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「あのねーお父さん、転勤が決まったのよね」
 帰宅し、玄関を開けた瞬間のことだった。上がりかまちの母親がニコニコとした大福みたいな笑顔で、ご飯粒の付いたしゃもじを頬に当てる。声が伸びよく弾んでいた。
「もう? 一ヶ月もここにいないじゃん」
 にやにやと平静を装いながらも内心酷く驚く。前回の転勤からの間がこんなに狭いことは今まで無かった。僕にしばしば近所付き合いが出来ないとこぼす彼女が、転勤に即して奇妙な鼻歌を歌っているのも初めてだ。父親の転勤、それに付随する引っ越しや転校別離邂逅の皮切り文句を聞かされること自体は何度目かわからなかったが。
 ああ、またお別れか。
 初日に僕を案内してくれた女子を思い出す。教室で会ったり廊下ですれ違ったりしても知らんぷりを決め込んでいた。他のクラスメイトは名前どころか顔もろくに覚えていない。だが、それでいい。知らない人間との別離は、最初から無かったことと一緒だ。
「あれー? あんたは昨日聞いてなかったっけ?」
 なにを、と脱いだ靴を足で揃えつつ思う。
「昨日、お父さんと話したんだけど、お父さん、この町に新しく作る子会社の社長をすることになったの。ほら、あっちこっち転勤して技術のノウハウ伝授してたでしょう。そろそろ後継者が育ってきたからって」
 父親は、大学の先輩から今の会社に来ないかと声をかけられた。先輩たちは大学在学中に今の事業を立ち上げたと言う。詳しくは知らないが何かIT関係らしい。
「だから、もう、転校しなくて良いわよ。ここに根を下ろして暮らせるわ。んふふ、町内会で何か重大な役を任されちゃったりして。たーいへん。はりきっちゃおー」
 ちっとも大変そうでない口ぶりで母親は両頬を抱えて腰を回転軸に顔を左右に振った。小学生がやっても薄ら寒いブリッ子を素でやってしまう四十路手前、未だに旦那を溺愛して世話を焼き甘やかしまくって幸せそうにしている新婚気分、それが僕の母親。しかし、頭の中身はピンクとは程遠い自己実現欲求の高い人だから、何か責任ある役職を任されることは悲願だったのだろう。責任を得て人は居場所を得る、それが僕の両親の口癖だった。
 町内会、町を挙げての一大イベント、治安向上、町民に愛される町作り。彼女のこれからここでのビジョンがじわじわと僕の皮膚細胞に染み込んで来て、ようやく合点がいった。そうか、それで母親は安堵して不安のない希望に満ちた顔をしているのか。僕の肩からゆっくりと力が抜け、引っかけた学生鞄がずり落ちる。もう、転校しなくてもいい。ここに根を下ろして暮らす。
「何でそんな大事な話いきなり」
 びゅう、と空気を切って飛び出す自分の声が遠かった。足元が崩れて行く無重力感が襲って来てふらつく。
「本当はね、今回の転勤前から打診されてた話なんだけど、本決まりまでは秘密にしておくことにしたのよ。変に期待させちゃ、かわいそうでしょ?」
 僕は突然の環境変化に、心が置いてけぼりにされてしまった。むずがゆい苛立ちに胸を支配され、蹴散らすように言い返す。
「僕だってもうガキじゃないんだよ、いい話が駄目になっても理由があればごねたりしない。なんで話してくれなかったんだよ。そんなに息子が頼りないのかよ」
 ひとり勝手に幸せそうな母親を突き飛ばし、肩に鞄を引っかけ、自室へ駆け込む。鍵を掛けて、部屋の隅に鞄を投げつける。そのままそこに腰を下ろし膝を立てて抱えた。携帯画面を点灯させ、友人にメールを送る。最近はまっているエフェクトが豪華なオンラインゲームでもすれば気が晴れるかも知れない。あれってただ画面で剣を振り回してるだけなのに、手応え感じるし。多分、血飛沫と剣の動作が秀逸だからだろうな。ゲームサイトのロビーでいつものメンバーを呼び出してみたが、夕方早い時間のせいかひとりも集まらなかった。集まらないなら集まらないでいいさ、二度とこのゲームをプレイしてやるものか。携帯電話を派手に閉じて部屋の隅に放る。代わりにパソコンを立ち上げた。開墾ゲームでもしよう。時間を割いた分だけ整地され住みよく近代化して行く僕だけの世界。箱庭。
「ちょっと、ごめん! そんなつもりじゃなかったの、許して! ね!」
 安普請の賃貸アパート、そのウェハースみたいな壁の向こうで母親が僕の名前を呼んでいる。
 僕はそれを無視してこれから行う発掘作業の段取りをする。モモンガに擬した僕のアバターがピッケルとシャベルを背負った。黄色い作業ヘルメットを装着する。南西の土地を耕して平らにし麦を植えよう。麦は乾燥限界ギリギリ月平均気温十度強の土地でも育つ丈夫な作物だ。
 意気揚々とログハウスの扉を開け、外の空気を吸った僕は拡張コントローラーの上で指を強張らせた。なんだ、これは? 意味がわからなくてモニタ向こうの壮大な眺めに見入る。想像したこともないような巨大建築物が突っ立っていた。はるか上空には細い道が空中回廊のように巡っている。昨日まで荒れ地だった地面は宮廷庭園並に手入れが行き届いていた。
 突然画面が上下に揺れた。背中を叩かれ振り向くと、知ったアバターが立っている。見たこともない黄金の採掘機を携えたクマだった。
 誰だ、こいつ、敵か? と一瞬身構えたが割って入った警告音に知り合いだと気付く。ピコンと軽快な音と共に浮かんだ文字列は読み慣れたアイディーだ。
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