■ あなたの熱があればいい

 訓練兵の一年目が終わる頃、雪山踏破訓練が行われることになった。参加は自主選択制で、攻略難易度が高い分だけ評価点数も高く、上位成績を目指す者は避けて通れない訓練である。
 平々凡々な成績にもかかわらずわたしが参加を決めたのは「何となく」としか言いようがない。
 班は違えどベルトルトが参加するし、頼りになる班長マルコがいるし――それなら参加しようかな、と安易な考えからだった。今はそれが大きな間違いだとわかっている。

 なぜなら訓練当日。吹雪の中を19班でマルコを先頭に数人で進んでいたのに、わたしはいつの間にかはぐれてしまったからだ。つまり現在、遭難している。

「…………」

 第三者の目線になれば落ち着いているように見えるかもしれないけれど、内心大パニックだ。

 何で! うそ! どうしよう!

「誰かあああああ!」

 わたしは叫ぶ。

 しかしどれだけ声を上げても誰もいないので反応がない。雪の白さと強い風――それしか周囲にはない。

「マルコー! 19班ー! どこにいるのー!?」

 びゅうびゅうと吹雪く中を長時間ひとりで闇雲に歩き回ったせいか、疲労困憊だ。そのうちお腹も空いて力が出なくなる。

 ああ、どうしよう。
 どうしようもない。

 ついにばたりと身体が倒れてしまう。やわらかい雪が受け止めてくれた。かなり冷たいけれど。

「うう……」

 寒いのに、とろとろとした心地良い睡魔が忍び寄ってきて、何だかそう悪いものではないように思える。不思議な感覚だ。

 もう動きたくないなあ。
 このまま――眠ってしまえたら。
 それはそれで、幸福なことかもしれない。

 ああ、でも、ベルトルトがいないことが悲しい。

 この一年、あの手この手を駆使したが、まるで手応えはない。
 もうだめなのかなと思うこともあるけれど、まだまだこれからだと思うこともあって。
 わたしの名前を呼んでくれた日は、それだけで本当に幸せで。
 そばにいさせてほしい。何でも良いから話がしたい。あの低くて優しい声が聞きたい。

「最後に、一度くらい……ベルトルトの寝相が、どんなのか……見たかった、なあ……」

 つまり何が言いたいのかといえば――わたしは今、とても眠い。

「ん……」

 目蓋が完全に閉じて、もう開けられないと思ったその時だった。

「こんな場所で何を呑気に寝てやがる!」

 ばちんっと頬を強く叩かれた。

「ぅ……」
「死ぬぞお前! 起きろイリス!」

 鈍く痛む頬に意識を引っ張り上げられて開けられないと思ったばかりの目を薄く上げれば、

「らい、な……?」

 焦ったような表情のライナーがいた。

「何やってるんだお前!」
「そうなん、した……」
「ああ、だろうな!」

 ライナーは背負っていた荷物を下ろした。

「ほら、水と非常食を口へ入れろ。肌は出てねえし凍傷はないな? 倒れてから時間もそう経ってねえみたいだからお前は単に疲れてるだけだ、しっかりしろ」
「う、ぐ……」

 もさもさした非常食を大きな手で押し込まれ、それをどうにか水で流し込む。おかげで少し意識がはっきりした。

 ああ、わたし、生きてる。
 でもだめだ。身体が自分のものじゃないみたいに動かない。動けない。

 そんなわたしの様子を見下ろして、ライナーが力強い声で言った。

「よし。俺がお前たちの荷物持つから、ベルトルトはイリスを背負ってくれ。逆でも構わねえが、その方がこいつの生存意欲は高まるだろうしな」
「……え?」

 その言葉にわたしはライナーの後ろにいる人物に遅ればせながら気づく。

 ベルトルトがそこにいた。

 いつもなら何よりも一番に彼の存在を感知するわたしがそれを出来なかったのは、やはり弱りきっているせいだろうか。

「……わかった」

 ベルトルトはライナーの指示通りにして、そっとわたしのそばへ片膝をつく。
 それどころじゃないのに、何だかとても絵になっていて、胸が高鳴った。

「腕を貸して、イリス」
「う、ん……ありが、と……」

 鈍い感覚の腕を出せば、わたしの身体はベルトルトに軽々と背負われる。ぐんと視界が高くなったことに驚くと同時にときめいていると、

「よし、行くぞ」

 全員分の荷物を手にライナーが先導して歩き出す。後に続くベルトルト。

 わたしは前を行くライナーを眺める。訓練兵になったばかりの頃はわたしがベルトルトに近づく度に表情を厳しくする邪魔者だと思っていたけれど、時間の経過と共にわかった。ライナーはとても頼もしくて、同期の仲間をちゃんと見ていて、いざという時は助けてくれる面倒見の良すぎる人だということを。
 現に今も、わたしを叩いて起こしてくれた。こんなお荷物は捨て置く選択肢だってあるというのに。

「ライナーも、ありがとう」
「礼は基地へ着いてから聞かせてもらおうか」
「うん……」

 わたしは黙ってベルトルトに身をゆだねる。彼が苦しくならない程度にぎゅっと首筋へ抱きつく。

 ライナーのやさしさが嬉しくて、ベルトルトのぬくもりが愛しい。

「ん……」

 わたしは身体をすり寄せる。

 分厚いコート越しでもベルトルトの身体にある熱を感じるのは気のせいだろうか。

「……ベルトルト」
「何?」
「あったかいね」
「……そう、かな」

 あー、死にたくないなあ。
 だって、生きているとこんなにあたたかい。――心も、身体も。

 そのうちにまた、目蓋が重くなるのがわかった。

「眠るのはだめだよ」

 見透かすようなベルトルトの声が胸に甘く広がる。

「……うん、そうだね」

 夢の世界は魅力的だけれど――今はまだ、あなたのぬくもりを感じていたいから。


(2014/05/25)
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