ウォール・シーナの魔女 | ナノ

先を視るまなざし


 次の日。休憩時間に戦闘服のまま駆け足で占い師のいる路地裏へ向かっていると、思わぬ人物と鉢合わせした。

「ザックレー大総統!?」

 兵団を束ねるトップの姿に、俺は思わず叫んでしまう。

「ああ、君か」
「ど、どうされました。こんな場所で護衛も付けず……」
「一人で会いたい者がいたのだ。護衛には少し席を外させたが、すぐそこにいる」
「はあ……」

 大総統がこんな路地に何用だ?

 その疑問と同時にぽんと頭に浮かんだのは、綺麗な瞳を持つ女だった。

 あいつだ!

「よもや……《ウォール・シーナの魔女》に……?」
「おや、君も彼女に会いに来たのか。ならば邪魔をした。行ってくると良い」

 そう言い残すと大総統は鷹揚に去っていった。
 俺はひとり立ち尽くす。

「まじかよ……」

 あの女、やっぱりただ者じゃねえ。とんでもねえよ。大総統まで客だったのか。

 半ば呆然としながらいくつか路地の角を曲がれば、

「あら。また来たのね」

 占い師――《ウォール・シーナの魔女》はそこにいた。

「何だよ、その言い方は。お前は未来が見えるんじゃねえのか?」
「自分の未来はわからないわ」

 そして女が綺麗な目を眇めた。

「今日は何の用かしら? あなたの未来は変わっていないわよ。結婚は無理ね」

 またしても聞かされたその言葉に、俺は自分の顔が引き攣るのがわかった。

「ひでえこと言うな。嘘でもマシなことを聞きてえもんだ」
「そうねえ、優しい嘘に効果がないとは言わないけれど」

 女は空を仰ぎ見る。場所が路地裏なので狭い空だ。

「『結婚出来ない未来を回避してみせる』くらい言いなさいよ。いい歳した男が甘言を求めて情けない」

 その言葉はぐさりと胸に刺さる。しかし同時に希望が見えた。

「おい、待て。その言い方はつまり……未来は変わるのか?」
「当然よ。あらゆる意味で、あらゆる面で、常に変わり続ける」

 そこでつい先ほど告げられた言葉がよみがえる。

『あなたの未来は変わっていないわよ』

 なるほど。そういうことか。

「なら、俺は結婚出来るんだな?」

 意気込んで訊ねれば、女は俺に視線を戻す。

「それは師団長さん次第ということだけど――本当に視えないわね、結婚するあなたの未来。こんなに視えないことがあるとは驚きを禁じ得ないくらい」
「どっちだ!? じゃあ俺はどうすりゃいい? 永遠に独り身なのか? 冗談じゃねえよ……!」
「一生ならともかく永遠まで覚悟しなくても……」

 俺が頭を抱えていれば、女がやれやれとため息をつく。

「うーん、ここまで存在しないであろう未来のためにアドバイスをするのは大変難しいのだけれど……」

 希望がまた一筋見えたような気がして、俺は女に紙袋を突き出す。

「ほら、ちゃんとメシ持ってきてやったぞ。今日の代金だ」
「仕方ないわね……。あら、まだ温かいじゃない。出来立て?」

 女は腹が減っていたのか、古びた机の上で早速包みを開けて『季節のパン五種セット』に「いただきます」の言葉と共にぱくついた。

「おい、客の前だろうが」
「せっかく目の前に出来たてふかふかのパンがあるのにそれを食べないなんて巨人くらいよ」
「……さっさと食え」

 大きな口でパンを頬張るのは妙齢の女としてどうかと思うが、その姿を見れば悪い気はしない。そう思っているうちに女は早くも二つ目のパンに着手し始めた。食うの速えな。

 俺は薄く傷になっている頬をなぞりながら、気になることを訊ねることにした。未来を変える重要なアドバイスを食事の片手間にされちゃたまらねえしな。

「お前は、その……本当に未来がわかるんだな?」
「条件はあるけれどねー」

 女は三つ目のパンに手を伸ばす。おい、いつの間に二つ目を食べ終わったんだ。

「私が未来を視るには相手とある程度の距離で直接向き合わないといけないし、その人の行く末しか基本的にはわからないし」
「だからさっき『自分の未来はわからない』と言っていたのか」

 女は三つ目のパンを咀嚼してから頷く。

「それもあるけれど、自分の未来はたとえ間接的であっても駄目ね。だから『今度はいつ超大型巨人が来ますか?』なんて聞かれてもわからないの。そんな災害レベルだと私にも関わる未来でしょうから」

 おいおい。巨人のいる未来なんざ見たくねえよ。ついため息が漏れた。

「未来ってやつはいつも良いもんじゃねえだろ。悪い未来だってあるはずだ」
「そうね。何を以て善し悪しとするかはさて置き」

 四つ目のパンを持つ女の表情は変わらない。

「……そんなもんが見えて、気味が悪くならないのか?」
「別に? 私自身が気味悪がられることは多いけれど」

 女は四つ目を完食して、パンくずのついた唇をぺろりと舐めた。

「……俺は別に、お前を気味悪くなんざ思ってねえよ」

 俺がそう言えば、五つ目を手にした女は首を傾ける。

「ここに来る人は多かれ少なかれそう思ってるから別にいいのに。兵士も貴族も庶民も地下街の住人も――」
「地下街!? あいつらまでここに来るのかっ」

 思わず声を上げて俺は詰め寄るが、パンを頬張る女の様子はまるで変わらない。

「あの辺の人って最初は代金踏み倒すけれど、しばらくしたら後払いに来るから問題ないわ。未来が私の言葉通りになって怖くなったみたい」
「いや、そうじゃなくてだな……乱暴、されたりしないのか。どう考えたって危ねえだろ。場所が場所だしよ」
「まあ、危ないことも一度はあったけれどね」

 あったんじゃねえか。

「何があった。地下街の連中の争いにでも巻き込まれたか」
「違うわよ」

 食事する手を止めて、女が思い出すように言った。

「少し前、貴族の妾として囲われそうになって――」
「何だと!」

 また思わず声を荒げれば、女がため息をついた。

「未来を視る力は純粋に力となり得るのよ。いつの時代もね。だから貴族は私を手に入れようとしたの。それだけのことよ。――さて、ごちそうさまでした。じゃあ私の話じゃなくてあなたの話をしましょう」

 パンをすべて平らげた女が俺へ改めて顔を向ける。綺麗な瞳で正面から見つめられると、どれだけ言いたいことがあっても俺はその言葉に従うしかなかった。

「そんなに結婚がしたいの? 別にそれがすべてじゃないと思うわよ」
「……結婚願望のないヤツが結婚したい人間の気持ちなんざ、わからねえんだ」
「まあ、確かにわからないかもしれないけれど。でも、その気持ちに寄り添うことはしてあげる」

 女が古い椅子へ座り直し、姿勢を正した。そして瞳を一段と輝かせる。

「どんな女性をお嫁さんにしたいの?」
「あー、元気なやつがいい。ガキも何人か欲しいし」
「ちゃっかり理想を高く持ってるわねー」
「わ、悪いか!」

 開き直れば、鈴を転がすような声で女が笑う。

「悪くないわよ、ちっとも。――私は未来を視て、それがどれだけ当人にとって絶望的な未来でも容赦なく伝えるわ。そして同時に祈り、願うの。『あなたがこの未来を変えられますように』と」
「…………」
「だから私はこう思っているのよ? 初めて会ったあの時から『師団長さんが結婚出来ますように』って」
「……ふん、どうだかな」

 祈るように指を組み合わせる女の姿を眺めているとなぜか鼓動が不規則なものになったので、俺はつい目を逸らしたのだった。

(2014/02/18)
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