今日を日常と呼ぶ日が来たら
「この薬品とさっきの薬品を合わせれば――」
「あ、火が点いた……!」
「さらにこれを入れるとこうなります」
「火が緑色っ、すごいすごい!」

 昼もすっかり過ぎた頃、時間を忘れて書き上げた新しい発明品の設計図やら計算をまとめた用紙の山を抱えて歩いていると開発室からゼノフォンとリーベの声がした。いつの間に仲良くなったのか。

「火薬の使い方なんか教えるなよ」

 思わず声を上げれば、はしゃいでいた二人がこちらを見た。

「このタイプは威力が小さい目眩まし用で大した危険もありませんが。薬品も信煙弾に使っているものですし」
「そんな問題じゃない」

 ゼノフォンの得意分野が爆発物の製造と開発だからって、こんなガキに何を教えているんだ。

 俺はゼノフォンを睨んでから食べ損ねていた昼食をリーベに頼んで開発室を追い出した。

「どうしたんですかアンヘル? 彼女は素質がありますよ。火薬を扱う上で必要な几帳面さと大胆さ、そして勇敢さのすべてを備えています。可能なら私の助手にしたいですねえ」

 ゼノフォンが楽しげに語り出す様子になぜか苛々する。

「他にも手榴弾の作り方を教えてみましたが、あっという間にコツを会得していましたよ。ゆくゆくは職人に――」
「手榴弾? 何を教えているんだっ?」

 怒鳴ればゼノフォンはきょとんとするばかりだった。

「殺傷力のない花火のようなものですよ。知っているでしょう、失敗しても軽い火傷で済むくらいで」
「火傷は火傷だ。あいつにこれ以上怪我を増やすなんて冗談じゃない」
「随分と大切に思っているんですねえ」

 冷やかすわけでもなく淡々と不思議そうな声だった。
 俺は唇を引き結ぶ。

「リーベは俺たち職人とは違う。女だし、子供で――」
「おやおや。おかしなことを言いますね。為せる者が為すべきことを為すこの世界、男女も年齢も関係ありません。それにアンヘル、腕は認めていますが君だって三十代の私から見ればまだまだ――ああ、なるほど」

 突然ゼノフォンが笑い出した。眼鏡がずれるほどに。

「何だよ」
「まあ、君は若いですからね。単に焼きもちしているんでしょう?」
「くだらない。そんなんじゃない」

 俺はさっさと開発室を出て食堂へ向かった。そこから繋がっている厨房を覗けば、この時間帯のせいかリーベしかいない。
 なぜこいつと目線の高さが同じなのかと思えば、酒が入っていた空き箱を踏み台にしていた。何やらボウルの中身を手早くかき混ぜている。

「もうすぐ出来るよ。あとは焼くだけ」

 リーベが話しながらフライパンを手に炉辺の前に立つ。次に作務衣のポケットから出した小瓶から出した粉に別の粉をかけて――火が生まれた。

「おい、それ……」
「さっきゼノフォンに教えてもらったんだけど、この薬品とこっちの薬品を組み合わせたら雪山でも簡単に火が起こせるって。遭難した時とか重宝するみたい」
「……遭難しても俺はそれで食う気にならない」
「身体に悪くないって言ってたよ」

 俺は嫌だ。とはいえ今は頼んで作ってもらったのに食わないわけにもいかない。

 仕方なく腰を下ろして、設計図を修正しながら待つことにした。

 するとリーベはこちらへ顔を向けて、

「アンヘル」
「ん?」
「さっき、工房の外の道から話が聞こえたんだけど」

 逡巡した様子を見せてから続けて言った。

「どうして世の中の人は調査兵団を嫌うのかな。人類のために戦っているんじゃないの?」

 恐らくリーベが耳にしたのは調査兵団の悪口だろう。珍しいことじゃない。
 ウォール・マリアの突出区として税制面で優遇されているシガンシナだからこそ、そこで暮らす人間は必ずしも裕福とは呼べないものだから税を活動資金としている調査兵団への反発は強い。

「この世界で、未来を思い描ける人間が多くないからだろ。今をどう生きるかで精一杯だ」

 壁を閉ざして巨人と決別する代わりに人類が緩やかに衰退していくか。
 茨の道でありながらも籠を出て人間という種にわずかでも希望を残すか。

 大抵の人間が、今のことしか考えられない。
 だから現在の苦境を非難するしか出来ない。

 自分なりの答えを伝えれば、リーベは戸棚から背伸びをして皿を出しながら、

「じゃあ、この世界でアンヘルはどうして職人に?」
「俺? 俺は……」

 隠すようなことではないので話すことにした。

「ソルムとマリアとの約束だ」
「約束?」
「ガキの頃からソルムは壁の外に興味を持っていたんだ。だから調査兵団に入るって言い出してからは大変だった。猛反対したマリアがいくら説得しても頑固だから折れないし」

 もちろんマリアは大激怒。だが、怒ったところでソルムの気持ちは変わらなかった。

「だから俺はソルムの夢をかなえてやろうって決めたんだ。無事に帰還できるように武具を作ろうって。巨人さえ倒せるようになれば生還率も上がる」

 水を注いだコップへ口をつけて一息入れる。

「――リーベ、知ってるか? 常識ってやつは書き換わるんだ。そのために技術は存在する」

 自分自身にも言い聞かせるように、俺は言葉にする。

「だから、巨人が倒せないという常識も俺が書き換えてやる」

 とはいえ未だ、巨人を倒せる武器を作れてはいないのだが。
 提案したところで即却下、そもそも提言する場がない。発明王と呼ばれても結局は一介の職人に過ぎないことを思い知らされる。

 現状では求められた性能以上のものを作っても作り直しを命じられる有り様。発注者が求めるのは性能が低くても指示通りの武器であって、それ以上を求めていないのだ。

 あまりにもままならない。ストレスが溜まる。
 もっと自由な発想で、実力を出したいのに。

 内心で舌打ちしていると、

「じゃあ、これからの世界はアンヘルの常識が広がるんだね」

 リーベの声で意識が引き戻される。

「…………」

 未だにリーベから未来の話を一切聞いていない。
 未来から来た話が嘘だとしても、本当だとしても、何も聞いていない。

 それは俺もソルムもマリアも聞いていないのが理由ではなくて――単にこいつにとって未来は話すに値する時代ではないからかもしれない。

 俺たちの生きる今の時代を礎にした、未来が。

 だとしたら複雑な気分になる。

 未来のない世界で今の時代をどんな風に生きればいいのだろう。

 俺はこの時代で何を成し遂げられるのだろうか。
 もしかしたら何も出来ないのではないだろうか。

「アンヘル? どうしたの?」
「え、ああ……何でもない」

 ぼんやりしていたら気遣うような声がしたので応じた。

 そうだ。弱気になんかなっていられない。

 名前を残せなくても、俺は結果を残したいから。

 ソルムとマリアと交わした約束のために。
 リーベが生きる、未来の時代のために。

 気合いを入れたタイミングで運ばれてきたのはオムレツだった。出来立てだ。

「はい、どうぞ」
「いただきます」

 マリアに叩き込まれた礼儀作法通りに手を合わせて、一緒に添えられていたナイフとフォークで一口。

「…………」

 難しい料理ではないからこれくらい俺だって作れる。だが、一体全体どうしてこんなにうまく作れるのかわからない。

 咀嚼していると、リーベが向かい側へ座った。

「アンヘル、おいしい?」
「ああ、うまい」
「本当? 良かった」
「…………」

 これくらいでそんなに嬉しそうな顔するなよ。調子が狂う。

 だからふと考えてしまった。

 もしもリーベがずっとこの時代にいたら、どうなるんだ?


(2015/07/11)
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