驚いて私は動きを止める。
「なぜです司令! まだ決着はついていません!」
目を見開いているリコさんが叫べば、
『リコ・ブレツェンスカ、右手の甲を見よ!』
「は?」
ゴーグルの奥の瞳が素早くそこへ向けられる。私も見ると、そこは砕けた刃がかすめたのか、うっすらと血の線になっていた。
『リーベ・ファルケは顔じゃ!』
「え?」
投げて渡された小さな鏡で確かめれば、こちらも砕けたそれがかすめたらしく、唇の端が切れて傷になっていた。血がにじんでいる。
「どちらもかすり傷じゃないですか!」
「これくらいで負傷扱いなんて……!」
リコさんと二人で抗議するも司令は鷹揚に首を振るだけだった。
『負傷は負傷じゃ。よって第三回戦第五試合は双方、引き分け!』
白熱した試合はあっけなく、あっさりと終結した。
「……引き分けの場合どうなります?」
私が訊ねれば、リコさんは軽く肩をすくめた。
「仲良く敗退だね。次に当たるはずだった相手は不戦勝で勝ち進む」
戦いは、終わった。
あっけない幕切れにとぼとぼと一人で歩いていると、向かいから歩いてくる人影に気付いた。兵長だ。
「兵長は参加されないと聞いたので、観戦しているなんてびっくりしました」
「ハンジに引っ張り出された。――それよりお前、何してやがる」
唇が切れていることを言っているのだろう。鋭い眼光から私は目を逸らす。
「かすり傷ですってば。……う」
話しているとじんわりした痛みが広がる。地味な傷ほど地味に痛い。治癒するまでは食事もきっと苦労するだろうと想像出来た。
つい顔をしかめていれば、兵長が顔を近付けて来た。
「な、何です、か……?」
驚いて距離を取ろうとすれば、顎を指先で持ち上げられる。逃げられない。
「消毒してやる」
「あ、あの……!」
顔と顔の距離があと少しというところで戸惑っていると、
「消毒なら医務室へ行かないとね。私が連れて行くよ」
鋭い声に、はっとする。誰かと思えばリコさんだった。今は戦闘用ゴーグルではなく眼鏡をかけている。
「文句ある?」
リコさんが私の腕を掴んで引き寄せると、
「…………」
兵長は不機嫌そうに眉を寄せて舌打ちすると、ひとり立ち去ってしまう。
その背中を見送れば、ため息がすぐそばで聞こえた。腕が解放される。
「さっさと行くよ」
私もリコさんもわざわざ手当てするのが恥ずかしいくらいのかすり傷とはいえ念のために医務室で消毒だけ済ませて、
「ああいうのはちゃんと拒まないと。わかってんの?」
「え、あ、はい……」
どうやら助けてくれたらしい。
兵長の名誉のためにも誤解だと言いかけると、
「リコ! ここにいたのか」
背の高いおじさん兵士がやって来た。あのミケ分隊長より少し低いくらいだ。
「何ですかハンネス隊長」
ハンネス隊長と呼ばれた人は嘆息しながら、
「やれやれ、そんな顔じゃ美人が台無しだな。観覧席でミタビが探していたから行ってやれ。――ん、さっきの試合相手と話していたのか」
ハンネス隊長は私をまじまじと見つめて、
「名前を聞いて思ったんだが、お前、もしかしてエレンたちが話していた『リーベさん』か? 炊事実習でうまい飯作って教えてくれたって話をいつだったか聞いたが」
「あ、エレンって104期の! もしかしてお知り合いですか?」
「おうよ、ガキの頃からの付き合いでな。――だが」
そこでハンネス隊長が目を眇める。
「顔を見ると俺もお前さんを知っていたような気がするな。どっかで会ったことあるか?」
「……え?」
その言葉に私がきょとんとすれば、
「ハンネス隊長、そうやって口説くのはどうかと思います」
静かなリコさんの声が割り込んで来た。するとハンネス隊長は声を上げて笑う。
「それは家内に叱られちまうな! さて、俺は観戦に戻るとするか。じゃあな、二人とも」
その背中を見て私も観戦へ行こうと思っていると、視線に気づいた。リコさんが眼鏡の奥の瞳でじっと私を見つめていたのだ。
「いつか、今日の決着を」
言葉の意味を理解し、私は笑ってうなずく。
「はい、是非」
すると遠くから拡声器の声がした。
『第四回戦第二試合は駐屯兵団イアンVS調査兵団ナナバ! 間もなく試合が始まります!』
行かなきゃ、と観覧席へ足を向ければ隣に並ぶ人がいた。リコさんだ。
「さっきすれ違ったけど、ナナバってのは男? それとも女?」
「ああ、ナナバさんは――」
私たちは並んで試合の観戦へ行くことにした。
(2014/05/22)