夕べに死すことも可なり
「最後になるかもしれないので、ひとつだけ聞いて下さい」
「検討はつくがな。聞いてやる」
深呼吸をしてから俺は言った。
「リコ班長、俺はあなたのことが好きです」
さあ行こう、絶望しかない戦場へ。
「今だ! 行けハイス!」
仲間の合図で俺は巨人のうなじを捉えた。
「どりゃあああああ!」
力の限りブレードを振り下ろして、削ぎ落とす。髭面の巨人がよろめき、そのまま倒れた。
屋根の上へ一旦引き下がり、俺は息をつく。
どれだけ動き続けているだろう。呼吸を整えていられない。苦しい。
「上だっ! 全員避けろ!」
班員の声に顔を向ければ巨人が口を開けて顔面から俺たち目掛けて降ってきた。
「のわぁ!?」
すんでのところで離脱する。転がるように屋根へ着地した。
「アクロバティックすぎねえか!?」
「奇行種は型に嵌まらない! 行くぞ!」
こんな怪物と戦ってる調査兵団ってどうなってるんだよ、と思わずにはいられないがそれどころではない。巨人は続々と前門から、或いは後方から近づいているのんだから。
標的の動きを見定めたその時だった。
「ハイス! ミタビ班の援護に加われ! あちらに人が足りない!」
「リコ班長、こっちも今の人数がギリギリです! これ以上に抜けると――」
「こちらは大丈夫だ、まだやれる!」
「で、でもっ」
渋る俺をリコ班長は見る。射抜くように、まっすぐな視線だった。
「私は死なないから行け!」
「っ、はい! シュッツヴァルト、一度離脱します!」
身を切られる思いって、きっとこんな気持ちをそう呼ぶのだろう。
俺はリコ班を離れた。
前門近くにいるミタビ班へ立体機動で向かう途中、金髪の訓練兵が見える。その背後には8m級巨人の姿。
「何やってんだアルミン! お前は後方で――」
「エレンのいる場所へ向かいます!」
「ああもう! 話聞いてる場合じゃねえから『行け』って言ってやるよ! 後ろの巨人は任せろ!」
「頼みます!」
俺はアルミンを追う巨人の前に立ちふさがる。
任せろと言って、頼みますとは言われたものの――困った、俺しかここにはいない。
だが、それがどうした!
「悪いがお前の相手は俺だ!」
ブレードを新しいものに交換して、構える。巨人の注意をこちらへ逸らせば良いと踏んで周囲を立体機動で旋回する。
そこで気づいた。
こいつ、片足を引きずってないか?
動きが少しばかり鈍い。それに隙がある。巨人にも色々いるんだろう。つまり――好機だ!
「っ、しゃあ!」
気合いを入れて覚悟を固める。
アンカーを向かいにある建物へ刺して一気に標的へ近づく。腕が緩慢に上げられたが、躱す。そしてすれ違い様にブレードをうなじへ滑らせるように斬りつけた。巨人はうつ伏せに倒れ、びっくりするほどイメージ通りに出来た。
「やった……!」
単身討伐!
ひとりで倒せた!
調査兵団でも幹部クラスしか出来ないことが俺に出来た!
歓喜に震えたが、すぐにがっかりした。
「リコ班長に見て欲しかったな……」
だが浮かれている場合でも落ち込んでいる場合でもないことはわかってる。俺はまた駆け出した。
「シュッツヴァルト、リコ班長の命令に従いミタビ班に合流します!」
「よし、俺が囮になるから頼んだぞ!」
さっきの単身討伐がまぐれ当たりで運が良かったことに過ぎないのはわかっているから俺は連携のため位置へつく。そして三人がかりで1体を仕留める。
この人数で巨人を倒すのがギリギリだ。本当にギリギリだ。そのうちに一人が食われる。助けられなかった。いや、助けようとする余裕さえなかった。さっきのまぐれを嫌でも思い知らされる。
「……っ」
これが俺の力なんだ。
何て無力なんだろう。
諦観に苛まれる間にも巨人は壁の内側へ入って来る――キリがない!
向かって来る2体に、俺は思わず声を張り上げる。
「お、俺! 単身討伐出来ます! ハイス・シュッツヴァルト、やります!」
「ハイス、そんな無茶は――」
「ミタビ班長、行かせて下さいっ」
強く声を上げれば、イアン班長の声がした。
「行かせろミタビ! ハイスはやれる!」
その言葉にミタビ班長は何か決意したような顔つきになって、
「リコから預かったお前に何かあって困るのは俺だからな! 行け!」
「はい!」
その時、綺麗な黒髪をなびかせた兵士がそばに来た。俺は叫ぶ。
「アッカーマン! 左を頼む! ここで2体止めるぞ!」
「了解です!」
すれ違い様に、俺は早口で言った。
「悪いな。さっき俺、自分のことしか考えてなかった」
「……いえ」
アッカーマンは戸惑ったような表情になるだけでそれ以上は何も言わない。
口下手なんだなあ、この子。
そんなことを思いながらハゲの巨人へ一気に近づく。目玉をぎょろりと向けられた。
「来おおぉいっ!」
様子見がてら、まずは片足の素早く腱を斬る。浅いものだったがバランスを崩すことには成功して、敵は建物へもたれるように倒れた。
「これで止めだ!」
高速で旋回し、俺はうなじへアンカーを射出する。ワイヤーを回収して接近し、急所を削った。
「よっしゃあああ!」
左を確認すればアッカーマンも標的を地へ伏せていた。しかし感慨に浸る暇はない。続々と巨人が現れるからだ。
何でだよ、こっちの人間の数は少ないからこんなに寄ってくるはずが――
思考に重きを置いた、その瞬間が命取りだった。
建物へ刺していたワイヤーを10m級巨人に鷲掴みにされたのだ。見事に体勢が狂って、大きく開かれた巨人の口が見えた瞬間に俺はワイヤーをブレードで切断した。
難を逃れたが、離脱することを優先にして残った片方のアンカーを後方へ確認もなしに出してしまう。しまったと思った次の瞬間には身体が住居の壁に激突していた。
「うあっ!?」
一瞬呼吸が止まって、次に息をすれば激痛が走った。
「か、はっ……!」
結構な高さからそのまま地面に落下して痛みは倍増。最悪だ。
すぐに起き上がろうとしたが、身体が動かない。
足、多分折れてる。痛えな。
肋骨もアウトだ。息が、苦しい。
脂汗が滲む。
気絶したいのにそうは問屋が卸さないようで、俺は地面をのた打つ。
情けない。これくらいのミスで負傷するなんざ――
「ぐ……!」
呼吸するのも精一杯だったその時――信じられないものが見えた。
巨人が、岩を持ち上げていたのだ。
「イェーガー……?」
それは間違いなくイェーガー巨人だった。
茫然としていると、
「ハイス! 大丈夫か! おい!」
倒れている俺に気付いたミタビ班長が次の瞬間には潰されてしまった。
衝撃を受けていると巨人の口からイアン班長の首だけが落ちてきた。
戦うリコ班長の背中が遠くに見えたが班員が一人しか残ってない。
精鋭班が決死に戦っているのに、死んでいるのに――俺の身体は動かない。
あの冬の雪山と同じように。
「畜生……!」
嗚咽が漏れる。
涙が、止まらない。
悔しくて、悔しくて――
「そこをどけっ!」
イェーガー巨人の前へ立ち塞がる巨人の片目を、リコ班長が潰す。すぐにアッカーマンがうなじを削ぐ。
「行けえええぇエレン!」
アルミンの声が轟いて。
イェーガーの咆哮と共に。
壁が――岩で塞がれた。
「…………」
耳がおかしくなったのかと思うくらいに痛いほどの沈黙を感じた。
「…………皆……死んだ甲斐があったな……」
そんな中、聞こえた涙混じりの声。リコ班長だ。
「人類が今日、初めて……勝ったよ……!」
その手から黄色の煙弾が空へ撃ち上げられた時――ずしん、とそばで地鳴りがした。巨人の足音だ。
穴を塞いだとはいえ、それまでに侵入した巨人はまだ壁の内側にいるよな、と俺は冷静に考える。
顔を上げれば、にっこりと笑う巨人がいた。すぐ、目の前に。
気味が悪い。涙が引っ込むくらいだ。
「そんなに笑って何が楽しいんだよ……こっちは気分最悪だ……」
何とかしねえと――そう思うのに、どうしようもない。俺の身体は動かない。
「ハイス!?」
イェーガーを巨人の身体から切り離したリコ班長が俺に気付いて、叫びながらこっちに向かって来たけれど間に合わない。さすがに遠すぎる。
「立て! 何をしている、動けハイス!」
動かない身体は大きな手に捕まって持ち上げられた。巨人の口がぱかりと開く。
やるべきことは終わって、死ぬ必要のないタイミングで死ぬなんて、俺の人生は何だったんだろうな。
「ハイス!」
リコ班長の叫ぶ声。
『まだ死ぬな。ここで死ぬな。……わかったな?』
俺だって死にたくない。リコ班長と一緒にいたい。
でも、仕方ないとも思う。
『意味がなくても生きて死ぬ。大抵の人間がそうなんですよね。今までも、これからも……変わらずに、ずっと……』
悔しさはあるけれど、俺はわかったんだ。
巨人の口が近づく中で、《山の覇者》を前にした時よりは穏やかに、まっすぐに――自分の最期を見つめていられるように思えた。
あの頃より少しは兵士として、人間として、男として――成長出来たんじゃねえかな?
一人で巨人を2体も倒せたんだ。これって結構すごいと思う。胸を張って良いと思う。
だから本当に、もう良いんだ。
勘当されたけれど、家族といた時間は幸せだったし。
訓練兵時代は苦労も多かったけれど、楽しかったし。
駐屯兵団でも色々あったけれど、リコ班長がいたし。
悪くない人生だった。
そして俺はゆっくりと目蓋を下ろす。
(2014/12/07)