少年が持つ守る力
我が物顔で闊歩する巨人。
次々に捕食される兵士。
悪夢そのもののような現実に、恐怖と嫌悪に何度も吐き気が込み上げた。それでも俺は生きている。訓練兵団を九番で卒業し、駐屯兵団で精鋭部隊へ選抜されたなりの実力と運をどうにか発揮出来たようだ。
住民の避難が完了して、撤退命令の鐘が鳴らされ無事にリコ班長と壁を越えた瞬間は全身から力が抜けるくらいにほっとした。
が、しかし。
現在、この壁の中でピンチ真っ只中にいるヤツがいた。
「アルミーン!」
俺の呼びかけは聞く耳を持たれることなく、アルミンは驚くべきことに『巨人のうなじ』から出て来たガキを抱えて必死になって呼び続けている。俺たち駐屯兵はそいつをぐるりと囲んでいる状態だ。
何だアイツは!
どう考えてたって危ないヤツだろ!
アルミンをそいつから引き離したいが、俺の身体はイアン班長にがっつり捕まっている。
「イアン、頼むからそいつを離すな。この上なく面倒なことになる」
リコ班長が淡々とそう言って、イアン班長はため息をついた。
「リコ、お前の指示しかハイスは止められんだろ。何か言ってくれ」
「イアン。私は日頃からこいつに言っているんだ。『私を愛するな』と。わかるだろ? つまり命令に従わないことは珍しくない。――最悪の場合は気絶させるからもう少しそのままでいてくれ」
イアン班長の力に抗って、俺はじりじりと上官を仰ぐ。
「キッツ隊長待ってストップお願いします! あいつ、あの金髪は撃っちゃ駄目です良いヤツなんですってば!」
「シュッツヴァルト、貴様は何だ急に訳のわからんことを! あいつと何の関係がある!?」
「お、俺の弟です!」
一瞬、周囲がしんとした。そして次の瞬間には外野が声を荒げた。
「嘘つけ!」
「全然似てねえよ!」
「お前が頑固な赤毛なのにあっちは金髪サラサラじゃねえか!」
みんなひどいな!?
ヤケになって俺は叫ぶ。
「血が繋がってない生き別れの弟だあああ!」
「それもう他人だろうが!」
容赦ないキッツ隊長の突っ込みに、このままじゃ駄目だと思った俺はようやくイアン班長を振り切って今まで以上に声を張り上げる。
「アルミン来い! そっちは危険だ!」
必死に手招きをすれば、
「……ハイスさん?」
アルミンはやっと俺に気づいてくれた。でも、泣き出しそうになりながら首を振るばかりでその場から離れない。
何でだよ!
歯を食いしばったその時、
「殺シテヤル」
巨人のガキが呟くように言った。
怖!
殺されそう!
こちら側が「あいつは俺たちを食い殺す気だ」と慄いて騒ぎ、キッツ隊長は「榴弾をブチ込む」と宣言、リコ班長もそれに同意して「兵と時間の無駄遣いです」とにべもなく口にする。そこで黒髪美人な訓練兵がブレードを両手に構える。
「私の特技は、肉を……削ぎ落とすことです。必要に迫られればいつでも披露します。私の特技を体験したい方がいれば……どうぞ一番先に近づいて来て下さい」
こっちも怖!
本当に殺されそう!
「彼女がミカサ・アッカーマン。私たち精鋭と共に後衛に就きました。彼女の働きは並の兵士100と等価です。……失えば人類にとっての大損害です」
イアン班長が淡々と冷静にキッツ隊長へ説明する。黒髪美人――アッカーマンの訓練兵とは思えない規格外な戦闘力は俺もさっき後衛で目撃したから納得出来る。
こいつ、本当に俺たちの肉を削ぎそうだ。
そんなことを思っているうちに――砲弾が放たれた!
「アルミン!」
駆け出すより早く、リコ班長に足払いをかけられて俺は見事に転倒する。
「ぐぇっ」
その時、稲妻のような閃光が走った。
「!」
さらに耳へ届いたいくつもの悲鳴に何事かと思えば――巨人が出現していた!
「わああ!?」
何で!? やっぱりあのガキは危険分子だ! と思っていると立体機動装置を外しながらアルミンが蒸気と粉塵の向こうから現れる。
「アルミン!?」
険しい表情には強い覚悟が浮かんでいて、この短い時間に一体何があったんだ?
「貴様! そこで止まれ!」
キッツ隊長が叫び、アルミンはまっすぐに前を見据えて話し始めた。そして力説する。イェーガー訓練兵が巨人ではない証拠は必要ない、と。
俺は首を捻る。周りも似たような様子だ。
「一体どういう……」
「大勢の者が見たと聞きました! ならば彼と巨人が戦う姿も見たはずです! ――周囲の巨人が彼に群がって行く姿も!」
その言葉にその場にいる全員が息を呑む。俺も驚いた。
イェーガー訓練兵に巨人が群がって行く姿――つまり巨人はあいつを『人類と同じ捕食対象』として認識したのだ、と。
ざわ、と周囲がざわめく。
「確かにそうだ……」
「ヤツは味方かもしれんぞ……」
一気にアルミン側へ優位に働いて、さらに巨人のガキも敵ではないかもしれない事実に俺が安堵すれば、
「迎撃態勢をとれ! ヤツらの巧妙な罠に惑わされるな!」
砲弾を発射する合図を出すために上げられたキッツ隊長の腕。
「何言ってんですか隊長!」
そこへ俺はしがみついた。
「ハイス!」
リコ班長の叫びに胸が痛んだが、離れるわけにはいかない。
「シュッツヴァルト! お前も人類の敵か!」
「いやいやいやいや! 何でもかんでも敵って決めつけるのがどうかって俺は言ってるんですよ! キッツ隊長の分からず屋! 何でもっと考えないんですか!」
イアン班長が空を仰いで、リコ班長がため息をつくのがわかったが、止められない。
「俺は納得しましたよ! 馬鹿でもわかりやすい説明だったじゃないですか! もっと話を聞いてみるべきです!」
「黙れ! 貴様が馬鹿だから納得したんだろうが!」
キッツ隊長の一喝に俺はぐっと奥歯を噛み締めて、
「じゃあ馬鹿でもわかる話がわからない隊長は小鹿程度の脳みそしかないんですね! 大熊《山の覇者》の方が間違いなく頭が回ります! あいつの予知予測能力はすごいんですからね!」
「おのれ貴様ァッ! 上官を侮辱するとは良い度胸だ! こいつらを処分した次は貴様だハイス・シュッツヴァルト! ――これ以上ヤツらの好きにさせてはならん!」
太い腕に突き飛ばされて地面へ強かに背中を打ち、一瞬呼吸が止まった。絶句するアルミンが視界の端で見えて、胸が詰まる。
俺は何も出来ねえのか?
「く……!」
ああ、この感覚、知ってる。
《山の覇者》に襲われた時と同じだ。諦観だけが、胸を占める。
俺は腰を抜かしていることしか出来ないのか?
「違う、俺は……!」
今度こそ腕を振り下ろさんとするキッツ隊長に体当たりすべく俺が動く直前――そっと腕をつかまれた。
「え?」
「待て、ハイス」
リコ班長だった。落ち着いた声だ。
俺は一気に冷静になって、リコ班長の視線の先にいる人物を確認し、意味を理解する。
そこで再びアルミンの勇ましい声が轟く。
「私はとうに人類復興の為なら心臓を捧げると誓った兵士! その信念に従った末に命が果てるのなら本望!」
右の拳を左胸へ叩き付ける、それは兵士の敬礼だった。
「彼の持つ『巨人の力』と残存する兵力が組み合わされば! この街の奪還も不可能ではありません!」
その声の力強さに、俺たちは圧倒されるしかない。
「人類の栄光を願い! これから死にゆくせめてもの間に! 彼の戦術価値を説きます!」
その時――俺は弱々しい声を思い出す。
『僕は助けられるばかりで何も出来ない』
そんなことねえよ、アルミン。
俺も、お前の後ろにいる二人もそんなことは思っていない。断言出来る。それくらいに今のお前は勇ましい。
そもそも、助けられてばかりで何も出来ないのは俺の方じゃないか?
《山の覇者》に襲われた時もそうだし、今この場も騒ぐことしか出来なかった。
「…………」
その事実に落ち込んだ時、今にも振り下ろさんとするキッツ隊長の腕をがしっと強くつかむ人物がいた。
「よさんか。相変わらず図体の割には小鹿のように繊細な男じゃ。お前にはあの者の見事な敬礼が見えんのか」
そんな風にキッツ隊長を諫めたのは、
「シュッツヴァルト同様に、ワシはあの者らの話を聞いた方がええ気がするのぅ」
ピクシス司令だった。
(2014/11/21)