すべての答えは貴方でした
ゲデヒトニス家の一室で、アルト様が叫んだ。
「僕は認めない! 絶対に!」
普段穏やかな人がこんなに声を荒げるなんて珍しい。
その元凶であるにも関わらず私は驚いていた。隣にいるリヴァイさんはうんざりとした様子だ。
「この家を出るだって!? しかも結婚!? ありえない! どうしてそうなったんだ!」
狂乱という言葉が相応しい様子に困ってしまう。どうしよう。
和やかに済むとばかり思っていた話が、そうはならなかった。戸惑っているとアルト様がばんっと荒っぽく机に手をついた。
「リヴァイ兵士長、彼女を連れて行くのなら当家は調査兵団への出資を取りやめます!」
「そうか、エルヴィンに伝えておこう」
いつの間にか話が大きくなっていて、私はどうすればいいのかわからなくなる。ゲデヒトニス家は結構な額を兵団へ投資していたはずなのに。リヴァイさんもあっさりしすぎだ。お金は大切なのに。
どうしてこうなったんだろうとうろたえる私を横目に、リヴァイさんが口を開く。
「こいつも同意済みだ。掻っ攫うわけじゃない。俺がもらっても問題は――」
「問題はある!」
アルト様が断言して、私へ視線を向けた。苦悩するように顔を歪ませて。
「リーベ、この男と出会って何度目だい? まだ日が浅いはずだろうっ?」
この男呼ばわりの驚きながら、私はこたえる。
「今日で五度目――」
「早いし速い! 五回会っただけの男と一緒になろうなんて、君は何を考えているんだっ」
言い終えるより先に、話にならないというようにアルト様が言い捨てた。
つい私が萎縮すればリヴァイさんが呆れたように、
「時間だの回数だの、見合い結婚が主な貴族らしからぬ言葉だな」
するとアルト様はぐっと言葉を詰まらせてから、また口を開く。
「リーベ、結婚は家と家、家族と家族を繋ぐ大切なものだよ。簡単に決めて良いものじゃないんだ」
それくらい、わかっている。けれど、
「……私に家族はおりませんし」
「僕がいるだろう!」
アルト様の力強い言葉に思わず息を呑んだ。
こんな私をそんな風に思っていてくださったなんてと感激していると、
「だから僕と結婚しよう、リーベ!」
「えええええっ!」
突然の申し出に叫んでしまった。
「君がこんなに小さな頃から! ずっと! 決めていたんだ! それを突然現れた男なんかに掻っ攫われるなんて! 僕は耐えられない! ああもう当主になってから言うつもりだったのに!」
そういえば、と私は思い出す。
『僕が当主になった時に、君に伝えたいことがあるんだ』
前にアルト様が言っていたのはこのことだったらしい。
リヴァイさんはやれやれとため息をついて、私を見下ろす。どうするんだと視線で訊ねられているのがわかった。
「……そ、そんな」
私は慌てて首を振り、必死に言葉を探す。
アルト様との結婚なんてあり得ない話だ。想像もしたことがない。
だから私はいつも、いつだって、ずっと、この人の好意をこの人に仕える者として有難く受け取らせて頂いて来たのに。そのつもりだったのに。
「そ、そもそも、メイドが貴族の方と結婚なんて――」
「身分の話をしているんじゃないだろう!」
アルト様の鋭い叫びに、思わず肩が跳ねる。同時にリヴァイさんが私を庇うように前に出て、その様子にアルト様がはっとしたように口を閉じてうつむいた。
「リーベ……僕は君と、対等に在りたいと思っているんだ」
部屋を覆う沈黙。
どうしよう。何か言わなきゃ。でも、何て言えばいいんだろう。
リヴァイさんが背中越しに私の様子をうかがっている。そのまなざしで思い出したのは、パーティーの夜に聞いた言葉だ。
『勘違いするんじゃねえ。勝手に決めつけるな』
ああ、そうか。
身分とか、自分の立場とか――私はいつもひとりで勝手にそんなことを考えてしまう。相手のことなんて考えずに、決めつけているんだ。
「――アルト様が私をそのように見てくださるのなら」
私は一歩前へ出る。正面からアルト様と向き合えば、隣からリヴァイさんの視線を感じた。
「誠心誠意、お返事させて頂きます」
私は深呼吸して、叫ぶ。
「アルト様が貴族であろうとなかろうと――結婚は出来ません! ごめんなさい!」
十分後。
ゲデヒトニス家では急遽『アルト様を励ます会』が催されることになったらしく、その準備に追われたメイド仲間たちと慌ただしくも別れを済ませ、私は少ない荷物を持って門を出た。見送りにわざわざ来てくれたのはメイド長だ。
「リーベ。私から二つ、言っておきます」
リヴァイさんが少し離れた場所で待っているのを確認してから、メイド長は眼鏡の奥の瞳を私へ向けた。
「まず一つ。以前話したようにあなたなら問題ないでしょう。オールワークスであれ一人の男性の妻になることであれ……最初はたとえ上手く出来ないことがあっても、きっと大丈夫」
「メイド長……」
「二つ目です。――戻って来たくなったら戻って来なさい」
私は目を見開けば、
「もちろん、そのようなことにならないのが一番ですが覚えておくように」
「しかし……私はアルト様に――」
「殿方に愛を告げられるのは『甘えてくれ』と頼まれていると思っておけば良いのですよ」
「でも……」
「ならば私たちメイドのために戻ってきなさい。その時こそ、ゲデヒトニス家当主を継ぐに相応しい器の大きさを見せて頂くために」
「…………」
こんな時、何て言えば良いのだろう。
少し考えて、私は口を開いた。
「ありがとうございます。――幸せに、なりますね」
よろしい、とメイド長は鷹揚に頷いたのだった。
そして私は歩き出す。リヴァイさんの元へ。
ずっと育った家を出るのは何だか不思議な感慨がある。長い廊下の壁に飾られた当主様の蒐集品の数々を掃除で扱うのがいつも怖かったなと思い出していたら、小さな荷物はリヴァイさんにあっさり奪われた。私は遅れてついて行く。
「もし、お前があの貴族と連れ添うつもりだったら無理矢理でも掻っ攫うつもりだった」
「……私がそんなことをすると思ったんですか?」
「あの時、言いあぐねてたじゃねえか」
「あなたのことを考えていたんですよ」
そんなやり取りをしながら馬に乗せられて、ウォール・シーナを離れる。これから暮らす場所は調査兵団本部に近い場所らしい。
「世帯用の兵舎もエルヴィンには提案されたがな。俺はこの方がお前に合っていると思った」
家を買ったのは、どうやら私のことを考えてくれたからのようだった。そのことがとても嬉しかった。
兵団本部に馬を置き、私はリヴァイさんに少し遅れてついて歩く。ここからすぐに着くようだ。
「リーベ」
「はい」
「指輪だが――」
「リヴァイさんは戦闘や訓練で邪魔になるでしょう? 必要ないと思います」
「……そうか。なら、式は――」
「私の方に参列する人はいませんし、リヴァイさんの方も難しいはずですよ? その日にまた超大型巨人でも現れたらどうします? 兵服での出席は司祭様に嫌がられますから、着替えるの時間かかりますよね? その間に人類が敗北したらどうするんですか?」
立て続けに訊ねればリヴァイさんは憮然とした表情になった。
「……女は結婚に夢を見てるから気を使ってやれとエルヴィンが話していたが」
「夢は見ていますよ。あなたとずっと一緒にいる、そんな夢を」
私は笑って言った。
「だから今、これ以上ないほど幸せです。まるで夢の中にいるみたい」
リヴァイさんの隣へ並べば、どちらともなく手が触れ合った。私は繋いだ手にぎゅっと力を込める。
「それに、私とあなたが結ばれていることは、私たちが一番わかっていれば充分だと思うんですよ。だから指輪も式も要りません」
「……わかった」
リヴァイさんも私の手を握り返してくれた。そのことがとても嬉しくて、頬が緩む。
「――着いた、ここだ」
小さな家だった。古いけれど、荒れているわけではない。長い間きちんと手入れされていた家だということがよくわかる。
「以前は老夫婦が暮らしていたらしい。――まずは掃除だな」
「そうですね」
その言葉に私は頷いて、呟く。
「何だか不思議」
ゲデヒトニス家のメイドとして、毎日が続くのだと思っていた。ずっと、ずっと。
でも、これからは――。
「ところで」
リヴァイさんが言った。
「お前、男は知っているのか」
「…………」
突然何を言いだすのかと思えば。
「……パーティーの時の様子でわかりません?」
「答えろ」
リヴァイさんがそれを聞きたくなるのもわかる。メイドが貴族に弄ばれたり身体を強要されるなんてよくある話だ。幸いにもゲデヒトニス家は違ったけれど。
私はそっぽを向いた。
「…………知りません」
「そうか」
「なので……」
「何だ」
私はひとつ深呼吸をした。
「お手柔らかに、お願いします」
「――ここの暮らしに慣れるまでは待ってやる」
顔を見合わせてから、私たちは一緒に足を踏み出した。
新しい生活が始まって一週間。
私は洗濯籠を手に、ひとり空を仰ぐ。
とても天気が良くて、やさしい風でシーツが揺れる。
そのことがとても嬉しかった。こんな瞬間がとても幸せだった。
乾いた洗濯物を取り込みながら、ふと思い出す。
衣服はメイドとして必要だった黒のワンピースドレスを夏用と冬用に数着しか持っていないことを話せば、リヴァイさんにものすごく驚いた顔をされたこと。
そして次の日にやって来たハンジさん(分隊長様と呼ぶのはやめるように言われた)から、たくさんの新しい服を頂いたこと。
「まだまだ買って来るよ! いや、一緒に買いに行こう!」と誘って下さったが、これ以上は結構ですと断ってしまったこと。
今日はやさしい空色のスカートに白のブラウスだ。色が好みで、着心地も良いし気に入っている。
髪はシニヨンではなく、今日は一本の三つ編みにして前へ垂らしてみた。少しでも髪形を変えると、何も言わないなりにリヴァイさんが喜ぶことに気付いたからだ。長さがあるので色々な髪型が出来るし、私もやってみると楽しい。
また風が吹いた。頬をやさしく撫でられるような感覚に、そっと目を閉じる。
まるで――飛んでいるみたい。
リヴァイさんに抱えられて飛んだ時のことを思い出して、幸福が胸を満たすのがわかった。
「さて、と」
いつまでも浸っていてはいけない。気持ちを切り替えて、私は小さな家へ戻る。洗濯物を片付けた。
掃除はもう済ませていたので、次は夕食作りだ。ちなみに食事はたくさん作りすぎてはいけないことが判明した。作れば作るだけリヴァイさんはすべて食べてしまうのだ。そんなことはもちろん身体によくないので、見極めが大切なのだとわかった。
「わ、もうこんな時間」
正直、ひとりですべて家のことを行う生活にはまだ慣れない。だから毎日疲れ切ってしまって、夜はリヴァイさんと一緒に眠る緊張を上回り、一瞬で眠りに落ちてしまう。
これはそろそろ何とかしたいのだけれど、どうしたものか。
頭を悩ませていると、窓の向こうから聞こえて来るのは愛しい人の足音。
ああ――とても、幸せだ。
あの人も私と同じように感じてくれたら、この上なく嬉しい。
そんなことを思いながら私は扉へ駆け寄って、満面の笑みでリヴァイさんを迎え入れる。
「おかえりなさい!」
(2014/03/01)