麗しの薔薇は今日も殺伐 | ナノ


絶望開幕

 850年のある日。
 超大型巨人が再び出現し、トロスト区の門を蹴り破ったと知らせが入った。

「…………」

 おいおいおいおい。
 待て待て待て待て。

 俺なりに現状を整理しよう。

 ウォール・ローゼにぽっかり空いた大きな穴。超大型巨人はなぜかもう消失したらしいが、そこから大小さまざまな巨人が壁の中へ次々に入って来ていると報告されている。

 人類の敵が、俺たちの住処へ。

 そこから始まるのは巨人による捕食だ。
 つまり――殺戮だ。

 ぞわ、と全身が総毛立つ。

 内地で悠々暮らしている憲兵団は当然頼りに出来ないし、最も戦力が期待される調査兵団はタイミングが悪いことに現在壁外へ出ている――つーかあいつらハイペースに壁外行き過ぎ! マジで! だからこんなことになるんだぞ!?

 何てこった。訓練兵団を修了したばかりの兵士と俺たち駐屯兵でこの戦況を乗り越えるしかないなんて。

 しかも大ざっぱに下された命令は『住民の避難が完了するまで時間を稼げ』だって? 即ちそれは『死ね』と同義じゃねえか。

 立ち尽くしていると、

「ハイス、何をしている! 早く装備を――」
「リコ班長!」

 俺は叫んだ。外の混乱が手に取るようにわかるが、この部屋には俺たちしかいない。

「逃げましょう! 内地、いや、王都まで! 人類とかどうでもいい! あなたが生きていてくれたら俺はそれだけで――あがっ!?」

 ありったけの気持ちを込めて叫ぶと、顔面に衝撃が走った。目の前に星が飛んで、気づけば大の字で倒れていた。

「お前を本気で殴ったのは二度目だな、ハイス」

 どんな水や氷よりも冷たい声がした。もちろんリコ班長のものだ。

 どうやら俺は殴られたらしい。

 見れば、リコ班長は立体機動装置を手順通り身につけ始めている。落ち着いた動作だった。

「ふざけたことを抜かすな。巨人よりも先にお前を削ぐぞ」

 やがて装備を整え終えたリコ班長が言った。

 俺は痛む顔を押さえながら身体を起こすが、まだ立ち上がれない。

「ハイス、お前は兵士だろう。そして私もだ。これまでの日々、兵士としての権利や資格を享受して来た。ならば有事の際にその義務を怠ってはならないんだ」
「それは……」

 わかっている。
 いや、わかっているつもりだった。
 でも、本当は何もわかっていなかった。

 心臓を捧げる、その意味を。

「でも、俺は……」

 周囲の喧騒は、止まない。秩序が悲鳴と混沌に侵されていくようだった。

 そして――俺の、心も。

「怖いんです」

 自分でも驚くくらいに素直で情けない言葉だった。

「リコ班長は怖くないんですか」
「……恐れることは後にでも出来る」
「それって死んだ後でしょ?」
「…………そうだ」

 恐怖と絶望しか、今の俺にはわからない。

「行きたくない。死にたくない。それに――」

 リコ班長に何かあったらと思うと、おかしくなりそうだ。

「もしもリコ班長が……あなただけは、生きていて欲しいのに……」
「仮に人類が死に絶えて私だけが生き残るなら、それは考えるだけでおぞましいことだな」

 淡々とした声に俺は息を呑む。

 俺は自分のことしか考えていなかった。
 この人のことで頭がいっぱいなのに、自分勝手な都合ばかり押し付けていた。

 そのことに黙り込んでいると、

「逃げるのなら勝手に一人で行け。この混乱に乗じれば咎められることはないだろう。ただ私が言いたいのは――」

 背を向けられて、リコ班長の顔が見えなくなる。

「お前はなぜ兵士になったんだ?」
「……それ、は……」

 座り込んだまま唇を引き結んで俺は言った。

「最初は憲兵になりたくて……でも、今は……」

 声が震える。
 拳を握りしめれば、

『精鋭部隊出動要請! 繰り返す、精鋭部隊出動要請!』

 技巧班が作った拡声器を使用した音声が、本部一帯へ響く。

「――どうする、ハイス・シュッツヴァルト。迷っている時間はないぞ」

 俺はゆっくりと立ち上がる。ふらついて、踏ん張った。

「……行きますよ。そりゃあ怖いけど、一番怖い時のことを考えたら大丈夫な気がします」
「《山の覇者》に襲われた時のことか?」
「それは二番目です。俺が本当に、一番怖いのは――」

 声は震えない。
 だから俺ははっきりと言葉にする。

「あなたのそばにいられなくなることです」

 たとえ世界がどうなったとしても、変わらない気持ちを。

「あなたのことが大好きで、ずっと一緒にいたいから」

 するとリコ班長がため息をついて、ほんの少しだけ笑った。

「そうか」

 仕方ないというような、呆れた表情で――それでもどこか優しさを滲ませた、そんな笑みだった。
 俺が見とれていると、ハンカチを手渡される。

「――これは私の持論だが、泣きたい時に泣けないよりは泣ける方が人間らしくて良いと思う。だが精鋭部隊として示しがつかないから鼻水だけは何とかしろ」

 俺、泣いてたんだと今更気づく。恥ずかしい。
 ぐしぐしと顔を拭えば、リコ班長の匂いがする。気持ちが落ち着いた。

「さて、行くか」

 背中越しにリコ班長が俺を仰ぐ。

「戦うぞ。今は私たちにしか出来ないことだ」
「……行きますよ、あなたがいるなら地の果てでも」

 俺は立体機動装置へ手を伸ばした。

(2014/11/06)

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