「話を聞いた時は心臓が止まるかと思ったわよ。こっちがどれだけ心配したかわかっているの?」
目をつり上げて怒るマリアから俺は目を逸らした。
「悪かったよ。でも――」
「口答えしないで」
「窃盗団に反撃とはやるじゃないか」
「ソルムは口を挟まないで」
「最初はこんな子供が兵士に志願するのはどうかと思ったが、案外リーベに向いてるかもな。普通は怖じ気づいて動けなくなるもんだ。将来有望だと思わないか?」
マリアの一蹴も気にすることなくソルムは続ける。後でどう機嫌を取るのだろう。今回の件でいくらか得たらしい報奨が活躍するに違いない。
何にせよこの時間を早く切り上げるため俺はソルムに加担することにした。
「まさか。あんな小さいガキが兵士に向いてるって?」
「小柄な体格が必ずしも欠点になるとは限らない。例えばアンヘル、お前が今そう思っているな? つまり相手の油断に付け込むことが出来る」
「侮られるってことだろ。屈辱じゃないか」
「勝てばこっちのものだ。何を恥じる必要がある?」
なるほど。結果を出したもの勝ちだという意味では俺たち職人の世界も同じだ。
「ちょっと二人とも、私の話はまだ終わってないわよ」
「大怪我もなく窃盗団も捕まえられたんだ。結果良ければ全て良しだろ」
「まとめて終わろうとしないで。私は全然良くないわ。――それでリーベは? あの子にも言って聞かせなきゃ」
怒りのマリアがきょろきょろと探し物をするように首を振る。俺は肩をすくめた。
「さあ。ゼノフォンの所じゃないか。最近入り浸ってる。止めても行くからもうほっとけよ」
「あの変人と仲良くなるとは流石だな。――ってアンヘル、いいのか? 『男は三十路を越えてからに限る』が俺の隊長の口癖なんだぞ」
「はあ?」
その時、遠くから『解放の鐘』が鳴り響く音がした。
俺は窓の外を眺めて、
「まだ点検が終わらないのか。随分と時間がかかるんだな。もう何日目になる?」
「鐘があんなに鳴ってるのに門は開かれず壁外へ行けないってのは気が滅入る……」
ソルムはうなだれていた。壁外調査は当分ない様子だ。
そういえばリーベが落ちて来た時も鐘が鳴っていたことを思い出しながら、腰を上げる。
「じゃ、俺は行くから」
「ちょっとアンヘル! まだ話は終わってないわよっ」
マリアの声から逃げるように部屋を出れば、ゼノフォンが通路の向かいから一人で現れた。何に使うのか全くわからない謎の道具を抱えている。リーベはいない。
「おやアンヘル。リーベなら書庫にいますよ」
心を見透かすような声にむっとする前にゼノフォンが続ける。
「ところで彼女は箱入り娘のお嬢さんですか?」
「何だそれ」
「大事に育てられたってことです」
「さあ、どうだか」
仮に大事に育てられた人間だとして、あんな包帯だらけになる暴力を振るわれた痕があるのは謎だ。
「思い出して下さいよ。ほら」
「何を?」
「いつも何気ない所作が綺麗でしょう。掃除をしたり、物を運んだり……洗練されているとでも言いましょうか。一朝一夕で出来るものではありません。あれはきっちり身体に叩き込まれたものですよ。案外貴族のお嬢様だったりして」
「それはない」
貴族の令嬢が掃除や食事や洗濯を好んでするもんか。
そう反論すればゼノフォンは唸って考え込む。
「『花火』の件で貴族様の家へ行って、あの階級に暮らす人々の一挙一動の美しさと無駄のない動きに感動したからこそ気付いたのですが……」
妙なことに気づくヤツだ。
ゼノフォンはリーベがこの時代の人間ではないことを知らないが、いつか何かの拍子に感づくかもしれない。
あいつが未来の時代から来た人間だということ。
「…………」
ふと考えた。
あいつが元いた時代へ戻る方法はあるのだろうか、と。
「ゼノフォン、一度起きたことをもう一度起こすにはどうすればいいと思う?」
「はい? おかしなことを言いますね。同じ条件で同じことを繰り返せばいいでしょう」
「……だよな」
だとすれば、リーベが未来の時代に戻る方法はあるはずだ。
あの日あの時あの瞬間、何が起きたか思い出しながら書庫で見つけたのは机に向かっている小さなリーベの背中。何をしているのかと覗き込めば紙に何かを書いている。
気になったので紙を引ったくると、悲鳴を上げられた。
「ちょっと! 返して!」
「何を書いてるんだ?」
いくら背伸びしてもリーベの手が絶対に届かないように頭上へ紙を上げて、そこに書かれた文字を見る。
「Angel――俺の名前?」
「返してってば!」
「わかったわかった」
なぜか顔を赤くして怒るリーベに首を傾げながら紙を返してやる。
「……アンヘルって良い名前だから、書きたくなっただけだよ」
「そうか?」
身寄りがなかった俺に孤児院の院長がつけてくれた名前だ。良し悪しはわからないが不自由はしていない。
「それならお前だって良い名前だろ」
適当にペンを拾い、インクをつけてから同じ紙にリーベの名前を綴れば、なぜか複雑そうな顔をされた
「そうかなあ」
眉を寄せて、唇をとがらせて――面白い顔だ。
「やっぱりアンヘルの方がいいよ」
「それなら名前に恥じぬ結果を残さないとな」
紙やペンを片付けながら、そこでリーベが思い出すように顔を上げた。
「結果といえば……ゼノフォンが言ってたけど、あの窃盗団の処分って決まらないの?」
「ああ、死刑にするか否かで揉めてるらしい」
ソルムからの伝聞だが、なかなか簡単に決まらないとのことだ。
「今まで被害に遭った連中がうるさいらしい。死なせでもしないと許せないんだとさ。でも死刑はやり過ぎだって反論するヤツもいるとか」
するとリーベがぽつりと言った。
「人の命は複雑だね。――簡単に扱われることもあるのに」
そう話すリーベの表情が見えなくて、少しだけ気になった。
「リーベ?」
「どうかした?」
こちらを見ることなくリーベが書物を片付けるべく本棚へ掛けた梯子を登る。片手が塞がっていても動きには危なげがない。さっき聞いたゼノフォンの指摘がよみがえったが、それどころではないように思えた。
その小さな背中に声をかけようとしたが、言葉が浮かばなかった。
頭を掻いてため息をついていると書物を抱えたリーベが梯子の上で、
「アンヘル、一昨日に探してた図説が一番上の棚の右から十三番目にあるよ」
「……誰だよそんな場所に戻したのは。リーベ、取って降りて来てくれ」
頼めば了承の声が返って来る。誤魔化されたようにも思っていると――書物や資料が隙もなくぎっしり詰まっているせいか目的の図説を抜き出せずにリーベが四苦八苦していた。
「大丈夫か?」
「うん、ちょっと抜けなくて……」
図説の背表紙に指を引っ掛け、どうにか取り出そうと力を込めていた。梯子の上でそんなことをするものだから急に危なっかしく見える。
「おい、無理するな。俺がやるから下りてこい」
「抜けた! ――あ」
ぽすん、と本が抜けた。
が、その勢いで立て掛けていた梯子が本棚を離れてしまう。
「わ、わ……!」
リーベが本棚へ必死に戻ろうと腕を伸ばすも、手は届いていない。
「リーベ!?」
次の瞬間、大量の書物とリーベの身体が梯子から宙へ投げ出されて俺は息を呑む。
その時だった。
開かれた窓から『解放の鐘』の音が大きく響き渡る。
そして落ちて来るリーベの身体が空間に溶けるように透けた。
「な……!」
瞬間、リーベの身体が強く俺にぶつかる。
受け止めきれずに二人で床に転がった。大量の書物もそばに音を立てて落ちてきて、リーベの頭に直撃しそうになった図説を俺は直前で払い飛ばす。
痛みより衝撃の方が大きい――何だ今のは!
慌てて確認すれば、リーベの身体が実体を伴った正常なものに戻っていた。俺の目がおかしくなったのかと腕で擦っていると、
「アンヘル? ごめん、どうしよう、目に当たった?」
「…………」
「大丈夫……?」
リーベは申しわけなさそうにしているだけだ。たった今、何が起きたのかわかってないらしい。
「…………」
直感と同時に確信した。
リーベは未来へ帰れる。
帰ることが、出来るんだ。
(2015/08/20)
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