彼女が夢見た世界
あの女が姿を消して一週間。
「はあ……」
師団長の権限で多くの兵士を動かしても結果は芳しくない。ザックレー大総統が秘密裏に力を貸して下さってもだ。
治安は普段以上に落ち着いたが――肝心の《ウォール・シーナの魔女》が見つかっていない。
「…………」
絶対に、無事に生きているはずだ。
だがそれは、俺の願いでしかないこともわかっていた。
『《ウォール・シーナの魔女》、またの名を《シーナ女神の化身》ですからね。未来が見ることが出来るなんて、人間でないとしてもおかしな話ではないということですよ』
俺が会っていたのは何だったんだ?
人間じゃないとしたら一体何だ?
亡霊なのか? 女神の化身か?
「……何を考えているんだ、俺は」
そんなものを信じるなんざ、どうかしている。
だが、俺にはもう、わけがわからねえ。
あの女は――どこにもいないのだから。
《ウォール・シーナの魔女》の不在は内地に広く広まっていても、相変わらずあの女に関する情報は皆無だ。地下街も地上もそれは変わらない。
「……畜生」
なあ、お前はどこにいるんだ?
『数年前だったかしら。貴族の妾として囲われそうになって――』
巡回中に、いつか聞いた不吉な言葉を思い出してしまう。思わず拳に力を込めた。
正直、貴族の家々まで調査の手を伸ばすことは難しい。やり過ぎれば今後の兵団との関係に支障を出しかねないからだ。はっきり言えば金の問題だな。
それでも部下を何人か探らせているが、成果はなかった。そもそも貴族屋敷の内部情報なんざ簡単に知ることは出来ない。明らかになれば不名誉なことであるなら尚更だ。
「憲兵団トップになろうが、出来ねえことばっかりだな……」
どうすりゃいいんだよ。そう思ったところで、どうしようもない。せめてあの女の名前だけでも聞いておけば良かったと本当に思う。どれだけ叫びたくとも、それが出来ないのはもどかしい。
過去も未来も、そして現在もままならない。
『結婚は無理ね』
そんな言葉を思い出したが、別にそんなものはどうだっていい。あの女とあやふやな未来の話をしているだけで俺は十分だったんだ。それで良かったんだ。
本当に、いつからか、それだけで充分だったんだ。
ため息をつきながら歩いていると、向かいから駐屯兵団の連中が歩いてきた。記憶が確かなら、三人とも精鋭部隊の連中だったはずだ。
すれ違いざまに会話が聞こえてきた。
「『明日に自分の気持ちを伝えろ』だってさ。私は占いなんて信じちゃいないけどね」
「そう言ってくれるな、リコ。だが緊張するな……。イアン、俺はどうすればいいんだ」
「ミタビ。お前な、《ウォール・シーナの魔女》のお墨付きがあればプロポーズ出来ると意気揚々だったじゃないか。忘れたのか? 自信を持て自信を」
すぐそばで交わされた会話に俺は即座に声を張り上げた。
「どういうことだそれは!」
「はあ? 急に何」
すると眼鏡をかけた女がぎろりと俺を睨め付けた。
「これは、ナイル師団長ではないですか」
痩せ型の男が目を丸くして、
「おい、《魔女》はどこにいるんだ!」
「ああ、彼女は――」
顎髭を生やした男に教えられた場所へ慌てて飛んでいけば、途中、大柄な男とものの見事にぶつかった。男が大事そうに抱えていた紙袋が地面へ落ちるのがわかったが、構っていられない。
「わ、悪い!」
「貴様ァッ! 危ないではないかっ! あああせっかく買った『季節のパン詰め合わせプレミアムセット』があああ!」
キッツ・ヴェールマン。今度は駐屯兵団の隊長だ。
謝るのもそこそこに、俺は走る。とにかく走る。そしてたどり着いた。
「……!」
その場所には、確かに占い師の女がいた。
簡素な椅子と今にも壊れそうな机。頭には重たげな布を被っている。
だが、あの女じゃなかった。瞳の輝きが、違う。
「おい、お前は、何だ」
息を切らしながら訊ねれば、女は名乗った。
「《ウォール・シーナの魔女》よ」
違う。
それはお前の称号ではない。
『《ウォール・シーナの魔女》だったか』
『そう呼ぶ人もいるわね』
それにあいつは、自分からそう名乗ることはしなかった。いつだって、ずっと。
「……訊きてえことがある」
「何なりとどうぞ」
深呼吸してから、俺は訊ねた。
「俺は結婚、出来るか」
「結婚占いね……」
女はガラス玉の上で手のひらをくるくると回して、目を細めた。
「結婚できるわよ。良い方が現れるわ」
それは俺の聞きたかった言葉で――聞きたくない言葉だった。
「上っ面だけのスカスカした言葉なんざ聞きたくねえんだよ!」
腹の底から力を込めて叫べば、目の前にいる女はびくりと身体を震わせた。
「この偽物占い師! お前に未来は見えてねえだろうが!」
「はあ!?」
そこで女が目を剥いて、ばんと手を机について椅子から立ち上がる。一瞬前まで脅えていた様子は微塵もない。
「何よ! 何よ! 耳に優しい言葉を言って何が悪いの! 別にいいじゃない! 喜んでもらえたら占い師冥利に尽きるわよ!」
「黙れ偽物!」
俺は怒鳴りつける。しかし相手は怯まない。
「あたしはね! あの《魔女》にろくでもない未来を告げられたのよ! おかげで酷いもんだわ! 何もかもその通りになった! 結婚式当日に友人に裏切られて私の婚約者と逃げられて! もう散々よ! 人生台無しよ!」
偽物占い師の目は血走っていて恐ろしい形相だった。だが、それでも俺は気づく。こいつ、前に角でぶつかった時に泣いていた長身女だ。
「あの《魔女》の気味悪い瞳を抉ってやろうと何度思ったか! そのつもりで刃物忍ばせて来たら、地下街の奴らの闘争に巻き込まれたらしいじゃない! ざまあみろ! どうせ死んで地獄にでも行ったんだ!」
路地に響く怨嗟の声は止まらない。思わず耳を塞いでも鼓膜へ轟くようだった。
「絶望を告げる呪われた《魔女》! だからあたしは希望を告げる《魔女》になるの! それの何が悪い!」
「違う! そうじゃねえよ!」
しばし圧倒されたが、そこで俺は思わず口を開いた。
「あの女が絶望だろうと話すのは、その未来を覆させるためだ!」
相手に口を挟ませることなく俺は続ける。
「そりゃあな、出来ねえことだってあるだろうよ。何でもかんでも回避なんざ出来るか! 悪いことがあるから良いこともあるのが当たり前なんだ。だが、そうやってあいつを恨んで偽物をやってるお前はな、ただ未来を諦めて、未来に負けただけなんだよ!」
「何ですってこの薄ら髭!」
「そうだろうが! どうせお前! 『婚約者を友人に奪われる』とか言われても婚約者も友人も疑わずに、ただ式当日まで何もせずにぼーっと過ごしただけだろ!?」
ぐっと女が言葉に詰まった。図星らしい。
「何もしてねえなら未来は変わらねえに決まってるだろうが! あいつの言った通りになるのは当たり前じゃねえか!」
俺は続けた。
「それがお前の選んだ未来だろうが! それをあの女に八つ当たりしてんじゃねえ! 一人で勝手に――がっ!?」
顔面に衝撃が走った。次の瞬間には足元で何かが割れる音がした。
「うるさい! 黙れ! 黙れ黙れ黙れ!」
どうやら偽物占い師にガラス玉を投げつけられたらしい。
一瞬、目の前から何もかもが見えなくなった。
あー、エルヴィンの野郎なら避けられただろうな。リヴァイのヤツなら真っ二つにでもしたかもしれねえ。
俺にはそんな大層な芸当は出来ねえよ。
だが、それでも――ここで無様に倒れることだけはしねえぞ!
ぐっと足を踏ん張れば、視界が戻る。鼻血が出ているのがわかったが、構うもんか。
「いいか、よく聞け! あの女はな! たとえ絶望だらけの未来でも信じているんだ! そこから変えられる、新しい未来を、そんな風に決して諦めねえんだよ! だからこっちが聞きたくない嫌なことでも平気で言いやがる!」
こっちが絶望に沈んでいるのに、さらに拍車を掛けやがる。折れそうな心をばっきり折りやがるひどい女だ。
そんな女に、俺は――。
ぐっと歯をくいしばる。
「未来に打ち勝てと言ってるんだよあいつは! 祈っているんだ! 願っているんだ! それが出来ると、信じてやがるんだよ!」
ああ、俺は何をしているんだ。
「嘘でも優しい励ましの言葉を悪いとは言ってねえよ、俺も前はその言葉を聞きたかったしな! だからお前は占い師じゃなく相談所でも開け! あいつの名を騙るんじゃねえよ!」
だが、止めることは出来なかった。
「あの女がどんな想いで、未来を見ているのか……俺だって知らねえがな! だが、それを蔑ろにするんじゃねえよ!」
今度は椅子が飛んで来た。慌てて腕で庇ったが、激痛が走る。
「ぐ……!」
耐えながら、思う。
ああ、そうだ。俺は何も知らねえさ。名前さえ、そしてあの女が本当に考えていることだって――何も、何も知らねえ。
女神か?
亡霊か?
人間か?
その答えさえ、わからない。
だが、何であろうと未来が見えるくらい特別じゃねえよ。
ただ、俺にとって特別な女だ。
それだけだ。――それだけなんだ。
背後でばたばたと慌ただしい足音がした。
「憲兵さん、こっちです早く!」
「はいはい、誰ですかこんな路地裏で暴れてるのは――って、何やってんですか師団長おおお!?」
部下だった。それがわかった時、偽物占い師の投げた机が直撃して俺は今度こそ地面へ大の字になって倒れる。
いつからか見慣れた狭い空を見て、遠い記憶の中で声がした。
『私がいなくなったところで誰も困ることなんてないのよ』
なあ、それは違うぞ。
俺は、お前の名前さえも知らねえけど。
それでもどうしようもなく、お前に会いてえんだ。
(2014/03/22)