ぶろぐ | ナノ

どうか僕のために泣いておくれ。
  

 駅までの道を必死に走りながら、新しく建った一軒の家に複雑な思いを抱いた。
 前までは八百屋さんだったその土地に、新しくて綺麗な家が一軒できていた。まだ一年も経っていないのに。いや、わたしが気づいていないだけで経っているのかもしれない。
 八百屋さんはお世辞にも綺麗とは言えない外観だった。でも、一度だけ祖母にそのお店で買ってもらったバナナはとても甘くて美味しかった。八百屋のおじさんがこれがいいだろうと選んでくれたものだった。
 八百屋のおじさんが亡くなったから、その八百屋は無くなってしまったのだ。背が小さくて色の黒い、にこにこと愛想の良い優しいおじさんだった。小学校の帰りに「こんにちは」と挨拶するといつも返してくれて、挨拶をし始めた頃に「太郎っちゅーんだよ」と一緒に店を守っていた犬の名前を教えてくれた人だった。
 太郎はとても優しくて可愛かった。子供たちの人気者で、帰り道にはいつも触っていた。一度もわたしたちには吠えたことがなく、触ると嬉しそうに尻尾を振っていた。
 ときどきおじさんは軽トラックを運転していた。その荷台には太郎が乗っていて、太郎はくるくると楽しそうに荷台で尻尾を追いかけていた。
 おじさんはお店に出ているときもあれば、奥の部屋で炬燵に入って何かテレビを見ていることもある。わたしたちが太郎と遊んでいると、炬燵から出てきて声をかけてくれたりもした。
 中学生までわたしはおじさんに挨拶をしていたけど、高校に入ってからはあまり八百屋さんの前を通らなくなった。それでも通ったときには挨拶をしていた。しかしある日、母に「八百屋のおじさんが亡くなったらしいよ」と言われた。確か回覧板で回ってきたのだと思う。
 わたしはおじさんの名前を知らなかった。ずっと“八百屋のおじさん”で充分だったから。お葬式に出たわけでもないからか、わたしの中でおじさんはまだ生きている。亡くなったという実感はどこにもない。八百屋さんは畳んでしまっただけで、どこかでまだにこにこと太郎と過ごしているのではないかと思ってしまう。
 あの忠犬太郎はどこへ行ってしまったのだろう。それなりに老いてしまっていた太郎は、誰が引き取ったのだろう。

 ぼんやりとそんなことばかりを考えながら電車の中から駅前を眺めていた。
 駅前には未だ完成していないスーパーがあった。看板にはチェーン店であるクリーニング屋の名前が出ていた。わたしが住むところとは駅を挟んで反対側の出来事。わたしが住む方にはシャッター街と化した商店街に一軒クリーニング屋がある。おばさんはわたしが小学生のときからの知り合いで、クリーニング屋と居酒屋を併せて営んでいる。居酒屋の方にはおじさんもいる。髪の毛のないぴかぴかの頭をよく自分で叩く人だ。
 夜遅くまで小学校に残った日、帰り道が怖くておばさんとおじさんのいる居酒屋に駆け込んだことがある。子供110番の家だったから許されるだろうと思ったのだ。おばさんは嫌な顔一つせずわたしに電話を貸してくれた。母に電話をかけて店で待たせてもらっている間、知らないおじさんが「お菓子を買ってあげる」と声をかけてきた。見た目はいい人そうだったけれどやはり不安はあり、おばさんに目線をやると「いい人だから大丈夫よ」と言われた。
 おじさんはすぐ近所の酒屋さんでお菓子を買ってくれた。アーモンドチョコを渡したら、「もう一つ選んでいいよ」と言われ、何も食べたいものが浮かばなかったわたしは同じものをもう一つ手に取った。
「同じのでいいの?」「お兄ちゃんにあげるんです」
 このときのわたしが本心でこれを言ったのか、適当に選んだことがバレるのが気まずくて咄嗟に嘘をついたのかはもう覚えていない。でもおじさんはいたく感動して、その次にはわたしと兄にお菓子を買ってくれた。不思議な出会いだった。今ではもうおじさんの顔は思い出せない。その出来事だけが頭の中に残っている。
 話が脱線してしまったけれど、おばさんにクリーニングを頼む人が少なくなってしまうかもしれないと複雑だったのだ。わたしの両親もそっちに流れてしまうのだろうか。それは嫌だなと思った。わたしが決めることではないのだけれど。

 思い出のたくさんあるこの町から少しずつ人や場所が消えてしまうんだろう。
 わたしはいつか一人暮らしをするつもりだ。この町から出たいからではなく、一人で生きていけるよう自分を窮地に追い込むために。でもこの町に帰ってきたとき、その変化を感じ取ることもできないまま消えてしまった人や場所にわたしは寂しさを感じるのだろうと思った。無くならないと考えもしないくせに、人間って勝手だ。

 このサイトに書くような文章ではないような気もしたけれど、他にわたしの長々とした文章を載せる場所もないのでここに載せた。
 またつらつらと書くかもしれない。そのときは誰か、本当に暇でしょうがない人か、物好きな人が読んでくれたらいいなと思う。

 では、寒くなってきましたので、どうかご自愛ください。
 あと少しで一年が終わりますね。わたしはこの一年で何をできたかな。
 きっとまた、来年。



2017/11/09 09:20

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