フリッカー
 白いスチールで出来た救急箱の蓋を閉じる。バチンバチンと金具を鳴らす。持ち上げると詰まった中身がガラガラと揺れた。
「包帯、外すなよ」
「はーい、りょうかいりょうかい、わかってるってー」
 ひらひら手を振って彼女はベッドに横たわった。ぱたりと空気の音。僕は自分の手に染みついた消毒液のにおいに眉をひそめながら立ち上がる。
 眼鏡だけでいいのに、小来さんはカッターナイフまで見つけてしまって、僕の目の届かないところで手首を切った。そのことにしばらく気付かずにいたら、相手をしろとばかりにたっぷりの血液で褐色まだらの手首を突きつけられ、あまりの凄惨さに意識が飛びかける。彼女以上に全身から血の気のなくなる思いをしながら、カッターナイフをねじとった。既に傷を得た小来さんにとって、カッターナイフを没収されることはたいした障害ではなく、今度は素手で傷をえぐろうとする。痛みは十二分に感じているのか、脂汗が額に滲んでいた。そしてちらりと、恨めしいような何かを期待するような上目遣いを僕に向ける。つまり、ご褒美をねだっているらしい。飴かチョコレートでお茶を濁そうとしていた僕は、諦めて天を仰いだ。彼女は、潜在的であれ、顕在的であれ、自傷を誰かにかまってもらうための手段と思っているのだろう。それは決定事項で相違ないと、彼女の手首から生臭くぬるい血液を嚥下しながら決めつけた。相手が美少女であれ、誰かの血液をすする趣味なんて僕にはない。
 だらしなくベッドに横たわる小来さんの太ももが、はだけたワンピースのせいで丸出しになっている。彼女は気分が悪いのか、両目に腕をかぶせて視界を暗くしていた。形のいい胸がその場で起伏を描く。
「気持ち悪いのか? 貧血? さっき血を流しすぎたんじゃねぇの?」
「うん、貧血でこんな気分になったことない……」
「ああそう」
 じゃあどうして具合を悪そうにしているのか。
「リビングにこれ、救急箱持ってくけど、ついでに水入れてくるよ」
「ありがと。でも、あたしもついてく。なんか、頭痛い。酔う……」
「ああそれ、この部屋のせいじゃないか? 僕の両親も耐えられないみたいだ。光過敏性てんかんって言ったらわかる?」
「なにそれ?」
「んー。具体例を挙げれば、ポケモンショック、テレビでピカチュウの電気ショックを見た視聴者がばたばたと倒れた事件になるんだけどもさ。原理を言えば赤と青の明滅、フリッカーが原因でめまいがしたり吐き気がしたりするんだ。この部屋は極彩色だし、ご覧の通り、蛍光灯も暗い。寿命かな、点滅が激しいんだ」
「へえ、物知り」
「君が物を知らないだけだと思うけど。でもなんでだろ、今まで何ともなかったんだろ?」
「うん。むしろ、落ち着いた気持ちになれた」
 あるいは。僕は推測する。彼女の精神が安定してきているのかも知れない。仮説として、今までの彼女の精神状態は不安定だった。不安定な精神状態が、偶然、赤青フリッカーを打ち消すような心理的状態にあったのだ。あたかも、揺れる橋を逆相の振動で安定させるように、ノイズキャンセラーが外の騒音を打ち消すように。不安定な精神状態から立ち直った今、彼女はノイズキャンセラーを失い、色が持つ騒音のただ中に放り出されているのだろう。しかし、血を舐めたことが彼女の精神を安定させただなんて思いたくはないが、恐らくそれが精神安定の一助になってしまっている。
「ねえ、てゆーか、じゃあさー、仁地君はなんでなんともないの? 今の話だと、誰だって気分悪くなるんじゃん。そりゃあ、あたしも今まで大丈夫だったけど」
「それは今からリビングで話してやるよ。少し種明かしすると、僕には赤青フリッカーは通用しないんだ」
 赤色と青色のフリッカーが通用しない。その理由は簡単でなんともないよくある話だが、しかし、僕という人間の礎である。
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