現実よりも等価なヴァーチャル
――よお、来てたのか。
――久しぶり。
 僕と彼はオンラインゲームが大好きで、よくパーティを組む。彼に出会うまでネットですら固定パーティを組まずにやって来た僕だったが、彼とパーティを組むとヴァーチャルワールドで同じ空間と時と目標を共有すると言うことが、なんて楽しい事なんだと思えるのだ。ヴァーチャルはヴァーチャルでも、彼のしっかりとした肉体の存在を感じるし、ゲームを終えた後も心置きなく話しかけられるのが良い。
 扉の向こうの母親は、しばらく粘っていたが構っていられないのか「今夜はごちそうだから、後でおいで、ね?」と言って消えた。


――あのさ。

 稲刈り機に持ちかえた彼がゲームの画面で周囲に稲穂を掃き散らす。飛んで消えるように見える穀物だが、しっかり収穫されているのがヴァーチャルの便利な所だ。

――ん、なに?

 僕を置いて進化した世界の変貌ぶりに驚いて少しいじけた気分になっていたが、何か納得出来る説明を貰えるのだろうと前のめりになる。前髪がモニタとぶつかり、手の平で押さえ付けて正した。

――お前、レベルアップ頑張ってる? お前がパーティ組むのってだいたい俺だよね。その岩割れる?
――そうだけど。

 レベルアップ頑張ってる? なんて当たり前のことを尋ねられて僕は戸惑う。むっとした表情が見えないのが幸いだった。
 しかし、割れるかと問われた岩は今の僕のスペックで太刀打ち出来る物ではなかった。割ろうとして逆に僕のツルハシが壊れる。この発展しきった近代世界で、僕の出来ることは何もない。僕は役立たずの浦島太郎だ。どこと無く白けた空気がフィールドに漂い始めた。

――こういうシュミレーションゲーなら、レベルアップ頑張っておいた方がいいよ。他のパーティにも参加しやすくなる。
――は? なに言ってるんだ?

 僕は震える指で”て”のキーを連打し、平静を保つ。
 相手はガチャガチャと採掘機を上下に揺らすだけで反応を見せない。ふと、彼の背後にもうひとつ影があることを僕は発見してしまう。

――おい、お前あいつ……!
――気付かれちゃったか。会ったことないだろ?
――あるわけないだろ。この世界はお前と僕しか認識パス知らないんだから。
――おれが誘ったんだ。

 そして、僕を正面に置いたまま黙り込む。僕はじりじりと待った。展開は予測出来ていた。
 彼は話すべき内容を自分の手前で整理して、一気にぶちまけるタイプだった。僕みたいに瞬時に適当な相槌を打つタイプとは違い、他人とのコミュニケーションがまどろっこしそうな奴。クラスの会話にもおいてきぼりをくらってよく俯いていた、その暗い後ろ姿を思い出す。
 まさかこいつ、まさか。

――今日ようやくきみに引き合わせられてほっとしてる。おれたち、三日かけてここまで作り上げたんだよね。きみって、すぐログアウトしちゃうだろ、ええと、ここにいてもぐる
ぐるフィールド回ってるだけっていうかね。あのさ、別の箱庭で別の友達と始めたんだよね。そっちはもうここの五倍は近代化して、車も走ってるんだよ。口で言うより見せた方がいいかと思ってさ、北側の土地だけ彼の助けを借りてみたんだ。あのさ、やる気を出せば簡単にここまで作れるんだよね。牧場作ったり、家具を作ったり、いろいろなことが出来る。

――お前学校行ってるのか?
――行ってるよ。寝不足でろくに授業聞いてなかったけどさ、はは。

 目の前のクマが照れ臭そうに、だけど堂々と頭をかいた気がした。
 こいつ、現実を捨てやがった、と僕は呻く。
 リアルに居場所を作れなかった彼は、ヴァーチャルにそれを持つことにしたのだ。その覚悟とエネルギーは僕の予測を裏切って、仲間の居場所も食いつぶす程にどす黒く歪んで大きい。

――笑っていいよ。これからはあそこにいるキリンと一緒にここを広げるからさ。うーん、きみは、もっとゆっくりしたペースの仲間を見つけた方がいいんじゃないかなあ。きっとおれたちとやってもペースが合わないからつまらないよ。
――ああ、そうだね。他の誰かと組むか。お前と組むのが一番しっくり来るから最近考えてなかったな。たまにはいいかもな。ありがと。

 プログラマー並みの速度で文字キーをタップし、僕はパソコンの画面をブラックアウトした。
 なんだよ。くそ。僕と組むのが嫌なのかよ。アドバイスにかこつけて遠回しに言わずに、直截言えばいいのに。”おれたち”と彼が繰り返していたのも胸に刺さる。楽しい気持ちでやっていたオンラインゲームも、このやりとりひとつで吐き気がするくらい不愉快な物に変わってしまった。煮えくりかえったはらわたが口から溢れそうだ。僕は置き場のない体をどうすればいいのかわからなくて、廃人みたいにふらふらとベッドに倒れ込む。枕に正面から顔を埋めた。
 僕がオンラインゲームを好んでいたのは、多分彼と比べれば中途半端でよこしまな理由だったのだろう。彼に去られ、自分がゲームを好きだったのかどうかすらわからなくなった。
 ゲームを失って、僕は熱が冷めるように現実へ引き戻される。
 ゲームの世界にも、家族の輪の中にも、教室にも、僕の居場所はなかった。
 消えてしまいたいくらいの寂しさが込み上げ、僕は布団を両手で握る。寒々とした部屋で歯を食いしばり、襲い来る孤独の痛みに堪えた。血液が針のように身を貫く。
 転校ばかりだった。友達はすぐにいなくなった。僕はずっとひとりで、ひとりに慣れきって、当然のようにひとりであることを選択して来た。しかしそれは、転校が前提で有効なカード。
 僕の世界を構築するフィールドカードたるべき転校が忽然と消えてしまった今、残された手札はフィールド効果がなければ役立たずどころか毒で、じわじわと僕を絞め殺す。
 そんなLSDみたいなカードに心酔していた僕が浅はかだったのだろう。気付けば僕の体は戦う前からボロボロだった。手の平を内に丸め、自分の身体を確かめる。何も持たない拳は、頼りなく結束力も足りない。
 僕は、ここに定住する。弥生人のように。ひとつ所で暮らす。もっと早く教えてくれれば。転校する前に、そうなるかも知れないと一言言ってくれれば。何か所か全てが違ったろうに。
 僕はうじうじと情けなく恨む。
 クラスの輪に入ることを面倒くさがらなかったのに。恥を知るなら、今さら自分から捨てた空間にのこのこと「入れてくれ」と頭を下げられるわけがない。彼らに合わせるべき顔もない。
 強制的なリセットばかりを経験してきた僕は、自ら人間関係をリセットしスタートする術を知らないのだ。ゲームで言うなら登録したばかりのレベル1。だけどオウンプレイ。そんな弱っちくて物を知らない自分勝手な人間、誰が仲間にしたいと思うだろうか。今クマの友人がやったように、見せ掛けの優しさの裏で、死ぬまでひとりで野山をさ迷えと笑い飛ばし、僕を見向きもしないのだろう。
 引け目なのかもしれない。土地という頑強なつながりを持つ集団に対する、余所者の引け目。
 現実とゲームはどんなに似ていてもどこか違う物だし、経験値のなさや弱さ、ひがみや妬みは現状に止まるだけで何も産まない。自分の世界が閉ざされ、苦しくなるだけだ。わかっている。それでも思考は同じ所をメビウスのように回転して止まない。
「くそっ」
 壁を殴った。これから暮らす家の壁にくぼみが出来、土壁が剥がれ落ちる。殴って、殴って、殴った。殴る度に拳が硬くしまって行く。ぱらぱらと土が舞って気管を引っ掻いた。
 喉に入った土に咳込む。壁にぶつけた苛立ちが、回り回って帰って来る。そうか、と顔を歪めた。定住するとは、この穴ぼこと付き合うということだ。どんなささいなことでも降り積もり、消えず、僕の今を証明する。過去があるから現在がある。これは単純にして明晰な論理だ。
 指先でくぼみの縁を、読み取るようにたどる。手の甲が割れて赤い血が流れていた。
 頭の中のを高速で巡っていた血液が、ゆっくりとクールダウンする。リスタート出来ないほど僕は弱くない。出来ないのは甘えだ。
 立ち上がり、部屋着に着替える。親に拗ねて見せて何かが解決するのは餓鬼のうちだけ。僕は両手で頬を叩き、肺を空にする勢いでため息をついた。
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