■ わたしと作戦と相棒

「どうしたの、イリス?」
「マルコ、立体機動理論について教えてくれないかな? ちゃんと聞いてはいたけれどびっくりするくらいに全くわからなくて」
「ああ、今日の座学でやったことだね。……うーん、僕より適任がいるから彼に頼んでみようか」

 わたしの所属する19班の班長である頼もしいマルコが連れてきたのは、同期の女子たちから悪人面とも馬面とも呼ばれていた男の子だった。

 そして一時間後。

「あ、じゃあこっちの方向へアンカーを出して身体の向きを反転した後にガスを吹かしたらこの場合でも急旋回が可能ってことだね?」
「やっとわかったか。ったく、俺がお前みたいなやつにわざわざ教えるなんざ授業料を取ってやってもいいくらいだよな」
「じゃあ次の問題だけれど――」
「まだあるのか!?」
「うん。……だめ?」

 わたしが手を合わせて頼めば、ため息をつかれた。

「仕方ねえな、マルコの頼みだから面倒見てやるよ。だが五分休憩するぞ」
「はーい。ちょっと喉乾いたから食堂行ってくる」

 ジャン・キルシュタイン。マルコと仲が良い男の子だけれど、わたしはあまり良い印象を持っていなかった。でも、こうしてわからないところをわかりやすくきちんと教えてくれる様子を見ると、実は良い人らしい。さすがマルコの友人。第一印象ですべてを判断してはいけないんだなあと思う。

 食堂で水を飲んで元の場所へ戻ると、ジャンは窓の外を眺めている。わたしが戻ったことに気づきもしない。何があるのだろうと熱い視線を追えば、アルミンと一緒に歩いている黒髪美人――ミカサがいた。

 ほほう、なるほど。

 ピンときたわたしはあることを考えた。




 後日。

「で、何だよ。こんな所まで呼び出して。また立体機動について教えてほしいなら――」
「ねえ、これ読みたくない?」

 私はジャンに一冊の雑誌を見せる。

「な、お前、それは!」

 途端に顔を赤くしたジャンに手応えを感じたわたしは雑誌をさらに突きつける。表紙には『月刊カンノウ』と書かれていた。

「知ってるんだからね? 『黒髪美女特集』だったこの号は即日完売で涙を呑んだ男たちが山の如くいることを!」
「お前、なぜその悲劇を知って……! そもそも女が何を持ってやがる!」
「ふっふっふ、このイリス様を侮るなかれ!」

 わたしは高らかに声を上げる。

「さあ、ジャン・キルシュタイン! これが欲しければ条件がある!」
「な、何だよ」
「とある作戦に協力してほしいの」
「作戦……?」

 わたしは高らかに声にした。

「名付けて『わたしの魅力をベルトルトに吹き込め作戦』だ!」




 ベルトルトと出会って三ヶ月。季節も変わってしまい、未だ振り向いてもらえない日々が積み重なるだけだ。告白しても返事は同じ。考えうる直接的なアタックも全て効果なし。諦めはしないけれど、このままでは駄目だと思った。
 だからわたしは考えた。直接的であることに効果がないのなら、間接的にやってみようと。
 それが『わたしの魅力をベルトルトに吹き込め作戦』の概要だ。第三者の口からわたしの話を聞くことでわたしのことを考え、わたしを意識し、そしてわたしのことを好きになってもらうことが狙いだった。
 ジャンには「絶対意味ねえよ」とかぐちぐち言われたけれど、やらないよりはやった方が良いに決まっている。それに効果はすぐ出なくても徐々に出ればいい。そう、千里の道も一歩から!

 そして作戦決行日。格闘術訓練前の休憩時間。
 わたしが遠くから合図を送れば、木の幹にもたれて一人で本を読んでいるベルトルトにジャンがぎこちなく近づいて行く。

「よ、よお、ベルトルト」
「ああ、ジャン」
「えー、あー、調子はどうだ?」
「ん? まあまあかな」

 遠目からでもジャンは挙動不審だ。不安だが、とにかく頑張れと茂みに隠れながらわたしは念を送る。

「と、ところで――」

 そうだ、切り出せジャン・キルシュタイン!

「お前の寝相は今日も絶好調だったな!」

 ジャーン!
 何言ってんの、そんなにわたしのアピールポイントは話題にしづらいか!
 そもそも寝相が絶好調ってどういうこと!? あとで問い詰めないと!

「お前、寝てる時ってどんな夢見てるんだよ! 巨人とでも闘ってんのか?」
「…………」

 黙り込んだベルトルトにジャンは慌てて、

「ああ、悪い。お前は巨人に会ったことがあったんだよな……。って俺は寝相とかそんなこと言いたいんじゃなくてだな」

 そうだ!
 自分の役目を思い出せジャン・キルシュタイン!

「ええとだな、その……イリスのことどう思う?」

 わたしはそばにある大木に頭をぶつけた。

 ちっがーう!!
 違う違う違う!
 ジャンのばか!
 ベルトルトが私をどう思っているのかなんて、およそ三日に一回は告白してるわたしが一番よく知っているんだよ!
 まだ好かれてないことなんてわかってるの! すべてはこれからだってポジティブに考えてるの! それなのに何を聞いているんだ一体! ジャンの馬鹿! 馬面!

 わたしが胸の中で叫んでいると、ベルトルトが言った。

「イリスは……」

 わたしはごくりと唾を飲みこむ。三日に一回は返事を聞いているのにいつも緊張する瞬間だ。

「僕のことなんか、好きになるべきじゃないと思う」

 は?

「僕は、彼女に好かれるような、そんな人間じゃない」
「な、何言ってんのおおおおお!?」

 思わずがさりと茂みから飛び出てしまった。

「え?」
「な、お前!」

 ベルトルトが驚いて、ジャンが目を剥いているけれど構うもんか!

「ちょっと待ってよ! わたしの気持ちを! どうして『僕のことなんか』ってそんな風に片づけるのっ?」

 叫びながらずんずんとベルトルトのもとへ向かう。

「わたしはベルトルトがいいのに!」

 かなり背の高いベルトルトの胸ぐらを背伸びして両手でつかみ、ぐいっと引き寄せた。

「こんなに、こんなに! 好きなのに!」

 ベルトルトは抵抗もせず、ただ目を丸くしてわたしの声を聞いている。

「ベルトルトはもっと自分のことを誇って大事にして、もっと自分のことを考えてよ!」

 何でだろう。胸が、苦しくて。
 どうしたらいいのか、わからなくて。

「今度そんな理由でわたしを振ったら、た、ただじゃおかないからね!」

 我ながら可愛くないことを言い捨てて、わたしはその場を走り去る。

 ああ、わたしは何をしているんだろう。何がしたかったんだろう。
 ただ、ベルトルトに振り向いてほしくて。そのために、それだけだったのに。

『僕のことなんか、好きになるべきじゃないと思う』

 あんなことを、口にするから。

 どうしてそんなことを言うの?

 私はこんなに好きなのに! あなたのことが! あなたが良いのに!

 ひたすら走り続ける中、背後で足音がした。

 振り返るとそこにいたのはジャンだった。追いかけてきたのがベルトルトじゃなくてかなり残念だけれどジャンにも追いかける理由があることを思い出して、わたしは持っていた雑誌を渡す。

「もういい。あげるよ、これ」
「はあ? お前、何言って――それに受け取れるかよ、俺は何もしてねえじゃねえか」
「あげるってば、別にもういらないし。じゃあね」
「待てよ、おい! イリス!」

 雑誌を互いに押し付けあっていると、すぐそばで異様な気配がした。

「ジャン・キルシュタイン、イリス・フォルスト。――お前たち、何をしている」

 顔を上げればキース教官がそこにいた。




 十分後。雑誌は没収され、不適切物所持の罰でわたしはジャンと走らされていた。
 基礎体力の違いがあるので、本来ならジャンはもう何周もわたしを追い抜いているはずだ。しかし力を抜いているのか、わたしと合わせて走っている。ずるい。

「チクショウ、これで憲兵団への道が閉ざされたらお前のせいだぞ……!」
「いやいや、条件呑んだ時点で同罪でしょ。それにさっさと受け取らないジャンが悪い」

 苦虫を噛み潰したような顔をしてからジャンが、

「そもそもだな、イリス」
「ん?」
「お前さ、何で俺にこんな話持ちかけたんだよ? 他に適任がいたんじゃねえのか」

 そんなことを訊ねた。わたしは正直に答える。

「ジャンはミカサが好きでしょ? だからだよ。恋する人は恋する人の味方になってくれるかなって、そう思ったの」
「っ、はあ? お、お、お前、何言ってやがる! 俺は別に……!」

 わかりやすい。
『わたしの魅力をベルトルトに吹き込め作戦』は失敗したけれど、こうしてジャンと話せるようになったのは嬉しいかもしれない。

 顔を真っ赤にしているジャンを置いて、わたしは走るスピードを上げる。

 諦めてなるものか。まだまだこれからだ。

「わたし、頑張るからね!」

 絶対に、ベルトルトを振り向かせてみせるんだから!


(2014/05/01)
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