ゴミ捨て場の教会と復活の呪文
 僕は始業チャイムの鳴り響く廊下を旧校舎の方角へ突き進んでいた。自分を内側から叩き潰したいくらいの苛立ちが、全身の毛穴から噴出されている気がする。顔面は憤怒の形相であることだろう。ゆかの勝手な言いぐさが許せなかっただけではない。僕は全ての巡り方に理不尽を覚えていた。足の裏が平らなリノリウムではなく一歩踏めば傾ぎ悲鳴をあげる木造に代わった。僕は何もない廊下を突っ切りながら何かを探す。窪んだ穴が教室と教室の谷間に開いていた。掃除用具入れ。僕はそこに足を踏み鳴らして立ち入り、手近なモップを引き倒す。甲高い音が連なって背後に響いた。壁を拳で殴り、積み重ねられた机の裾野を蹴り飛ばす。一度大きく蹴っただけにも関わらず、脚や天板にガタの来ていた机のピラミッドは簡単に崩壊した。
「おわっ」
 慌て背後に飛びすさるも狭い空間、机の雪崩はすぐに壁にぶち当たって止まる。一命を取り留めたことに心臓を撫で下ろし、ズルズルと座り込んだ。そこで目が合う。相手はじっと透き通った目で観察している。右手にカフェスプーンを、左手にスープデリのカップを持っている。
 目が合う?
 僕は跳ね起きて相手に上半身を近づけた。机で出来たアーチの向こうに誰かがいる。懐かしいにおいがして、それを肺に取り込んだ僕は息が詰まりそうだった。
「もしかして、湯潟?」
 紅茶の芳しい香り。闇の中にいる彼女に手を伸ばし、触れてみる。額も鼻先もぞっとするほど冷たかった。彼女は身じろぎし、僕から逃れる。
 うつむいた髪の隙間から、剥いたように見開かれた目が見えた。白目が定まらず動転している。震える唇からは子機が白くたなびき、京子の頬が上り詰めるように紅潮し、眼球から、そう表現するのがふさわしい気がする、眼球から、濃度十%弱の塩水が溢れ出した。
「近寄るな」
「なんであなたがここにいる」
「こんなところ」
「ゴミ溜めの中でも」
「昼ご飯を」
「見るな」
「私は」
「記憶するな」「見るな」「寄るな」「触るな」「そんな目で」「見るな」「手」「触れるな」「忘れて」「やめて」「違う」「違うの」「理由が」「寄るな」「どっか行け」「どっか行け」
 京子はうわごとのように繰り返す。きっと試しに僕がこの場を立ち去っても、彼女の拒絶は止まらないだろう。一度赤らんだ顔はすぐに蒼白になって、目だけが充血して痛々しい。彼女の意志に反して滂沱と流れる涙を、僕は手を器にして受けた。熱い液体が指の狭間を這い、急速に冷めていく。奥歯を鳴らし、スープデリのカップを前歯で噛みつぶす京子は、見ていて痛々しかった。カップを取り上げると爪を噛む。錯乱状態。多分そうなのだろう。何事にも動じないよう胸を張って生きていた彼女だからこそ、惨めな姿を見られるのは苦しい。始めに出会ったときからわかっていたじゃないか、彼女は本当は弱い。彼女に自尊心なんてない。沖ノ鳥島の消波ブロックみたいなプライドだけがあって、恥の海に沈んでしまわないよう自尊心を守っていた。ほんの少しの台風で自尊心は足場を失う。息を失う。光を見失う。暗い海に沈む。
「湯潟噛むな。血が出てる。止めろ」
 聞かない。聞こえていない。京子は止めない。危ういバランスでアーチを保つ机の下、僕は彼女を押さえ込もうと苦闘した。彼女は喉の奥から言葉にならないうめきを上げて抵抗する。
 京子だけではない。僕にも場所はない。誰もそんなものをくれはしない。
椅子にあった張り紙が、ネットの書き込みが、教室の潜めた笑いが、あからさまな嘲笑が、平手が、何度も何度も奪い去る。
みんなみんな、剥奪する。
どこにもない。
 僕たちは場所を奪われ、追いやられ、あざ笑われ、抵抗は無力だと思い知らされ、こうして恥ずかしがって涙を流す。逃げ場を失って狂う。
――ああそうか、彼女は僕だ。
「くっそが! バカ! 止めろっつってんだろ!」
 もういい。かまう物か。僕たちの間に立ちはだかる机を強引に押しのけ、僕は京子を正面から羽交い締めにした。両腕を決して自由にさせないよう、彼女の胸を僕の胸に強く押しつける。がりがりと京子の爪が背中を引っ掻く。机が崩れ落下して僕の脳天や背中、腕を強打し圧迫する。机の下で僕は潰れそうになる。だけど、僕は京子を抱えているから耐えなくてはならない。
「なんでこんな所にいるんだよ、探したんだぞ、一緒に戻ろう」
 かけてやるべき言葉なんて思いつかなかったから、僕が一番欲しかった言葉をあげた。
京子が背中を炒める力がなくなる。京子の体から緊張が抜けて行くのがわかった。
「なあ、壊してやりたくないか?」
 返事はない。でも、僕の鎖骨に、彼女は額を乗せた。
 奪われるならば、破壊してやろう。正面突破の正攻法が駄目なら、裏ルートを見つけてやる。
「今から、学校を爆破する」
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