「窓から、身を投げてみたいって、何度も思った。頭から落っこちて首を折って一発即死ってのもいい。でもさ、足とか、腕の骨を折って、無理矢理走れなくなっちゃったら、どんなに素敵なのかな。硬い地面に伸びてる自分の姿を想像して泣きたくなる。だからそれがどうした、はるひとりいなくなったって、なにも変わらない」
 三十秒に一人誰かが自ら命を殺すこの世界で、人ひとりの存在はゼロに等しくはかないと、僕は知っていた。だから、死なないのだ。あってもなくても同じような命、わざわざ投げ出して虚しくなる必要もない。
「ねえ、これ見て」
 腕が僕に向けて突き出された。こうして見ると、色白に感じられた彼女も日焼けしているのがわかる。腕の内側が外側に比べ、透き通って白い。その手首に、何本も黒い線が走っている。皮膚が鋭利なもので刻まれ、治癒した周囲が隆起している。真っ直ぐに切られた安直な傷ばかりではなかった。バツ印だったり、切るだけで飽き足らなかったのか、指でほじくり返したりしたような、広がった傷跡、無垢な肌をずたずたにする大量のためらい傷。傷の周囲を、血管がどくどくと脈打っている。
 痛ましさに目を閉じそうになった。見えることは苦しい。だけど、目を閉じたくはない。受け止め、考えろ。この傷の意味は何だ。
 瞬きもせずその傷の奥にある物を受け止めようとしていたら、「んっ」と小さいうめき声が聞こえた。
「血が出てくるの。すごいよ。見る?」
「見ない」
 照れくさそうにうつむく彼女は、本気で狂っているに違いない。血なんか見せられたって、嫌なことを思い出すだけだ。
「なんか、仁地君の距離感って気持ちいいんだよね。絶対にはるの内側にはいってこようとしない感じ。でも突き放さない。優しいよね」
「冗談だろ。自分でも冷血漢だと自覚してるけど?」
「これね、新しいクラスの子に見つかっちゃって。手首をやっちゃうのは本当に本当に自制が効かなくなった時だけだよ。普段は冷静だからお腹にしてる。だってウェア着られなくなったらいけないでしょ。だからこのくらいたいした物じゃないのに。たぶん、あの子たちにとって、ぬいぐるみはハブる口実だったんだよ。たいていの子は気持ち悪がるんだよね。だから仁地君が目を逸らさなかったの、すごく嬉しい」
「ああそう」
 目の前で自分を壊したがる人がいるのに、逃げるわけにはいかないじゃないか。
 ようやく僕は、自分をぶっ壊したいという、彼女の言葉を本気にし始めていた。
「何か切るものある?」
「それは誰かに見せる物なのか?」
 質問で質問をかわそうとするも、筆立てにあったカッターナイフはコンマ零秒で見つけ出され、僕は鬼の形相になって取り上げた。取り合いになるのを恐れて窓の向こうに投げ捨てる。
「あっひどい!」
 ひどいものか、と心の中で言い返した直後、それを追いかけて彼女は窓枠を乗り越えていた。まさか窓からダイブされるとは思わず、僕は腕を伸ばして彼女を捕まえる。空中に残っていた左腕。それを、強く引っ張っていいのかどうかためらった。彼女の体重で傷口が開いたりしたら。ためらったのは一瞬で、代わりに僕はそれよりももっと向こうを捕まえようとした。彼女の腕を追う僕の足に何かが引っかかる。直後、全身からあらゆる抵抗が消えた。
 落下していく。
 鈍色の空の下、冷たくこごった空気を切り裂く。
 庭に育った桜のしなやかに張り巡らされた枝が、がさがさと二人の体を受け止めた。体の向きを回転させるも、完全に受け止めるには至らず、折り重なって地面に激突する。肩胛骨から来た衝撃波が息を詰まらす。脳みそを揺るがし、全身を砕くかのように突き抜ける。
 しばらく頭の中が痛く鳴り響いて起き上がれなかった。
 二階の窓から落下したから、おそらく桜がなくても死にはしなかっただろう。むしろ、枝が頬を引っ掻いて、熱い痛みがあった。桜の野郎。ちっと舌打ちする。
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