占い師は詐欺師か
女は俺の背後にじっと目を凝らす。
「うーん、あなたが結婚している未来が全然視えない。本当に視えない。そんな未来は存在していないみたいね。……まあ、そういう人生もあるわよ」
「この女ぁッ! ふっざけんな、何を言いやがる! たかが占いだろうが! 当たり障りのいいこと言えばいいだろうが!」
「どうして嘘を言わなきゃならないのよ」
「適当なこと言ってんじゃねえ! お前みたいな詐欺師は俺が検挙して――」
「明日」
低く鋭い声がした。
「明日、あなたは血を流す」
と、女は俺の顔から少しずれた場所を指差した。
「はあ?」
何を言ってやがると俺は思わず鼻を鳴らす。
「もういい。知るか。――じゃあな」
何が、評判の占い師《ウォール・シーナの魔女》だ。ただの詐欺師じゃねえか。
「待ちなさい」
背を向けようとすれば、射抜くように女の瞳が向けられた。
「な、何だよ」
「代金。何であろうと私はあなたの未来を視たのよ。師団長ともあろう人間が踏み倒すの?」
その言葉に舌打ちして俺はここへ来る途中で買った『季節のパン三種セット』を女に押し付けた。そして今度こそ立ち去る。
あー、非番の日を無駄にしちまった。俺はこんな場所に何をしに来たんだか。
重くため息をついて、狭く入り組んだ路地を出た。
王の元で秩序を守る憲兵団。
壁の強化に努める駐屯兵団。
壁外の巨人に挑む調査兵団。
行うことは違えど、対立することもあれど、同じ兵士だ。
よって、気に食わない相手であっても顔を合わせなければならないことがある。
「やあナイル」
調査兵団本部の応接室へやって来たエルヴィンの野郎の顔を見て、俺は思い切り顔をしかめてやった。
「……何でお前が茶を持ってくるんだ。調査兵団にも女はいるだろうが」
「せっかく来てくれたんだ、話そうじゃないか。少し休憩に付き合ってくれ」
「けっ。都合よく使いやがって」
書類を片手に、俺はカップの中身をあおる。
部下がまずい茶しか淹れないのでこの飲み方が癖になってしまったのだが、
「……うまいな。エルヴィン、これはお前が淹れたのか」
「まさか。給湯室にいた兵士に頼んだよ」
「女か」
「そうだが」
「ちっ、うらやましい。俺の部下はまずい茶しか淹れねえからな。だが別に兵士は茶なんざろくに淹れられなくたっていいんだよ。そんなことしてる暇があるならその女、兵士なんかやめちまって貴族のメイドなり誰かの嫁になりなっちまえばいいんだ」
吐き捨てるように言えば、エルヴィンが口を開く。
「ナイル、今日は機嫌が悪いな」
言われるまでもねえことだ。俺だって自覚している。
「……くだらねえ占いを聞いちまったんだよ」
「占い? 『あなたは結婚できません』とでも言われたのかい」
その言葉に思わず茶を噴いた。
「君の向かいに座らなくて良かったよ。しかし書類がひどいことになったな……」
「がはっ、ごほっ、お前……!」
「当たっていたか。――君に結婚願望があるとは知らなかった」
「……悪いか」
口元を拭ってカップをぞんざいに机へ置き、天井を仰ぐ。
「俺はな、一日仕事をして家に帰ったら嫁さんの顔見て安らいで嫁さんのメシ食って満たされて嫁さん抱いて寝て朝になったら嫁さんに見送られてまた仕事頑張ってやろうと思いたいだけだ」
「……しっかり色々と考えているな。私も見習おう」
「思ってもねえこと言うんじゃねえよ」
睨んだところでこの男に効果はないとわかっていても、そうせずにはいられなかった。
「ところでその占い師というのは《ウォール・シーナの魔女》のことかい?」
驚いた。やはりこいつは侮れねえ。
「……お前が知っているとはな」
「女性兵士の間で噂になっているのを小耳に挟んだだけだが」
その時、俺の後ろの扉が開いた。エルヴィンが視線を向けるが、俺にとっては誰だろうと関係ない。手元にある茶で濡れた書類をどうしたものかと眺めていると、
「どうした、リヴァイ」
「エルヴィン、昨日話していた書類だ」
「おわっ」
ピリッとわずかに頬に痛みが走った。
反射的に手をやれば、すぱっと肌が切れていた。当然血も出ている。
「ぎゃああああっ」
「うるせえ。部屋で喚くな」
ナイフでも突き付けられたのかと思ったが、違う。リヴァイの野郎が座っている俺の顔の真横からエルヴィンに向かって書類を突き出したのだ。書類の紙で切ったのだろう。一体どんな紙だと思うが、事実だった。人類最強が持てば紙も凶器になるのか?
「ちっ、汚えな。お前の血が付いたじゃねえか。これは書き直しだ」
「な、待てぇっ! 負傷させておきながら言うに事欠いて汚いだとっ? 謝ることを知らんのか貴様ぁっ!」
立ち上がって叫べば、一瞥だけ返された。
俺の方が見下ろしてるのに何だこの威圧感は。
「いっそのこと、お前の薄ら髭でも削いでやれば良かったな」
俺の声など聞こえていないように言い捨てて、人類最強は去っていった。
「くっそ……!」
だから調査兵団は嫌なんだ!
地味な傷ほど実は痛いんだからな!
歯噛みしながら、たらりと頬を流れる血を感じて――ふと思い出した。
『明日、あなたは血を流す』
あいつは確か、顔から少しずれた場所――頬を指差していなかったか?
ごくりと唾を呑み込む。
まさか、このことを言っていたのか?
それにあの女はこうも言っていたではないか。
『師団長ともあろう人間が踏み倒すの?』
非番だった俺は私服であいつの所へ行った。
あの時は気づかなかったが――なぜ、俺を師団長だと知っている?
顔を知っていたのか? 街を見回る俺の顔を?
いや、違う。そうじゃねえ。
占い師は過去と未来――現在をも見透かすと言っていたはずだ。
「…………」
そんなものが見えるなんざ俺は信じねえ。
だが、それでも――直感が告げていた。
あの女、本物だ。
(2014/02/03)