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「あたしね、やっぱり走るよ! 自分の体ぶっ壊す。ぶっ壊して次のステージに進みたい。スポーツジムにはもう行きたくないけど、なんとかする。体動かすの、やっぱり楽しい!」
額の汗をぬぐって小来さんは声を弾ませた。
「なんとかって?」
「顧問の先生に頼んで自主練習の時間増やしてもらう」
「顧問の先生には今までだって頼んだことあるんだろ? で、もうこれ以上は練習時間を増やせないって言われたんだろ?」
「うん。でももうちょっと頑張ってもらう。あれ、なんで知ってるの?」
「君がそんなこともしない子だなんて思ってないからね」
言うと、彼女はのぼせたような表情になって動作を止める。僕はその隙に彼女の手からスマートフォンを奪い取った。
小来はるは自分の体をぶっ壊してでも速く走れるようになりたいと願った。自分の限界を超えたいと願った。
僕は世界を壊してでも誰かと並びたいと願った。見えるものを必死になって見分けてきた。
このふたつは違うようで同じなのかも知れない。
僕も、彼女とは違う方向だけど、次のステップへ、今までよりも何かがある世界へ行こうと願った。それが無理なら奥歯が欠けるほど歯を食いしばってでも、その場に立ち止まろうとした。そして、いくつも、いくつもゲートをくぐり抜けてきた。今、ここにいる。
「僕は赤が見えない一型二色覚で、君は正常三色型色覚だけど、世界には四色型色覚とか五色型色覚を持つ人がいるらしい」
切れ切れになる息をなだめつつ記憶を引き出す。
「五色型色覚?」
「赤外線や紫外線が見えるんだよ。だからね、さっき君が言ったこと、あながち間違ってないかもしれない」
僕たちの目は自然と西日に向いた。先ほどよりだいぶ傾いて、もう眩しさは感じない。明順応だ。暗い所から明るい所に出れば、暗い所で働く桿体が明るい所で働く錐体に入れ代わる。明暗の差が激しければ激しいほど、眩しく感じ、また明るさになれるために時間を要する。それだけのこと。紫外線が見えたわけじゃない。わかっている。
「本気で言ってる? さっき笑ってたじゃん」
「本気だよ、本気。紫外線だったらいいなって思ってる。信じたい」
紫外線は成層圏、ストラトスフィアにあるオゾン層でほとんど吸収されてしまう。だけど、一部はオゾン層を突き破り僕らに届く。
言い換えればそれは、狂おしいほどの情念だ。身を削られ仲間を失い、ボロボロになって遙かなる地上にたどり着く。
紫外線の見える世界はどんな世界なのだろうか。ストラトスフィアを越えれば、もっともっと色鮮やかで、眩しく、美しい世界が広がっているのかもしれない。
さっき感じた眩しさを紫外線だと無邪気に主張した小来さんを信じてみたい。僕には、赤い光が見えなくても、紫外線なら見える。そう、信じてみたい。
「なあ、僕が一緒に走ろうか? もし練習し足りない時があったら言ってよ」
「走れるの?」
「ばっ……自転車乗ればいいだろ」
「あたしの専属マネージャーになってくれるの!?」
「ちがいます」
彼女の頭をスマートフォンでチョップする。
「努力すればもっと速く走れるようになるんだろ。証明して欲しいから協力するんだよ」
「もちろん、すぐに証明するよ」
「本当に?」
「本当だよ。すぐに速く走れるようになったあたしの姿を見せてあげる」
僕は結局消さなかった写真とともにスマートフォンを返して、強く言い切った彼女の髪を掻き回した。指に彼女の汗を吸った髪がしっとりと絡みつく。- 22 -
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INDEX/MOKUJI
額の汗をぬぐって小来さんは声を弾ませた。
「なんとかって?」
「顧問の先生に頼んで自主練習の時間増やしてもらう」
「顧問の先生には今までだって頼んだことあるんだろ? で、もうこれ以上は練習時間を増やせないって言われたんだろ?」
「うん。でももうちょっと頑張ってもらう。あれ、なんで知ってるの?」
「君がそんなこともしない子だなんて思ってないからね」
言うと、彼女はのぼせたような表情になって動作を止める。僕はその隙に彼女の手からスマートフォンを奪い取った。
小来はるは自分の体をぶっ壊してでも速く走れるようになりたいと願った。自分の限界を超えたいと願った。
僕は世界を壊してでも誰かと並びたいと願った。見えるものを必死になって見分けてきた。
このふたつは違うようで同じなのかも知れない。
僕も、彼女とは違う方向だけど、次のステップへ、今までよりも何かがある世界へ行こうと願った。それが無理なら奥歯が欠けるほど歯を食いしばってでも、その場に立ち止まろうとした。そして、いくつも、いくつもゲートをくぐり抜けてきた。今、ここにいる。
「僕は赤が見えない一型二色覚で、君は正常三色型色覚だけど、世界には四色型色覚とか五色型色覚を持つ人がいるらしい」
切れ切れになる息をなだめつつ記憶を引き出す。
「五色型色覚?」
「赤外線や紫外線が見えるんだよ。だからね、さっき君が言ったこと、あながち間違ってないかもしれない」
僕たちの目は自然と西日に向いた。先ほどよりだいぶ傾いて、もう眩しさは感じない。明順応だ。暗い所から明るい所に出れば、暗い所で働く桿体が明るい所で働く錐体に入れ代わる。明暗の差が激しければ激しいほど、眩しく感じ、また明るさになれるために時間を要する。それだけのこと。紫外線が見えたわけじゃない。わかっている。
「本気で言ってる? さっき笑ってたじゃん」
「本気だよ、本気。紫外線だったらいいなって思ってる。信じたい」
紫外線は成層圏、ストラトスフィアにあるオゾン層でほとんど吸収されてしまう。だけど、一部はオゾン層を突き破り僕らに届く。
言い換えればそれは、狂おしいほどの情念だ。身を削られ仲間を失い、ボロボロになって遙かなる地上にたどり着く。
紫外線の見える世界はどんな世界なのだろうか。ストラトスフィアを越えれば、もっともっと色鮮やかで、眩しく、美しい世界が広がっているのかもしれない。
さっき感じた眩しさを紫外線だと無邪気に主張した小来さんを信じてみたい。僕には、赤い光が見えなくても、紫外線なら見える。そう、信じてみたい。
「なあ、僕が一緒に走ろうか? もし練習し足りない時があったら言ってよ」
「走れるの?」
「ばっ……自転車乗ればいいだろ」
「あたしの専属マネージャーになってくれるの!?」
「ちがいます」
彼女の頭をスマートフォンでチョップする。
「努力すればもっと速く走れるようになるんだろ。証明して欲しいから協力するんだよ」
「もちろん、すぐに証明するよ」
「本当に?」
「本当だよ。すぐに速く走れるようになったあたしの姿を見せてあげる」
僕は結局消さなかった写真とともにスマートフォンを返して、強く言い切った彼女の髪を掻き回した。指に彼女の汗を吸った髪がしっとりと絡みつく。