Novel
真実の境界線
ある日。朝からの立体機動装置の訓練を終え、私は兵長に命じられて彼の部屋を掃除していた。尤も、潔癖症の兵長のことだから元々綺麗な部屋だけれど。
苦も無く鼻歌を歌いながら窓を拭いていると、扉が開いた。部屋の主が戻って来たのだ。
「お疲れ様です、兵長」
ああ、とうなずきながら兵長は部屋を見渡す。問題がある時は指摘されるが、それがないということは及第点なのだろう。
一通り掃除を終えて部屋を出ようとすれば、名前を呼ばれた。
「リーベ」
「はい?」
「お前はなぜ調査兵団を志願したんだ」
唐突に、兵長がそんなことを口にした。
私は手を止めて、兵長に向き直る。
「……それは壁外調査における私の戦力外通告ですか」
「違う。毎回生き残って帰ってきているヤツが戦力外のわけがねえだろ。力がない人間は、死ぬだけだ」
俺が言いたいのは、と兵長が続けた。
「お前のこなす掃除、炊事、洗濯。どの腕もそう悪くない。兵士なんざにならずとも、内地の人間に仕えることくらい出来たんじゃないか」
「褒めすぎですよ、兵長」
「そもそも、お前は女だ。家庭に入ろうとは思わなかったのか」
まるで私の心を見抜くように、兵長が私を見つめる。
「ええと……」
少し考えてから話すことにした。
「実は、もともと内地仕えの人間でした。ただ、十二歳で奉公していた家から追い出されまして」
「なぜ追い出された」
「三十五歳の料理人に夜這いされて。返り討ちにしたら打ち所が悪くてその人、死んじゃったんですよ」
兵長がわずかに顔つきを変えたような気がしたけれど、私は言葉を続ける。
「正当防衛ということで罪にはなりませんでしたが、屋敷に居場所はなくなりました」
冬の夜。屋敷の外で立ち尽くした、冷たい地面を思い出す。あの日のことは忘れない。忘れられない。
「でもそのおかげで、私は私が戦えることを知ったんです。料理をして洗濯をして掃除をするだけじゃない、他のこともできるんだって。その力を磨くために兵士になりました。丁度訓練兵を受けられる歳でしたし」
思い返せば、あの日から随分と長い時間が流れたものだ。
兵長はなおも私から視線を逸らさない。
「もう戦うことをやめるつもりはないということか」
「そうですね。だって兵士になった私が調査兵団に入ったのは、最も戦う力を奮えると考えたからですし」
今となってはもう、戦う意志を捨てることはできない。
それを失えば、私が私でなくなるような、そんな気さえする。
「そうか」
「ええ」
でも、調査兵団に入った理由はそれだけじゃない。
目の前にいるこの人と、あの日に出会えたから――私はここで生きようと決めたのだ。
孤独を思い知って、戦うことでしかそれを埋められなかった私に、この人が教えてくれたことがあったから。
だが、そのことは告げないままに私は部屋を後にした。
(2013/08/29)