深夜の作業が一段落して俺は手を止めた。ほっと息をつけば身体に力が入っていたことに気づく。
そろそろ眠ろうとして思い出した。俺の寝床が奪われていることに。
「…………」
リーベの部屋はまだない。マリアが女兵舎の空き部屋を探しても見つからなかったからだ。仕方がないので俺の工房にあるソファで眠っている。ここは以前から俺が自室代わりにもしているので眠れないことはなかった。
おかげで俺の寝る場所がなくなったが、別にどこでだって眠れるから構わない。最終手段は新米が眠る大部屋へ行けばいい。去年、ここへ来たばかりの頃はそこにいたし。
「…………」
今更ながら面倒事を抱え込んだと思う。だが後悔はなかった。もしもリーベが落ちて来たあの瞬間に戻れたとしても、俺は何度だって手を伸ばすだろう。
包帯だらけの、この小さな子供を。
作業のために着けっぱなしだったゴーグルを外そうとした時、気づいた。リーベの声だ。うなされている。
見れば、眉間に皺を寄せて苦しそうだ。悪い夢でも見ているのだろうか。
『誰かに殴られたり蹴られたり――圧倒的な暴力の痕ね』
マリアの言葉を思い出してどうしたものかと考えたが、悩むことなく答えは出た。
『何も聞かない』だ。それに限る。無理に聞き出したところで何になるのか。
ただ、リーベの方から何か話すのなら――向かい合って、真っ正面から聞こう。
それでいいだろう。
考える間にも目の前のガキは相変わらずうなされているので俺は床に膝をついた。手を伸ばし、ぺちぺちとリーベの頬を軽く叩く。もちろんガーゼを貼っていない方だ。やわらかい。こんな材料があれば何か作ってみたくなる触り心地だった。
「おい、リーベ」
さらに声をかけて起こせば、やがてゆっくりと目蓋が上がる。
「アンヘル……?」
「起きたか」
寝起きの声に俺が立ち上がれば、リーベも上半身を起こす。少しぼんやりしたかと思えば、やがて視線を向けられた。
「……何?」
なぜ起こされたのかと言いたいのだろう。うなされてたことをわかってねえのか。
「間抜けな顔で寝てたから、つい」
俺が口から出任せを言えば、まともに受け取ったリーベは怒るような恥じるような複雑な表情になって、顔を背けた。
「ろ、蝋燭もないのに……こんなに暗いのに、寝顔なんて見えるわけないじゃない」
「問題ない。これがあるからな」
俺はそれまで装着していたゴーグルを外し、サイズを調整してからリーベに着けた。
するとリーベは息を飲んで、
「何これすごい! 昼みたいに部屋が見える!」
「明暗制御ゴーグル。暗い場所だろうと太陽を直視しようと視界に問題ない優れもの。ちなみに試作品止まり」
「え、どうして?」
この様子だと寝顔を間抜け呼ばわりされてふてくされていたことなんかすっかり忘れているようだと思いながら俺は説明した。
「性能が良くても製造原価が高いと実用化は見送られるんだ。利益にならない。それをどうやって量産化出来るかが職人の腕の見せ所でもあるが、いつもうまくいくわけじゃないからな。うちの工房長は甘くないし」
「もったいない……」
残念そうに呟いてからしばらく部屋を見渡し、リーベはマリアに借りたカーディガンを羽織った。当然ながらサイズは合っていないが袖を調節すれば問題ない様子だ。
「喉渇いたから食堂で水飲んで来る。これ、着けたまま行っていい? 蝋燭いらなくて便利だし」
「ああ、問題ない」
リーベを見送って、俺は欠伸を漏らす。あの調子じゃしばらく起きているだろう。仕方ないから付き合ってやるか。
そう考えていれば、リーベはすぐに戻って来た。
「アンヘルアンヘルアンヘル!」
「何だ、怖かったのか?」
「食堂に変な人がいる!」
リーベが言った通り、誰もいないはずの食堂に人影があった。ごそごそと床に伏せて何かしているようだ。怪しい。
「アンヘル……」
「大丈夫だ、俺がいる」
俺の名前を呼ぶリーベを力づけたものの、この言葉に効果があるとは思えない。俺がいるから何だ。それがどうしたんだ。だが何も言わないことは出来なかった。
そもそもリーベを置いて来るべきだったかと今更迷う。なぜ連れてきたのか。部屋を出る時はひとりにさせられない心境だったせいだ。どうするべきだったのか誰か教えてほしい。
『最近この近辺で窃盗団が流行ってるらしい』
工房長の声がよみがえって身構える。
『見回りには俺たち調査兵団も加わっている』
ソルム、今どこにいるんだ。
本物の窃盗団なら俺ひとりで太刀打ち出来るはずがない。だから今は確認するだけだ。人数や武器の所持など最低限の情報を得て、それから工房長や他の職人を起こして――
そこまで考えた時だった。
「――よっこらせ。おや、アンヘルじゃないですか」
床から立ち上がり、現れたそいつの顔を見て力が抜けた。
工房の重鎮、ゼノフォン・ハルキモ。染みだらけの作務衣に眼鏡をトレードマークにした三十代。
そして俺が工房へ来るまでは発明王と呼ばれていた職人だった。俺はまだ十六で若手の部類だが、成果主義のこの世界に年齢は関係ない。
「リーベという名前でしたっけ? 子供を預かっている話は聞きましたよ」
ゼノフォンが眼鏡を押し上げる。
確かに変なヤツだ。それは否定しない。
そして嫌なヤツだ。それも否定しない。
だが、悪いヤツではない。
反りは合わないが職人としての腕は認めているつもりだ。
「ああ、こいつだ」
俺の後ろにいたリーベを示せば、ゼノフォンは何度か瞬いてから、
「おやおや、随分と小さくて可愛らしい子ですね。六歳の姪っ子を思い出します」
「……こいつは十二歳だ、ゼノフォン」
複雑そうな顔をしているリーベを見てから俺はため息をついて、
「で、こんなところで何やってるんだ」
その言葉を待っていたと言わんばかりにゼノフォンが眼鏡の奥の瞳を光らせた。
「実は今日、内地で暮らす貴族様から依頼がありましてね。大量に火薬を所持されている方で『これで何か面白いものを作ってくれ』と」
「……それは物騒な貴族だな」
そもそも何で貴族が火薬を持て余しているんだ。
「お家柄だそうですよ。今回は武装面以外で活用法を考えて欲しいとのことです」
俺の思考を見透かすようにゼノフォンが言った。
「お鉢が回ってきたのは爆発物の製造と開発が私の得意分野だからでしょう。早速こんなものを作ってみました。ある程度の広さと高さが欲しかったのでここへ来たのです」
ゼノフォンが先ほど伏せていた場所には、筒がいくつか立てられ一定の感覚で並んでいた。
それをリーベが近づいて見ようとしたが、俺はカーディガンを掴んで止める。ゼノフォンの得意分野を考えれば近づくべきではない。
予想通り、ゼノフォンは床に立てた筒の底から伸びた導火線らしきものにマッチで火を付けた。
やがて導火線が短くなって燃え尽きるなり、天井へ向いた筒の先から小さな火の玉が飛び出す。そして勢いよく高く上がったかと思うと宙で円形に火花が散った。
いや、違う。散ると呼ぶよりも――咲くようだった。
「花火というものです」
「はなび……?」
繰り返したリーベの言葉にゼノフォンは嬉しそうに頷いて、
「火花がとても可憐でしょう? 原理としては閃光弾を応用してみました。火薬だけではなく金属も使っています。あとはアレンジを少々。発明と呼ぶより工作ですね」
説明しながらまた花火を咲かせた。先ほどとは咲き方が違った。何種類か作ったのだろう。
「これはまだ試作品なので小さいですが、貴族様にお披露目する時は十倍以上大きくする予定です。そこまで大きくすればこうして室内では打ち上げられませんが。窓を開けても使用する火薬の分だけ臭いの問題もありますし」
「外だろうと危険じゃないのか?」
「扱い方を誤れば当然危ないものです。注意はしっかりさせてもらいますよ」
ぽんっ、とまた花火が咲く。光に彩りと変化がある。純粋に綺麗なものだと思った。
「どうです、悪くないでしょう?」
「確かに貴族は好みそうだ」
時に危険な火花が、こうも美しくなるのか。
ふと隣を見下ろせば、リーベが咲いては散る花火を食い入るように見ていた。
「きれい……」
見惚れるように目を細める。
試作品くらいでこの反応なら、本物の完成品を見ればどんな顔をするのか。
「…………」
想像すると面白くない。
ゼノフォンに負けないような発明を明日にでも始めよう。
(2015/06/13)
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