みじかいゆめ | ナノ



夜会にて A





今日は、夜会の日。


私の役割は、団長に言われなくとも理解している。


・・貴族の機嫌を取り、出来るだけ資金を集める事。



団長に夜会に出るよう申し付けられた日、

私は傷ついたのかもしれない。

兵団の活動の為に私を差し出す、団長に。



でもそんな事は分かっていた事。
ずっと、分かっていた事。

訓練兵から調査兵団に入り、団長の補佐となって動く今日まで、最初からあった私の、兵士達の、役割。

初めて心臓を捧げたあの日から。
ずっと変わらない私の在り方なのだ。


兵団の、団長のお役に立てるのなら、ちっぽけなこの身を捧げるくらいなんてことない。



「ナマエ、どうした。珍しく考え事かい?」

「 ! すみません! 」

声に当てられ、慌てて書類を捲る。


ちらりと、兵士長のサインが目に入った。



( 夜会に出ても、嫌な思いをするだけだぞ )



諭すように言われた台詞が耳に思い浮び、思考を止める。


止めとけ、と私を止める鈍く鋭い視線がずっと、片隅に居座っていた。



「ナマエ。夜会に出たくないのなら構わないから言ってくれ。
代理を立てればいいのだから。」

再び動きを止めてしまった私を見かねてペンを置き、真っ直ぐな眼差しを向けて言った。


「とんでもないです!大丈夫です!」



・・・自分の代理を立てられる事だけは嫌だった。


私にしか出来ない。私だって何でも出来る。


団長のたった一人の唯一無二の補佐として、団長に存在を認めて貰いたかったのかもしれない。


とにかく私は夜会に出る決心を今、固めた。
私にやらせて欲しい。上手く立ち回ってみせる。


「団長。私、頑張ります。」

元気よく敬礼すれば、大好きな笑顔で団長が笑った。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜






「やっぱり来たのか。止めとけと言ったんだがな。」

馬車に乗り込めば、先に乗っていたらしい兵長にうんざりとした瞳を向けられた。


「団長のお申し付けですから。腹を括りました。今夜は私なりに頑張りたいです。」

「ほう。」興味なさ気にそれだけ言って、窓の外の暗闇に視線を移した。


私が夜会に参加する事が、よっぽど気にくわないらしい。

それでも兵長なりの心遣いなのだと分かっている。

不器用な男なんだと、執務中の団長が言っていたのを思い出した。


「済まない。待たせたね。」

「ちっ。お開きにしちまうつもりだったのに。」


それは困るな、と眉を下げて笑う団長を乗せて、馬車が走り出す。


団長。私、必ずお役に立ってみせます。

心の中で、目の前に座る凛々しい上司に気合いを送る。

「さすがナマエだね。」とか、「君に任せて良かった。」とか言われてしまったらどうしよう。


「ナマエ。何ニヤついてる。これから夜会だと言うのにめでてえ野郎だ。そうやって笑ってられるのも今のうちだぞ。」

「リヴァイ。女の子に野郎はどうかと思うが。」

「ちっ。大体お前は甘やかしすぎなんじゃねえか?」

「そんな事はないと思うが。なあ、ナマエ。」

「もちろんです!団長。ちょうどいい加減で育てて頂いております!」

「・・揃いも揃って馬鹿ばかりだ。」

にこにこする私と団長と、相変わらず不機嫌モードな兵長を乗せた馬車がお屋敷に到着した。




「エルヴィン団長、そちらの女性は?」

「私の補佐です。」

目配せされ、頷いて男にお辞儀をする。


「ナマエ・ミョウジと申します。どうぞお見知りおきを。」

いつも団長に微笑んでいる時と同じように微笑むと、貴族の男が頬を赤く染めた。


「やぁやぁやぁ。」そんな感嘆の声を上げながら腰に手を回しぺったりと触って、上機嫌に度数の高い果実酒を手渡してくる。


当然、飲むフリだけして口には含まず、「美味しいです。いくらでも飲めそうですね。」と言えば隠しきれない下世話な笑みを浮かべた。


上手くやれているね、そんな微笑みを団長の横顔から貰うと、団長は人混みの中へ紛れてしまった。


・・団長の目が届かなくても、上手くやらなければ。

その思いが不安に沈みそうな心を突き立て、貴族に向き直る。


「いつも援助、ありがとうございます。
正直税金だけでは活動費を賄えませんので助かっています。」

「おぉ!僅かで申し訳ないと思っていたんだ!君みたいな娘がいるなら、もう少し資金を弾もう。」

「ありがとうございます。私たちも、ご期待に応えられるよう、精進しますね。」

「いやいや、精進などしなくて良い。こうして宴に顔を出して、私の相手をしてくれればそれで良いのだ。」

肥えて湿った分厚い手が、すりすりと手の甲を撫でる。

背中に虫酸が走るとはこの事か。

必死に笑みを顔に貼り付け、男の愛撫に耐える。

何とか機嫌を取って、資金を毟りとらなければ・・・!

この状況を打破する、聞こえのいい言葉を探していると、視界の隅の部屋の角のグランドピアノの後ろ側。

そんな所、給仕でも立ってないんじゃないかという所でサボる兵長を見つけた。

三白眼でジトリとこちらを眺めている。

あぁ!兵長ったらあんな場所でサボってる・・!

男に手を愛でられながら、羨まし気な視線を送ると、兵長が口を動かした。


「ば・か・お・ん・な」


動かされる口の形を一つずつ追わされ、完成したのは悪口だった。

仕上げにフン、と鼻で笑われる。


自分はあんな所でおサボりしといて・・・。

喧騒から離れ、自分だけ優雅に酒を傾ける兵長をキッと睨む。



でも不思議と心細さが消え、酷く安心していた。


誰も私の事など気に留めていないし、見られていないとさっきからずっと不安だった。

団長も側にはいない。下世話な男の相手をしながら、このままどうなってしまうのか分からない恐怖と、役目を果たす事の狭間で必死に葛藤していた。


軽くなった心で、兵長から兵長曰く「豚野郎」に視線を移す。


「兵団には、君のような若い娘が沢山いるのかい?」

「はい。訓練兵を卒業して配属されますので、10代から20代前半が殆どです。」

「それは素晴らしい・・。ぜひ一度、本部へ伺って見てみたいものだ。」

うっとりと瞳をとろけさせ、私の手の甲にべったりと唇を押し付けた。

青褪める程に震撼し、今すぐ拭き取りたい衝動に駆られる。

嫌悪感から、男の手の中にある手の平がプルプルと震えだした。

きっ、汚い・・・!
我慢よ我慢・・・資金を集めなくちゃならないの・・!


「しかし・・」

男が言葉を続ける。


「そのほとんどが巨人共の胃の中へ消えるとは、勿体無い。
ただでさえ、壁の中の若い女性は貴重だというのに。

私も巨人になって、一度女性を食べたいものですな。食べ放題だもんね。」

アハハハと豪快に笑う男とは対照的に、頭が真っ白になって上手く笑えず、男に焦点を合わせる事も出来なくなった。


・・・この男は何を言ってるんだろうか。
これで上手い事を言ったつもりなんだろうか。
貴族の評判は地を這う程に酷い話ばかりだったけれど、まさかここまでとは。


共に調査兵団を志し、散っていった沢山の大切な仲間の死を、侮辱された気がした。

いや、間違いなく侮辱した。

壁の一番内側で、何の心配もせずに暮らしているこいつに、人類の為に死んで行くことを馬鹿にされたんだ。


悔しくて悔しくて。

それでも何も言い返せず、ドレスの裾を握りしめる。


何か言ってやりたい


でも貴族相手にそれは出来ない。資金が途絶えてしまったら、団長にも兵団にも迷惑をかけてしまう。


どうしようもなくやり場のない思いが溢れて、視界を滲ませていく。


「おや?ナマエさんどうかしましたかな?」

そう言って男が私の肩を抱こうとしたけれど、それは叶わなかった。


男の手より早く、別の誰かが私の手を引いて胸にぶつかった。


「おい。飲み過ぎだ。少し外に行くぞ。」


感情の読めない声でそう言うと、貴族に一礼し、そのまま手を引かれて流れるように外のテラスへ連れ出された。


隅の壁際に立たされ、私を連れて来た少し怒っているらしい兵長と見つめ合う。

もう少しで、貴族相手に何か文句を言ってしまったかもしれない。


「ちっ。だから来るなと言っただろうが。嫌な思いをするだけだと。
あの豚共は何をしでかしてくるか分からん。」

「すみませんでした・・・。」

兵長が助けてくれなかったら、私はどうしていただろうか。

一時の感情に任せて、団長を困らせるような結果になっていたかもしれないと思うとゾッとする。


「ふん。まぁいい。とりあえずその汚ねえ顔を拭け。」

差し出された兵長の、使うのを戸惑うくらい真っ白なハンカチを受け取り、濡れていた涙を遠慮がちに拭く。

それからさっきの事を思い出して手の甲も拭かせてもらった。
この綺麗な石鹸の香りのするハンカチで拭けば、汚れが浄化される気がした。

兵長は黙って私を見ている。


「これからどうするか。自分で選べ。

会場に戻るか、俺とこっそり帰っちまうかの二択だ。」

「え・・・あの、二択目の場合は団長は・・?」

私たちが馬車で帰ってしまったら、団長が帰る手段が無くなる。

いくら飄々と夜会をこなしていても、さすがに帰る足がないと団長も困るはずだと思った。


「・・・あいつは心配しなくていい・・・・! 静かに。」


急に口を塞がれ、もともとすぐ背中にあった壁にさらに押し付けられて驚いた。

一体どうしたというのだろうか。

べったりと壁に私を押し付ける兵長の体と間近な顔に、視線すら動かせずにただ目を見開いて言われた通り息を殺す。


団長と、甲高い女性の話し声が聞こえて来た。



「今日はありがとうございました。相変わらず美しく見惚れてしまいましたよ。」

「エルヴィン。貴方は相変わらず口が上手いのね。そんなんだから、多額のお金を払ってしまうのよ。」

「ええ。感謝しています。」

「もう止めようか、と思うんだけど、貴方に会うとやっぱり投資してしまうわ・・・。
どうせ使い道のないお金だし。

ねえ。いくら払えば貴方は私を抱いてくれるの?」

「はは。私には勿体無い。貴方を汚すだけですよ。」

「貴方が抱いてくれるのなら、今の倍の額を出してもいいわ。

私、本気よ。試してみる?」


それからは団長の声は聞こえず、女のくぐもった声とぴちゃぴちゃと何か水音のような音が聞こえて来た。


私だってそういう年齢だから、何の音なのかは話の流れから容易に想像がつく。

ただ受け入れ難い事態を、動かなくなってしまった頭でぼうっと整理していた。


「・・・団長は・・いつも、・・こんな事を・・?」

聞いてはいけないと、頭では分かっていたが、口が勝手に兵長に聞く。


「ああ。」

それだけ短く兵長が言った。


「そう・・・・ですか。」

だからさっき、帰る足がなくても大丈夫だと兵長は言ったんだ。

いつもこんな風に貴族の女性を抱いて、きっと用意された馬車で本部に戻って来ていたのだろう。

私、何も知らなかった



それ以上、何も考えられなくなった。

これ以上考えても良くない事ばかりに気づいてしまって、どうにかなってしまうのが分かったからだ。

せっかく拭いたのにさっきより酷い量の涙がボロボロと溢れ落ち、私を壁に押し付けている兵長の服を濡らす。

兵長は何も言わない。
怒られるかと思ったのに。


その内に、女の艶めかしい声が聞こえるようになってきて、ますます酷い状況になった。

兵長が舌打ちする。「最悪だ」と言う言葉に共感出来る。

本当に最悪だ。
今なら認めてしまえるが、私は団長に惚れていた。

今まで人類の為にと言いつつ団長の為に動いていたようなものだった。

そんな私に、団長と貴族の女の愛瀬の音を聞かせるなんて、何の拷問だろうかこれは。

女の喘ぐ声に耐えきれず、兵長の胸に顔を埋める。

「兵長すみません」と謝ると、「気にするな」と頭を抱えてくれて有難かった。

周りから少し遮断され、温もりに包まれて
「やっぱり来なければ良かった。」ぽつりとそう零す。


「馬鹿だなお前は。」

「もしかして、兵長は私が団長好きなの知ってたんですか?」

「まあな。」

「そうですか・・・それで止めてくれていたんですね・・。」

「・・・・・。」

「優しいですね。兵長は。」

「・・・優しい、か。」


女の喘ぎ声が大きくなり、「エルヴィン」と私の想い人の名前を呼んだ。


「ちっ。こっちを向け。」

「・・・・・嫌です。」

「・・向け。命令だ。」

「・・無理です。」

「・・・もう止めちまえよ、エルヴィンなんか。巨人の事しか頭にないクソ野郎だぞ。」

「・・・私だって・・っ、止めたい・・・!」


団長が、「ああ。綺麗だよ」と私も聞いたことがない声色を出した。


もう辛い。どうすればいいか分からない。

苦しさで胸が潰され、過呼吸気味の背中を兵長が「落ち着け」と叩く。


その間も音は止まずに、容赦なく耳に入ってくる。

ぷるぷると震えながら、ただ早く終わってくれと祈っていると、兵長に顔を持ち上げられた。

吐息のかかる距離に、思わず怖じ気ずく。


「お前が好きだ。」


と兵長が言った。

真剣な顔がそこにあった。

私はまだ、言葉の意味を理解出来ない。



「こんな事態になるかもしれないと、どこかで分かっていたが言わなかった。

お前は優しいと言ったが、それは間違いだ。

酷い言葉を並べ、ここに来ることを止めさせる事だって俺には出来た。」

兵長の手が頬を撫でる。

愛おしそうに触る兵長の手に驚き、戸惑った。


「それをしなかったのは・・・俺がずるいからだろう。

ナマエ。俺はお前を愛してやれるぞ。惜しげも無くな。
だから俺にしろ。後悔はさせん。」


兵長はこんなに鋭く熱い瞳をしていただろうか。

瞳が伏せられ、すぐそこにあった唇が薄く開き、近づく。



私・・・どうすれば


近づく唇を見ながら、団長の声を聞きながら、視線が忙しく彷徨う。



「目を閉じちまえ。ナマエ。
それでお前は俺のものだ。」


頬にあった両手が耳を塞ぎ、耳をつんざいていた声を隠す。


音が遮断され、ただドキドキと煩い自分の鼓動が響いて、もうすぐそこにある唇に抗えずにそのまま目を閉じて、唇がくすぐったく触れ合うのを感じた。



「・・いい子だ。
今日からお前は俺のものだ。ナマエ。お望み通り、嫌と言うほど愛してやる。」


兵長が意地悪そうな、嬉しそうな顔で笑って、もう一度唇が近づいた。


今度は言われなくても瞳を閉じて期待してしまっている私は、この人に愛されたいのかもしれない。


もう団長の声も聞こえなくなった。

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