ジョブはなんちゃってゲーマーとなんちゃって文学少女
 僕は今、最高にリア充しているかも知れない。
 少なくとも、一見した限りはそうなるだろう。
 なぜなら僕は今、女子と一緒に昼ご飯を食べている。それも、二人だけで。
 厳冬の一月。照らされた耳たぶが熱くなるほど燃えさかるレインボーストーブの横。僕は冷えた白米を奥歯ですり潰し、喉へ向けて甘い汁をひねり出す。
僕の隣では湯潟京子がスープデリのパンを小刻みに口に運んでいた。僕たちが腰掛けているのはベンチであり、京子は僕から五センチ離れない左隣にいる。僕が右に十センチ詰めると正確に十センチ詰めてきた。なんなのこの子、僕に気があるの? いやいや、幅広の作業台の向かい側が雑多なゴミで埋め尽くされていてこちら側、つまり隣に座るしかない、ただそれだけのことだろう。うん、少々近すぎるのではないだろうか? なんて疑問は勘違いで甚だしい。
ところで昼の校舎、密室に女子とふたりきりというのはなんとも心高鳴るシチュエーションである。相手がまあまあかわいければそれだけのために登校しても良いアドバンテージだが、学校、もといこの空間のかび臭さは手痛いビハインド。この資料室、昼の弁当を食すのにそぐわない腐臭で羽生蛇村、いや屍海状態。人はいないが汚臭を放つゾンビはいる。所在は景観がゲロ不味い作業台の反対側。触れればべったりと赤い粉が手のひらに付くほど鉄さびの浮いたブックラック。そこに詰められたファイルは所々床に転落、天井から漏れてきた雨水を吸って腐敗している。他には穂先がすり切れたり柄が折れたりしたほうき、どす黒く変色して触れるどころか近寄るのもはばかられる雑巾、ほこりまみれの箱形テレビ、それに寄りかかるようにしておかれた張りぼてのウサギは目に穴が開き耳がもげ竹ひごが宙に飛び出しスプラッタな様相をていしている。貼られた和紙は青や赤のカビがまだらに浮いていて見ているだけで皮膚が痒くなる。だから僕はそっと目を伏せてご飯を食べる。おいしいわけがない。
 突然室内にアラームが鳴り響いて僕の心臓が跳ね飛び京子が立ち上がる。お湯が沸いたのだ。
京子はショートボブを揺すり、少しかすれた声を出す。
「お茶飲む?」
「え? ああ飲む」
 彼女は分厚いファイルをどかしたブックラックに近寄る。そこには彼女が家から学校まで持参した数々の私物が並んでいて電気ポットもティーセットも茶菓子も当たり前のように揃っていた。紅茶を選び沸かしたてのお湯を茶器に注ぎ始める。丁寧に手順を追って紅茶を入れる京子の表情は普段の陶磁器じみた冷ややかな物とは違い、血の気が通って見えた。彼女は紅茶が好きらしい。うつむくと目の上で切りそろえた前髪が顔面に影を落とし、伏せた長い睫が蓋をするので瞳はほとんど見えない。かろうじて、小さく整った鼻、富士山型の口角が上がった唇、緩やかな曲線を描き小さく収束する頬から顎のラインが拝めるのみ。じっと眼福していたら、京子が僕を監視するように瞼を上げる。どのパーツも小作りに整っている彼女だが、目だけは大きく目尻が少しつぶれたようになっていて、相手を呑む凄みがあった。
「どうぞ。今日のは苺とバニラのフルーツティーだから、香りの識別が出来ない桐原君でもわかりやすいでしょ。前みたいに不味そうな顔しないでよ」
「苺とバニラならわかるに決まってるじゃん」
 ははは、と笑いながら請け合ったものの、一口飲んでその言葉を心の中で撤回した。京子が用意する紅茶は茶葉の中に青い花が混じっていたり果物の乾物が埋もれていたりとともかく、細やかな風流より量を優先する粗野な男にはわからない。わかることはこれは不味い、それだけである。だが隣で紅茶をすする京子は足を軽く揺らして機嫌が良さそうだし、彼女が機嫌を良くしている時なんて滅多にないので我慢して飲む。
 破れたブラインドの引っかかる窓から金の雨垂れみたいに、冬の日差しが入り込んでいる。僕はそっと目をすがめ、紫外線に弱い猫のように太陽の熱を全身で受け止めた。暗い色をした制服の表面がじわり、と温かくなる。それでも足元には、拭い去れない冷気が頑固にこびりついている。それを追い出そうと躍起になって火柱を上げるレインボーストーブのつまみを回して火力を調節した。
 話は冒頭に戻るが、なぜ僕がリア充だと言い切れないのかと言えば、単純に僕も京子も教室からあぶれた者同士だからである。
 ここは高校の旧校舎。厳密に言えば、建て増しを繰り返し蛇のように曲がりくねった校舎の一番奥、その一画である資料室だ。入口から来て竜頭蛇尾に古ぼけ老朽化が悩まれる校舎の最奥とあって、周囲に利用されている教室はない。ちなみにこの部屋も、見た目からわかるように資料室とは今や名ばかりの空き部屋である。かつての怠慢が良い感じに残っていて、弁当箱を広げている作業台からはそげがいくつも飛び出ているし、景観は廃品置き場そのものだし、ざんばらになったブラインドは日々ほつれていくし、まるで崩壊を待つ旧村みたいだった。
「あ、ストーブ弱めたでしょ。寒い。寒い、さーむーいー」
 抑揚なく言うから恐い。
「はいはい、場所代わる?」
「代わる。最初からあなたずうずうしくストーブの近所に座り過ぎなのよ」
「わかったごめん、ストーブそっち近づけてやるよ」
 これまた湯潟京子持ち込みのレインボーストーブを持ち上げ位置を変えてやる。僕たちは、寒空の下屋上でサボりなんていなせなことはしないモヤシちゃんであり、教室で自分の場所を開墾しない縄文人だった。大丈夫だ、問題ない。情けないなんて感情の装備はちゃんとどこかに置いて来た。あ、なんか泣きたい。
「湯潟さん今日は機嫌が良いね」
「読書目標を午前でクリアしたからよ」
 ふふんと鼻で高笑う。
 弁当を食べ終えた僕は携帯ゲーム機を鞄から出して電源オン。京子も京子で膝の上に分厚い本を広げ抱えるようにして読み始める。あてどなく携帯ゲーム機で肉を焼く合間に京子をちらちらと見た。彼女は小さな顔にショートボブ、丈の余ったセーターを着て、どこかの小説から抜け出した文学少女みたいななりをしているが、読書目標とか掲げているし、彼女が文学好きかどうかはかなり怪しい。眉間に寄ったしわが、悲しいかな、彼女が本から拒絶を受けて苦しんでいるようにも見せた。僕自身、恐竜だか怪獣だか相手にあてどもない殺戮を繰り返すことへ早々に飽きて、数千円するゲームソフトをただのパズルゲーム扱いしているのだから、この空間に漂う倦怠感の分厚さったらない。僕も京子もいらいらと自身をせっつかせながら、スクリーンや紙と言った小さな窓の向こうに意識を押し込んでいた。
 ついに苛立ちに耐え切れなくなった僕はゲームを投げ出し作業台に片腕を伸ばして枕にした。京子は僕にちらりと目線を動かして、また紙に視線を落とす。相変わらず眉間にしわを寄せたままだが、桃色の唇が、ふ、とU字になった。
 おかしいかもしれないが、僕はこの角度から本と格闘する彼女を見るのが好きである。ゲームより何倍も面白い。それは、彼女が生身の人間だからかもしれない。
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