推論を立てるには情報が必要だ。
「リーベ。お前、ここへ来る直前に何か起きなかったか?」
「ここへ来る前? ゼノフォンに火薬の新しい使い方を教えてもらって――」
「そうじゃない。――この時代へ来る直前のことだ」
「……何、急に」
今までこんなことは一度も訊ねていないので怪訝な様子だった。
「いいから答えろ」
「え、ええと……」
リーベは少し考えてから口を開く。
「階段から落ちた」
さっきは梯子から落ちた瞬間に起きたことだった。これは揃えるべき条件の一つ目の要素になりうるかもしれない。
頷きながら、俺は首を捻った。
「何で階段から落ちたんだよ。危ないだろ」
「それは……前が、見えなかったから……」
「何で」
「たくさん本を抱えていて……」
二つ目だ。
俺は周りに散らばっている大量の書物を眺める。
それから――
「鐘が鳴ってなかったか?」
「え?」
訊ねればリーベがきょとんとしていた。
「お前がこの時代へ来た時、『解放の鐘』が鳴ってた」
それに、ついさっきもだ。
するとリーベは考え込んでから、
「鳴ってた……気がする……」
「――それだな」
高所からの落下。書物。鐘の音。
異なる時代を行き来する鍵だ。
「何の根拠もないし、理屈も説得力もないが……」
だが、今はこの条件が確定的だ。
もう一度繰り返せば、同じことが起こるかもしれない。
「さっき中途半端に透けただけだったのは、消える直前に俺が触れたからか? それとも、単純に高さの問題か……?」
思考を走らせていると、リーベが不安げに俺を仰いでいた。
「ん? どうした?」
「何でそんなこと訊くの?」
「いや、何でって……」
戸惑った。リーベがそれを望んでいないように顔を曇らせていたから。
「お前が元いた時代に帰る方法がわかるかもしれないから――」
「帰らなきゃだめ?」
悲しそうな声だった。
何で、そんな顔するんだよ。
俺は座り込んだままのリーベに視線を合わせた。すると逃げるように顔を伏せる。
「嫌なのか?」
「…………」
リーベは黙り込んで何も言わない。
「はっきり言えよ」
「……かえりたく、ない……」
促せば、リーベはうつむきながらか細い声で言った。
すると、
「帰りたくないなら帰らなきゃいいだろ。特に問題なさそうだしこのまま居れば良いんじゃねえの?」
「簡単に決めていいことじゃないけれど……その方向で真剣に考えるなら私も協力くらいはするわよ」
「時空を超越するだなんてロマンがありますねえ。未来はどんなものが発明されているのでしょう?」
ソルム、マリア、ゼノフォンがいつの間にか書庫にいた。
「何の用だ」
俺が目を眇めて顔を向ければ、
「いや、さっき物凄い音が聞こえたから」
「心配で駆けつけるに決まってるでしょ」
「何か大発明の完成かと期待しましたが」
また順番に三人の返事があった。
ソルムたちが聞いたのはリーベが梯子から落ちた時の騒音だろう。付近一帯に響いてもおかしくない。
って、ちょっと待てよ。
「ゼノフォン、何でお前まで当たり前の顔してここに加わってるんだ」
「さっきの君たちの会話が途中から聞こえただけですよ。リーベがこの時代の人間ではないと内密にしたいなら話す場所を気にしなさい」
この話が広まって周囲に目を付けられると厄介なので、秘密にしてもらわねばならないと思っていると、ゼノフォンは興味津々といった様子でこちらを見ていた。眼鏡の奥の瞳を輝かせている。
「早速実験してみますか? 手始めに階段から落としてみます?」
「ふざけるな」
俺はゼノフォンからリーベを引き離す。
「冗談ですよ。――だって彼女はこの時代でこれから生きるのでしょう?」
はっとして、俺は言葉を探す。
「この時代に生きるって……そうだ、服とかどうするんだよ。そいつ作務衣しか持ってねえし!」
「久しぶりに孤児院へ寄ったら貴族からたくさん衣服の寄付を受けたらしいの。その余りをもらって来たからいくらでも繕い直すわよ」
マリアが問題ないというように肩をすくめて、リーベをぎゅっと抱きしめた。俺が知らない間に随分と仲良くなったらしい。女同士だからか気兼ねないようだ。
「足りないものはこれから揃えたらいいじゃない。おかしなことを気にするわね、アンヘル」
言われてみれば服とかどうでもいい話だった。指摘された途端に気恥ずかしくなる。
それくらい、必死になってしまった。
「で、でも、訓練兵団はどうするんだよ。入団するんじゃなかったのか? この時代じゃ入るのは無理だろ」
「俺が基本から体術教えてやるよ。窃盗団撃退で見込みがあると思ったしな。それでリーベが満足するなら充分だし、もし入団したければ戸籍くらいいくらでも作れる」
ソルムがリーベの頭を乱暴に撫でながら笑った。リーベはされるがままだ。
「ここに居続けるにしても問題はありませんね。アンヘルはもう個人の開発室を持てるようになって助手をつけることも許されたんですし、リーベは丁度良いんじゃないですか? 仮ではなく正式に」
「簡単に言うなよ、こいつが職人に向いているかもわからないのに」
「君の混沌部屋を片付けた功績だけで充分だと思いますが」
職人の部屋なんか似たり寄ったりだと思っていると、ゼノフォンがリーベの肩へぽんと手を置く。
「君がいらないなら私が助手にもらいましょう」
「それは却下」
俺は再びゼノフォンからリーベを引き離した。
何で俺以外はこんなに前向きなんだよ。
「はあ……」
ため息をつけば、三人に囲まれて嬉しそうに笑うリーベが視界に入る。
眺めていると、頬が緩む。心がなごむ。
ずっと、こうしていられたらと思う。
でも――
「…………」
何だろうな、この気分は。
誰が望まないとしても。
俺は。
リーベを未来の時代へ帰してやりたいって思うんだ。
(2015/09/02)
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