ただ会いたいだけ
「新婚生活って素晴らしいですね師団長。自分は全人類と巨人にこの幸せを語りに行きたいですよ」
「なら今すぐ調査兵団へ行って壁外調査にでも同行しろ。一石二鳥じゃねえか」
新婚である部下と交わした今朝のやり取りを思い出し、むしゃくしゃと路地を曲がろうとすれば、
「うおっ!?」
飛び出して来た長身の女と強くぶつかった。危ねえだろうが、と言いかけて言葉を引っ込めたのは相手が泣いていたからだ。
「お、おい、どこか怪我でもしたのか?」
慌ててそう訊ねれば女は首を振って、
「ち、ちが……《魔女》、に……あたし……」
当然思い浮かぶのはひとりの綺麗な瞳の占い師だった。そして俺が何も言えないうちに、号泣する女は去っていった。
「何だったんだ……?」
首を捻りながら俺が路地裏の角を曲がれば、
「仕事をしなさいよ、師団長さん。ここ最近毎日お目見えじゃないの」
「巡回も立派な仕事だ、《ウォール・シーナの魔女》」
「憲兵団のトップもそんなことするのねー」
「ふん、当たり前だろうが」
師団長の肩書きがあるとはいえ、常に兵団奥深くにいるというわけではない。現にエルヴィンの野郎も壁外という現場へ出ている。だから俺の巡回だって立派な仕事だ。
あ? 壁外と街の見回りじゃまるで比較にならないって? ほっとけよ。
「うーん」
すると女は思案顔になって、古びた机の上を白い指でそっとなぞる。
「『憲兵団立寄所』の看板でも置こうかしら。でも地下街の皆さんが来なくなると困るし……」
などと真剣に考え始めた。
俺は思わず顔をしかめて、
「力があるなら、もっとちゃんと店を出して働きやがれ。そして地下街の連中を相手にするな」
「『ちゃんと』してなくて悪かったわね。それに、身分や立場に差があっても未来は等しく在るし有るのだから相手を区別することはしないわ」
「わかんねえヤツだな。俺が言いたいのは……その……えー……」
懸命にもがいて言葉を探した。ったく、俺は何が言いたいんだ。畜生、もどかしい。
「……危ねえだろうが」
やっとの思いでそれだけの言葉を絞り出せば、怪訝そうな顔をしていた女はぽかんとしてから微笑する。
「心配してもらって有難いけれど、私に何かあればそれもまた未来の一つの形よ」
「ふざけんな、お前に何かあってたまるか」
無意識に言い切ってしまい、はっとする。
「……お前がいなくなったら困る人間が大勢いるだろ。大総統も、街の連中も」
そんな風に言葉を繕えば、女は首を傾げた。
「困る人間がたくさん? そうかしら?」
そして女は考えるように空を仰いだ。建物に遮られて、狭い空を。
「ねえ、師団長さん。私は前に言ったわね。『未来はあらゆる意味で、あらゆる面で、常に変わり続ける』と」
「ああ、覚えてるぞ」
「その言葉は真実だけれど、変わらない未来もやっぱりあるのよ」
俺は眉をひそめた。
「変わる未来と変わらない未来は何が違うんだ?」
「死の存在ね」
太陽の光を雲が遮ったのか、途端に空が暗くなった。さらに路地裏であるためか昼間とは思えないくらいだ。
女は続けた。
「とても強大なものよ。人間誰もがいつかは必ず通る未来の道だから」
俺は何も言えずに女を見つめることしか出来ない。
「死を前にすれば、どんな意志も、強靭な肉体も、人と人を結ぶ約束や誓いも――関係ないのよ、そんなもの」
何だよ。何を言ってるんだ、こいつ。
「お前は……そんな未来でも客に言うのか?」
なぜかさっきぶつかった女の涙を思い出して訊ねれば、
「ええ」
《ウォール・シーナの魔女》は唇の端を吊り上げるようにして笑う。
ああ、そういえば。
こいつ、前に言ってたじゃねえか。
『私は未来を視て、それがどれだけ当人にとって絶望的な未来でも容赦なく伝えるわ』
俺が思わず身体を強張らせれば、女が口を開く。
「生がなくては未来はないし、死をなくして生はないもの。揃わなければ未来は成立しない」
だから区別はしない、と女は言った。
「絶望なくして希望が希望でないように、死のない生は生ではない。だから決して死が絶望だと私は思わないわ。死は特別なことではなくて、生きていることが特別だもの。だから当たり前の未来を告げるの」
「……《魔女》ってヤツは恐ろしい女だな」
だが、と俺は身体を弛緩させて言葉を続けた。思い出したことがあったからだ。
「そんな未来でも変えて欲しいから、お前はそれを告げるんだろ?」
「あら」
女が俺へ顔を向け、瞳をきらめかせた。
「よくわかったわね、正解よ」
そして俺の背後、どこか遠くを見るようなまなざしになった。何を見ているのか――恐らく未来なのだろう。
「私は知りたい」
《ウォール・シーナの魔女》は言った。
「人間はどこまで未来を変えられるのか?」
祈るように。願うように。
「その人にとって絶望的であるとわかっていても伝えるのは、それに尽きるわ。――未来が決して、変わらないとしても。つまり、すべては私の我儘に過ぎない」
そこで女が顔を伏せる。頭にかぶった布が邪魔で、綺麗な瞳が俺から見えなくなる。
「だから私がいなくなったところで誰も困ることなんてないのよ。未来なんて知らなくても人は生きていけるし、私が未来を知らせるのは私の欲望でしかないもの」
女の目に宿る光が《魔女》の名に相応しい邪悪なものか、或いは全く違うものかはわからない。だが別にどちらでも良かった。
俺が口にすべき言葉は決まっていたからだ。
「なーに言ってやがる」
俺は軽い口調で言ってやった。
「お前がいなくなったら俺がまず困るだろうが。俺は『結婚しない未来』を回避してやるって決めたんだぞ。いつかお前をギャフンと言わせてやるためにもな」
鼻を鳴らして言葉を続ける。
「それに、別に我儘なんかじゃねえよ。――つまりお前も『同じ』じゃねえか」
「……『同じ』?」
「ああ、そうだ」
呟くような声に、俺は大きく頷いた。
「俺が結婚したいように、お前だって未来に望みを持っているだけだ。未来が見えようが見えまいが、そこに願いを託すのは同じだろ? なあ、それの何が悪いんだよ。もし誰かがお前を責めるなら俺が――」
ん?
「俺が……」
俺は、どうするんだ?
まただ。何でだよ。何で言葉も声もうまく出せねえんだよ。今日の俺はおかしい。どうしたってんだ。何が言いたいんだよ。
「あー……その、まあ……何だ……」
がしがしと片手で頭を掻いていれば――ふ、と女が布の奥でやわらかく笑ったのがわかった。
「やさしいことを言ってくれるわね」
女が顔を上げていた。そこにあるのは綺麗な瞳だった。
ふと気づけば、いつからか太陽がまた顔を出していた。
「ところで師団長さん、そろそろ巡回の時間は終わりじゃない?」
その通りだった。懐中時計で時間を確認し、俺は小さく舌打ちした。
「お代はいらないわ。私、今日は何も言っていないし」
「ん、まあいいさ。別に、そんなことは」
『季節のパン十種セット』の袋をぽんと渡せば、
「『そんなこと』? 私に未来を聞かず、あなた一体何しに来たのよ」
女は憮然とした表情になった。それからを俺の背後へ目を移し、眇める。
「じゃあ、ひとつだけ言わせてもらうわ。帰り道は足元注意ね」
「……お前は何を見たんだ」
そして数分後、俺は路地を出ないうちにものの見事にすっ転んだ。誰だよこんな場所に果物の皮を置いたヤツは。
「痛え……」
尻をさすりながら立ち上がる。直前に未来を聞いていたにもかかわらずこの有り様かと思うと、知らずため息が漏れた。
果たして俺にあいつが見た未来を回避することは可能なのだろうかと弱気になりながら路地を出ようとした時、またしても思わぬ人物と会った。
「な、これは……!」
「お主か。まさかここで会うとはのぅ」
ドット・ピクシス――南領土を束ねる最高責任者。駐屯兵団の司令だ。
俺の肩書きもかなり胸を張れるものではあるが、とてもエルヴィンを相手にするようには出来ない。年上を敬うくらい俺だってするさ。
「どうされました。このような路地に……」
そこまで言いかけて気づく。
そうだ。
ここでザックレー大総統にも会ったじゃねえか。
「まさか――」
「いかにも。《ウォール・シーナの魔女》じゃ」
ピクシス司令がにんまりと笑みを見せた。
「《ウォール・シーナの魔女》が超絶美女じゃと聞いて、中央へ来たついでに一目会いたくての。未来のことは二の次じゃ」
「は、はあ……」
すると司令は、
「その様子じゃとお主も会ったことがあるようじゃな。――どうじゃった? 噂に違わぬ美女か?」
「いや、あんな女ちっとも――!」
そこで俺は思い出す。
あの女の前に立った時の感覚を。
「ひ……」
「ほう?」
「瞳が、綺麗な女です……」
あああああああ!
俺は何を言ってるんだ!
ほら見ろ!
ピクシス司令がぽかんとしてるじゃねえか!
やがて司令は、
「ワッハッハッ!」
大口を開けて豪快に笑った。
呵々大笑。その言葉がぴったりだ。
「それはますます楽しみになったのぅ」
(2014/02/22)