■ 真夜中の宣誓

「お前は何者だ!?」
「っ、トロスト区出身、イリス・フォルストです!」
「何のためにここに来た!?」
「人類勝利と、わたしの幸せな結婚生活のためです!」
「……何だと?」
「子供は一姫二太郎で! 名前はこれから決めます!」

 わたしの訓練兵生活は、ここから始まった。




「あ」

 訓練兵生活二日目の夜。わたしは大変なことに気付いた。

「わたし、まだ名前を言ってない」
「名前? あなたはイリスでしょう?」

 欠伸をしながらそう言ったのはそばにいたサシャ・ブラウスだ。昨日は丸一日走り通しだったのに今日はもう完全に回復している。狩猟の村出身だからだろうか。とてもたくましいと思う。

「ベルトルト・フーバーにだよ。わたしの王子様!」
「ああ、あの背の高い……ベル……何でしたっけ」
「ベルトルトだよ。わたし、昨日は告白することしか考えてなくて、自分のことを話すのすっかり忘れてた」
「そうだったんですか? 私は食事抜きで走らされていたので話に聞いただけですが、別に名前を言っていないからといって――」
「今日は話しかける時間がなかったし……ああもう何で名前を言わなかったんだろ?」

 気づいてしまうと、何だかとても大切なことを忘れていたように思えて落ち着かない。

「ちょっと、会いに行ってくる」
「ベルロンドのところへですか?」
「ベルトルトだってば。――うん、そうだよ。今から自己紹介してくる」
「もうすぐ就寝時間ですよ? ベルナルドには明日の朝にでも話せばいいと思いますけれど」
「ベルトルトだよ。行く、行くったら行くの。このままじゃ眠れないよ」

 話しながら兵士用マントを慌ただしく羽織る。するとサシャが言った。

「つい昨日、お付き合いを断られたばかりなのに?」

 一度深呼吸してからわたしはサシャを仰ぐ。

「――わたしはね、十二歳にして三十も年上のおじさんと結婚させられそうになってわかったの。自分の恋は、自分で守って、自分で叶えて、自分で手に入れないといけないんだって」

 だから、一度断られたくらいでこの想いを諦めて捨て去ることは絶対にしない。

「この年齢でそんな結婚を強いられるなんて、イリスはもしかして貴族のお嬢様だったりします?」
「ううん、商人の娘だよ。だからより大きく商いをするためにお嫁に出されたの。……結局は逃げたけれど」

 家を飛び出したわたしが居られる場所はないので、兵士に志願したというわけだ。

 子供は親の道具として生きるべきだという人は、わたしのしたことを詰るだろう。別にそうしたければそうすればいい。わたしはわたしの道を生きるから。

「じゃあ行ってくるから。私のダミーで毛布を丸めといてくれない?」
「でも……」

 そこでわたしは提案する。

「明日の朝食のパン、サシャにあげる」
「喜んで! 行ってらっしゃい! ベルンハルトによろしくお伝えください!」
「ベルトルトだってば!」




 彼にわたしの名前を伝えに行きたい。はやく、はやく――胸にあるのはそれだけだった。
 どうしてこんなに焦っているのかわからない。夜の暗さは恐ろしいと思ったけれど、足を止める理由にならなかった。

 男子の兵舎を目指す途中、

「僕には……自分の意志がない」

 聞こえてきたやさしい声は、焦がれていたものだとすぐにわかった。
 見れば、遠くにランプの灯りと共に移動する四つの人影。

「自分の命を大事にするのも立派なことだよ」

 灯りと会話を頼りにして追いかける。夜の闇はもう怖くなかった。

「君は何で兵士に?」
「俺は……」

 あれは誰だっけ。あの初歩の初歩だった訓練でひっくり返っていた男の子だ。わたしも昨日の告白で注目を浴びてしまったけれど、彼も別の意味でかなり目立っていた。確か――エレン、そんな名前だったような気がする。

「殺さなきゃならねえと思った」

 エレンの声は、並々ならぬ意志が込められているのがわかった。

「この手で巨人どもを皆殺しにしなきゃならねえって……そう、思ったんだ」

 彼の覚悟や決意は、巨人に関して特に考えたことのないわたしにも痛いくらいに伝わってきた。
 わたしがベルトルトに会いにここまで来た衝動と同じように、彼はいつか巨人へ立ち向かうのだろう。そんな予感が胸を占める。

 彼らの声はどんどん近くなる。でも、まだ追いつけない。

 ついには崖まで登ることになってしまった。四人は一体どこを目指しているんだろう? 挫けそうになったけれど、あきらめない。ここまで来たんだから。ベルトルトに会って、わたしの名前を伝えるために!

『崖を登る基本は両手両足のうち常に三点を確保しながら移動すること。これを三点確保という』

 今日の訓練で習ったことを早速活用しながら、どうにか登る。月が雲にほとんど隠れている薄闇の中、こんなことをしているなんて自分でも驚いてしまう。ベルトルトを想うだけでこんなに勇気と力を出せるなんて我ながら感動した。

 登り切って息を整えていると、月が雲から出てきた。かなり明るい。
 そして眼下に大きな湖が現れた。どうやら彼らの目的地はこの場所らしい。

「ベルトの調整から見直してみろ。明日はうまくいく。お前ならやれるはずだ。エレン・イェーガーだっけ?」
「ああ、ありがとよ。……ライナー・ブラウンだよな?」
「わ、わたしはイリスです!」

 まだ息切れしながらそこで声を張り上げれば、驚いたような四人分の視線が向けられた。

「な、何やってるの? ええと、イリス?」

 一番に口を開いたのはわたしと同じくらいの背の男の子だ。この子の名前は何だっけ。

「まだ、わたしの名前を言ってないと思って……!」
「え、名前?」
「あの、その……ベルトルト!」

 愛しい彼の名前を呼んで、まっすぐに見つめる。

 わたしが兵士に志願したのは、エレンのような苛烈な戦意からではない。ただ無理やり結婚させられそうになって逃げたからだ。
 でも、わたしにとっては何よりも大切で、何よりも譲れない想いだから。

「わたし、イリスっていうの」

 ああ、やっと、言えた。

 ほっと息をついていると、

「あの……それは知っているけれど……」

 ベルトルトが言った。わたしは目を見開く。

「な、何で!?」
「昨日の朝、教官に名前を聞かれてたよね……?」
「そうだけれど……」

 まさか覚えていてくれたなんて思わなかった。

 わたしの名前を知っていてくれるだけで良い。そう思っていたのに、すでに知っていてくれたなんて。さらに覚えていてくれたなんて。
 充分だ。それだけで良かったのに、

「ベルトルト……」

 言葉が勝手にあふれ出る。

「好き、です」

 この人がいい。この人とずっといたい。この人じゃないと嫌だ。

 昨日初めて会った人だけれど大好きだし、これからもっと好きになると思えた。

 相変わらず月が明るく照らすその場に、沈黙が満ちる。
 ベルトルトは困った表情で、エレンは唖然としていて、ライナーは少し怖い顔をしている。

「……昨日断られたばかりなのにまた告白出来るなんて、すごいね」

 私と同じくらいの背の男の子――思い出した、この子の名前はアルミンだ。アルミンが苦笑しながら言った。

「あの時は周りに人がたくさんいたからOKしづらかったのかなと思って」
「そう思うなら、どうしてあんなに注目される中で告白したの?」
「大勢に見られてたらOKせざるを得ないかな、とも考えてた」
「な、なるほど……」

 するとベルトルトが口を開いた。

「僕は、君の気持ちに応えられない」

 静かでいて、はっきりとした声。昨日と変わらない。

「どうして駄目なの?」
「それは……昨日も言ったけれど、その、出会ったばかりだし――」
「昨日と同じ理由じゃ嫌」
「え?」
「納得出来ないから。それに出会って二日目だともうその理由は使えないからね」

 我ながら強引な論法だ。

「ええと……」

 それなのにベルトルトは律儀に考えてくれている。わたしを拒むための理由を考えられるのは複雑だけれど、真摯に考える横顔がかっこいい。

「今は、集中したいことがあるから……ごめん」

 夜の闇に響く声。

『僕には……自分の意志がない』

 さっき聞こえた話とは違う気がするけれど、まあいいか。

「……うーん、そっか」

 わたしはうなずいた。

「じゃあ、ひとつだけ、お願い」

 ライナーの視線がまだちょっと怖かったけれど、これくらいで負けるもんか。

「名前、呼んで?」
「え?」
「わたしの名前を、呼んでほしいの」

 そのために、ここまで来たから、今はそれだけで充分。

 ベルトルトは少し考えるような表情を見せてから、また口を開いた。

「――イリス」

 そのやさしい声で、自分の心臓が跳ねるのがわかった。痛いくらいに高鳴って――それがとても甘やかで心地良かった。

 ああ、わたし、やっぱりこの人が好きだ。大好きだ。

「よろしく、ベルトルト」

 これから三年以内には必ず、あなたの心に居座ってみせるからね。


(2014/04/11)
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