ウォール・シーナの魔女 | ナノ

絶望と諦観と喪失


「あ」

 数日ぶりに《ウォール・シーナの魔女》の元へ向かう途中、俺はつい声を上げた。そしてそのまま立ち止まる。

 気づいたのだ。

「言ったよな、あいつ。――『自分の未来はわからない』って」

 ああ、確かに言っていた。さらに、

『自分の未来はたとえ間接的であっても駄目ね』

 そんなことも言っていたはずだと思い出す。

「それってつまり……」

 顎に手をあて、俺は考える。

 もしもの話だ。
 あいつが俺の嫁さんになる未来があるのだとしたら。
 だから結婚する俺の未来が見えなかったのだとしたら。

 そう考えるのは――さすがに都合が良すぎるか?
 でも、辻褄は合うよな?

 だとしたら――

「今日はそれを聞いてみるか……」

 俺は再び歩き出す。早足になっているのは気のせいだ。
 途中、調査兵団の分隊長連中とすれ違った。

「あーあ。残念だったね、ミケ」
「間が悪いこともある。仕方ないだろうハンジ」

 そういえば今夜は全兵団の幹部が集う会議があるのだった。リヴァイの野郎とは極力会わねえようにしようと俺はもう傷のすっかり消えた頬をなぞりながら思う。
 すると、

「せっかく中央へ来たんだし一目でいいから見たかったなぁ、《ウォール・シーナの魔女》」
「会えないものは会えないんだ。諦めろ」
「ミケは諦めが良すぎだよ。ほら、もう少し探そう」

 思わずまた足を止める。調査兵団のやつらはすでに遠ざかって、もう会話が聞こえない。

「今日は休みか……?」

 あの女も人間だ。たまには休むことくらいするだろう。

「…………」

 今日は『季節のパン詰め合わせスペシャルセット』を持って来たというのに。

 それよりも、何よりも、聞きてえことがあったのに。

「自分で食うか……」

 仕方がないので兵団へ戻ることにする。道すがら、またすれ違いざまに会話が聞こえてきた。今度は小娘たちの姦しい会話だ。

「え、嘘でしょ!」
「それって本当なの?」

 うるせえな。

「本当だって。一昨日から《ウォール・シーナの魔女》がいなくなっちゃったの」

 三度、歩む足が止まる。

「その頃にこの辺りで地下街の奴らが暴れたのよ。それ以来めっきりだわ」
「そ、それじゃあ……」
「巻き込まれたってこと?」

 背後で交わされた小娘たちのやりとりに、血の気が引いた。

『地下街の住人も、みんな私のお客様よ』

 何がお客様だ! 全力で思いっきり迷惑被って巻き込まれてるじゃねえか!
 だから俺は『相手にするな』と言ったんだ!

「っ……」

 おいおい、無事なんだろうな?

 考えるよりも先に、足はもう何度も通った路地裏へ走っていた。息を切らして駆け込めば、

「…………何だよ、これ」

 酷い有り様だった。荒れに荒れている。古びた椅子や机は大破して原型を留めていない。本来そこになかった道具や武器まで散乱している。

「!」

 地面に残った血の跡を見つけて、一瞬呼吸が止まった。
 いや、違う。これはあいつの血じゃねえ。根拠なんざねえが、違う。だが、無事でいる保証などどこにもなかった。

『あら。また来たのね』

 あの女はいない。

 どこにも。

『自分の未来はわからないわ』

 なあ、お前は自分の未来はわからないんだろ?

 自分にとって悪い未来を回避するとか、そんなことは出来ねえんだろ?

『私に何かあればそれもまた未来の一つの形よ』

 思わず手に力が入る。パンの入った紙袋がぐしゃりと歪んだが気にしていられない。

「……ふざ、けんな」

 お前に何かあってたまるか。
 こんなにも俺は――

「なるほど、噂通り《ウォール・シーナの魔女》はいなくなってしまったのか。せっかく会議のついでに来たのに残念だ」

 立ち尽くしていると背後から声がした。聞き覚えのあるものだ。俺は素早く振り返る。

「エルヴィン、貴様!」
「やあナイル」

 その手にはあいつに代金として渡すつもりだったのだろう、小さな果物籠があった。

「騒ぎになりつつあるが、突っ立っているだけでいいのかい?」
「あ?」
「ここへ来るまでにすれ違った人は全員、彼女のことを話していたよ。そしてその身を案じていた」

 エルヴィンは周囲の惨状から俺へ視線を向けた。

「内地の秩序と安寧のために、今こそ憲兵団が動く時じゃないか? 彼女の不在を困っている人がたくさんいるようだ」
「っ、言われなくたってわかってんだよ!」

 探すに決まってるだろうが!

 絶対に見つけてやる!

 俺が、必ず!

「エルヴィン、お前はさっさと壁外にでも帰りやがれ! 今度は花を持って行ってやるよ、献花!」

 今週の夜間巡回は何班が担当だったかと思い出しながらそう吐き捨てれば、

「もしも私の家が壁の外にあれば、お前は来られないだろう」
「うるせえええ!」

 俺は『季節のパン詰め合わせスペシャルセット』をエルヴィンの顔面に投げ付けて(腹立たしいことに難なく片手で受け止められた)、その場を後にした。




「師団長。名前も素性もわからない人間を探すなんて幽霊を探しているようなものですよ。つまり見つかるはずがありません」
「何言ってやがる! 《ウォール・シーナの魔女》だぞ! お前だって知っているだろうが! プロポーズのアドバイスもらっただろ!」

 広げた地図を前に早速音を上げた部下に喝を入れれば、

「その通りです。誰でも知っている存在――つまりあの占い師は都市伝説のようなものです」
「は? 都市伝説……?」

 俺は思わず動きを止めてしまった。手の力が緩んで、地図が元通り丸くなる。

「《ウォール・シーナの魔女》、またの名を《シーナ女神の化身》ですからね。未来が見ることが出来るなんて、人間でないとしてもおかしな話ではないということですよ」

 俺が言葉を失っていると部下が続けた。

「それに、面白い話がありまして。――《魔女》の瞳はそれを見る者によって変わるそうです」
「……瞳が?」
「ええ。ある者には悪人のように邪な瞳、またある者には子供のように無邪気な瞳、女神のように慈愛に満ちた瞳を見た人がいれば、死者のように暗鬱なばかりの瞳を見た人もいる。……自分には、彼女の瞳が悪魔のようにただ恐ろしく見えました。もちろん感謝はしていますが、あの時は確かにそう感じたんです。――人によって見方が極端に変わるなんて、とても不思議ですよね」

 そして部下は俺に訊ねた。

「師団長には、彼女の瞳がどんな風に見えましたか?」

(2014/03/05)
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