通常攻撃→チャージ
 翌日、僕はコンビニで三百枚ほど手書きの用紙をコピーして校門の前に立った。外堀からじわじわと埋めるのが無理だとわかったら、正面突破しかない。時間はあと何日もないのだ。カレンダーは一月の最終週を示している。
 僕が抱えるのは、旧校舎解体反対の文字が踊るビラである。首からはクリップボードもぶら下げて、署名を集める気合いに肺を満たす。大勢の生徒から逃げ出したくなる自身の尻を叩いた。
 朝からみぞれ混じりの雨だった。嫌な冷たさが靴の先から染み込んで、校門をくぐる生徒の顔も薄暗い。ちらりと僕の方へ目線をくれても、すぐに傘の内に隠れてしまう。
「あー! 桐原君じゃん。何してるの?」
 大きく澄んだ声が僕の鼓膜をびりびりと鳴らす。
「代島さん」
 鮮烈な赤色の傘が視界に入ると、ぱっと気温が上がった気がした。
「久しぶりじゃん、これ何?」
 ビラを数枚取り上げ読んで笑う。その笑い方は久しぶりとかほぼ初対面とかを感じさせない打ち解けたもので、僕は彼女の物おじのしなさに救われる。
「旧校舎の取り壊しを反対します。署名を集めています。協力お願いします」
 彼女と一緒に登校して来た箕面深々がビラを読み上げる。いちいち語尾をあげているから、多分彼女に文面は通じていない。一晩考えたコピーであっただけに僕は少々意気を削がれた。雨音が強くなる。
 代島ゆかがシャープな顎に指を当て覗き込み、難しそうに唸った。
「うーん、これ、どうして反対なの?」「えっそれは」
 本当のことを率直に話すわけには行かない。だから苦労したのだ。僕は適当な理由を見繕う。
「まだ使える教室だらけじゃないか。校舎も浮かばれないよ」
「ふーん」
 頭の中で何事か考えているのかゆかはじっと僕の目を見上げて動きを停止する。その後ろで深々がクマ耳のはえた黄色い傘をくるくると回している。ゆかは瞬きをしない。気まずさに後ずさりかけた時、にかり、とゆかは歯をむきだして笑った。ぽん、と僕の肩を叩いて親指を立てる。彼女の唇が片方だけ引っ張られたみたいに釣り上がった。瞳も爛々と輝いて、獲物を見つけてよだれを垂らす豹みたいに悪い顔である。
「わかった。これでしょ、いくらでも協力するよ、楽しそうじゃない。あんた達が消えてからそうじゃないかと思ってたのよね。皆に喋りたくて喋りたくて。がまんしたんだから手伝わせてよね」
「いや、何もわかってないと思うんだけど」
 いったい僕の気持ちを何と勘違いしたのか、彼女は小指を立てて見せる。
 僕とさほど変わらない長身のゆかが頼み事をすると、ねだると言うより威圧する迫力があった。彼女のスカートの裾がふくらはぎ辺りまであるのは、ゆかがヤンキーであることの警告だったのだ。ちっとも気づかなかった。
「やるだけやってみよ。はい、あんたもね」
 ゆかは深々に話をぶん投げる。受け取った深々は爆弾を渡されたみたいに慌てふためいた。
「えぇ!? 寒いよー。早く教室行きたいよぉ」
 太めの眉をハの字にして情けない声で嫌がる。だが、ゆかは景気よく腰のスナップを効かせ、深々の尻を蹴りあげて反論を封じた。深々は「きゃうっ!?」と鳴いて背中をのけ反らせる。「しくしく」と聞こえそうなくらいしょげ返ったしぐさで僕からビラを受け取った。クマ耳もぺたりと垂れている。ぼたたたっと大粒の涙がビラに降り積もった気がしたけど、ゆかがたくみに割り込んで隠す。彼女はどこぞの銃剣女みたいに、眼鏡の奥でSっ気のあるウィンクをした。雨の中湿気を吸った長い黒髪は彼女を守るようにその背中に纏わり付いている。
「だって、体制に反発するって興奮するじゃない?」
 僕の耳元でそれをおっしゃったのだけど、正直どうでもいいと思ったのでそっと無視しておいた。
 姐御肌でこういう社交性とガッツの必要な仕事に才を発揮するゆかの協力により、ぽつぽつと名前を記入してくれる生徒が現れる。一方深々は視界の端で不器用にビラをばらまいたり拾おうとして転んだり、だけど音を上げず一心に協力してくれていた。僕も怠けているなんて論外で、酷くなる雨足の中声を張り上げる。ようやくカップルが僕の前で立ち止まり、ひそひそと笑いながらサインをしてくれた。
 この調子で一人でも多くの署名を、と意気込んだ時、怖い顔をしたおばさんが雨水をブルドーザーのように跳ね上げながらやって来る。深々の手から泥だらけのビラを引っこ抜き、真っ二つに裂いた。何が起こっているのかわからず、僕たちは唖然とする。二等分されたビラは目の前でさらに小さくちぎられて、泥水の中に溶けた。
 おばさんは僕たち三人を端から順番に、隙のない動きで睨み付ける。まるで目に焼き付けんばかりだ。それから、弛んだ脂肪が幾重にもなった胸部を反らせる。金切り声で「勝手なまねはやめなさい!」と叫んだ。
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