Novel
未来の手が今を掴む
過去が私に手を伸ばす。私はそれを、振りほどけない。
「兵士に代わりはいくらでもいる。そうしなければ成り立たない組織だからね。しかし僕にとって君は君しかいないんだ。君だけなんだよ、リーベ」
「アルト様……」
「もちろん君がお世話になったこの兵団に感謝は忘れない。これからも変わらず、ゲデヒトニス家は出資しよう」
アルト様の恋心に応えることは出来ないけれど――出資。それは大事な話だ。その言葉に思わず考え込んでしまった。
大金に見合う価値が私にあるとは思えない。つまりこれは、調査兵団にとって得になる話なのかもしれない。
私はここにいたいけれど、兵士として代わりのいる人間であるリーベよりも、少しでも貴重な資金を得るリーベを兵団が求めているのだとしたら。
ならば、私の、居場所は――
「どうか真剣に考えてくれないか、リーベ」
「さっきからベラベラと何言ってやがる」
すぐそばから聞こえた低い声にはっとする。そうだ、ここにいるのは私とアルト様だけではなかった。
「へ、兵長……!」
顔を向けて、兵長のまとう殺気に私は慌てた。ただでさえ鋭い目つきがものすごいことになっている。
相手は出資者だ。言葉と態度には気をつけなくてはならないのに。
しかし私がどうにか諌めようとしても、兵長が相手では暖簾に腕押し状態だった。
あわあわとする私に対し、アルト様は私の手を握ったまま落ち着いた様子で兵長と向き直る。
「先ほどリーベを待っている間に、彼女のことを教えて下さりましたね、リヴァイ兵士長。リーベがいると仕事が捗ると。あなたはただ単に彼女のことを都合よく思っているだけではないですか? 彼女は非常に有能ですからね。しかしどうか、彼女を自由にしてほしい。リーベはあなたの所有物ではない」
「所有物扱いで何が悪い。――そいつは俺の女だ」
「ひゃっ」
兵長の強い力で肩を引っ張られ、私はアルト様から引き離される。
私の視界いっぱいに映るのは、調査兵団の紋章――自由の翼だった。
まるで私の盾になるように、兵長がアルト様の前に立ちはだかる。
上背はアルト様の方がある。しかしさすが、小柄でも兵長の威圧感は凄まじいものだった。
「……そのような話は初めて聞きましたがね」
「言いふらす趣味はねえからな」
私から見える兵長の横顔は厳しくて、私は声を発することができない。
私が兵長のものだなんて、私だって初耳だけれど、そんなことは今この場で言えるはずがない。
「こいつは俺のものだ。手元から離すつもりはない」
「……大切なら、安全な場所へいてほしいと思うものではありませんか」
「安全? 寝ぼけたことを言ってやがる。そんなものは今の世界にねえな。壁だってまたいつ破られるかわかったもんじゃない」
冷たいまなざしのまま、兵長が続ける。
「だがそれでも、まだ安全だと保障できる場所があるとするなら、それは俺の傍に他ならないと思うが?」
人類最強。彼がその名でも呼ばれていることを、アルト様が知らないはずがなかった。
「本当かな、リーベ?」
アルト様が私へ顔を向ける。
「本当に君は彼のものなのかい? 彼にすべてを捧げていると?」
「え、と」
声がかすれた。しかし兵長の背中――自由の翼が視界に入り、はっとする。
そうだ。私は戦うのだ。私が守りたい自由のために。
そのためには、たとえ相手がアルト様であろうと立ち向かわねばならない。
「――はい。心臓以外は何もかも、兵長のものです。この人がいるから、今の私がいます。私が私でいられます」
自然と込み上げてきた、その言葉。それを必死に声にした。
「だからこれからもこの場所で、兵長のそばで私は生きていたいです。最期まで、ずっと」
私が口を閉じて、面会室に満ちたのは沈黙だった。
「…………」
言い過ぎただろうか。それとも何かおかしなことを言ってしまったのだろうか。
兵長が少し驚いたような顔をしている。私しか気づかないくらいの微々たる表情の変化だが。
「……そうか」
私が考え込んでいるとしばらくして、アルト様がぽつりとそう言った。そして「何かあったらいつでもゲデヒトニス家へ戻っておいで」と優しい言葉を残して面会室を出た。
部屋には私と兵長が残される。アルト様は見送りを断ったのだ。
「えーと……」
なぜか兵長の顔を直視することができなくて、私は曖昧な視線のまま言葉を探す。
「すみませんでした、兵長。でも、助かりました。ありがとうございます。アルト様は人に言いふらすようなお方ではないのであの嘘でも問題はありません。ご心配は――」
「リーベ」
名前を呼ばれたら逃げられない。私は観念して兵長へ顔を向けた。
案の定、そこには眼光鋭いまなざしがあった。
「途中、くだらねえこと考えてあいつの家へ戻ろうとしただろう」
見抜かれていた。
「そ、そりゃあ迷いますよ。お金は大事なんですから」
「もう二度と考えるな。わかったか」
「……はい」
「理解していないのに返事をするな」
強い口調でそう言われ、私は言葉に詰まる。
うつむいて黙り込んでいると、
「お前だって、かけがえのない兵士の一人だ。簡単に、ここから離れようとするんじゃねえ」
「……兵長」
その言葉が嬉しくて、自分でもわかるくらいに声が震えてしまった。
「私……ここにいてもいいんですよね?」
思い出す。
冷たい地面の上に立ち尽くした、十二歳の冬の夜を。
どこにも居場所がない、孤独と絶望に満ちた過去を。
「調査兵団の、兵士として……」
戦うことで得たこの場所を喪うことはないと思っていた。兵長がいる限り孤独に苛まれることもないと信じていた。
でも、それが唐突に不安で揺らいだ。『絶対』なんて、そんなものをこの世界は約束してくれないと思い出したから。
「ずっと、ここに……」
「そうしろと言っているんだ。お前を追い出すやつがいれば俺が削いでやる」
「……物騒」
「悪いか」
「いえ、頼もしいです」
その言葉に私はやっと顔を上げる。少しだけれど、笑えるようにもなった。
そうだ。世界が約束してくれなくたって、兵長の言葉があれば、私には充分だ。
「ずっとここにいます。追い出されたって、出て行きません」
「それでいい」
面会室を出て、私は改めて兵長の背中を眺める。この人の後ろ姿はいつだって力強い。
「兵長」
「何だ」
あなたは私の自由そのもの。
「お茶、淹れましょうか? 部屋へ持って行きます」
「ああ、頼む」
(2013/09/09)