Novel
熱に浮かされて

 体調管理も兵士の仕事のひとつだというのに、その日――私は朝から寝込んでいた。
 ぺトラに病人食を食べさせてもらって、どうにか横になる。

「今日は絶対安静だからね、リーベ。わかった?」
「……うん」

 すると私の額にぺトラがそっと手を伸ばした。

「すごい熱……。昨日から様子は変だと思っていたのよ」
「か、顔に出てた?」
「顔、というより……ケーキ一緒に作った時に砂糖と塩を間違えそうになっていたじゃない」
「あー……」

 思い出して両手で顔を覆えば、ペトラが毛布をかけ直してくれた。

「じゃあね。薬はあとで持ってくるから」
「ありがと、ぺトラ」

 そして私は言われた通り、部屋のベッドで目を閉じる。

 ああ、身体が重い。だるい。熱い。頭が痛い。悪寒がする。汗で肌がべたべたする。気持ち悪い。

 何も、したくない。

 意識が、沈む。闇の底へ。

 昨日は――あんなに高く飛べたのに。




「……ん」

 いつの間にか眠っていたらしく、目が覚めた。

「んー……」

 何だか息苦しくて、夜着のボタンを上から二つまとめて外す。
 あれ? いつボタンなんてしたっけ。眠る時はいつも一番上のボタンを外しているのにな。
 でも、どうでもいい。考えるのも億劫だ。

 そこで人の気配に気づいた。ぺトラだろうか。のろのろと顔を向ける。そこにいたのは、

「へい、ちょ……?」
「何だ」

 部屋の椅子に腰かけて書類を読む兵長の姿があった。私が寝込むことになった原因――いや、別に責任を押し付けるわけじゃないけれど。

「どうして、ここに……」
「ペトラに頼まれた」
「……そうですか」

 重い腕で自分の額に触れて気づく。頭に冷たいタオルの感触。

「これ、兵長が?」
「ああ」
「……すみません」

 そこでペトラの言葉を思い出す。薬はあとで持ってくる、と。

「あ、薬……」
「さっき飲ませた」

 どうやってと私が訊ねる前に兵長が続けて言った。

「何か食えるか。少しは腹に入れとかねえと治るものも治らねえ」
「さっき、食べました」
「残したと聞いた。これはどうだ」

 と、兵長が示したのはぺトラが置いて行ってくれた籠に入ったりんごだった。

「ええと……」
「食え」
「……いただきます」

 圧力に負けて頷けば、兵長はどこからともなく取り出したナイフでするするとりんごの皮を剥き始めた。
 そして小さく実を切り分けると、指先につまんで私の口元へ持ってきた。

「あ、の」
「手は洗ってある」

 そんな心配をしているのではありません。

「食え」
「……いただきます」

 餌付けされる雛のように私は兵長に食べさせてもらう。口に合うように小さく切ってくれていたので、無理なく咀嚼することができた。食欲はなかったけれど、おいしい。
 時間をかけて私がそれらを食べ終えると、

「ところで」

 兵長の視線が窓のそばにある机へ向かう。そこには瑞々しく綺麗な花が活けてあった。

「何だ、あの花は」
「ああ。昨日、グンタさんから頂いて……」

 昨日。誕生日。
 関連して思い出したことにはっとするが、兵長の表情はまるで変わらない。

「――そうか」

 兵長は頷くと、私に手を伸ばしてきた。何をされるのかと思えば、するりと優しく頬を撫でられる。その心地よさについ目を閉じた。

「まだ熱がある。寝ておけ」
「はい……」

 そして兵長は時計を見た。机に広げていた書類を整えると腰を上げる。

「会議の時間だ。後でペトラが来る。さっさと治すんだな」
「はい、ありがとう、ございました」

 兵長が部屋を出た。

 ひとりになって、深呼吸をする。

 さて、もう一眠りしよう。それが病人の務めだ。
 先ほどよりも随分と身体が楽になっていたので、この調子なら明日には回復している予感があった。
 それに気持ちも軽くなっていた。兵長の態度に何らおかしいものはなかったし、ならば私も普通に接していればいいのだ。

「あれ?」

 そこで気づく。現在着ている夜着が眠る前に着ていたものと違うことに。淡い花柄から無地のものになっている。汗でべたついていた身体もさっぱりしていた。

「ペトラが着替えさせてくれたのかな……」

 その疑問に答えてくれる人は、いない。


(2013/09/15)
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