物語よ始まるな



休みの日でも、毎朝きっちり同じ時間に目は醒める。アラームは必要ない。

といっても今朝は身動ぎした身体が少し気怠く、どういう理由かいつもより眠っていたらしい。
まだ布団から出たくないなんて子供みたいな朝を迎えたのは何十年前のことだと、微睡みつつ抱き締めた腕の中の温もりが心地よくて口元が緩む。

通した指の間からさらりと髪が流れ落ちて、鼻を寄せると嗅ぎ慣れない、自分の使ってるミント系の香りではなく、もっと甘く優雅な花のような香りのシャンプーの香りがする。この香りは嫌いじゃねえなと、手の平で自分の鎖骨へ頭を引き寄せて丸い頭に唇を寄せた。

そこでふと、我にかえる。

今抱きしめてるもんは一体なんだ、と。

「ーー!?!?」


ナマエだった。

最近担当した配達先の受取人でありながら、死ぬほどトロく、そして疎く、何故かついつい世話を焼いてしまう田舎から出てきた幼稚な女だった。

もう少しベッドに、なんて考えてる場合では全くなく、先程までまだ気怠そうに脈打っていた心臓がバクバクと騒ぎ立てる。
というか何故!?何故腕枕など!!いや、その前になんで添い寝した!?

血液と頭をフル回転させ、この体勢に至った経緯を思い出そうとヤケになった。
朝は淹れたての紅茶を飲み、朝刊に目を通し、そして仕事に出かける。配達し始めてしまえば夜まで時間に追われるので、せめて朝の一時間くらい余裕を持つよう心掛けているからだ。

目が覚めたら女とベッドに寝ていたなんて、よくある物語の始まりなんてのは全く望んでいない。何が物語の始まりだ、始まってたまるか!

「んん〜っ。」

「!!!!」

ナマエが身じろいだ。
起こすとマズイ、そう思った。誤解を与える状態が隅から隅まで整ってしまっている。幸いお互い服は着ているから行為に及んではいないらしいとナマエが俺の腕の中でもぞもぞやるのを気配を殺して待つ。
しかし行為に及んではいないってなんだよ・・!
どう考えてもありえねえ・・!

「にゃんた・・。」

待て、待てナマエ・・!正気か!?俺はペットじゃねえぞ!

寝ぼけて呼んでるのは間違い無くペットだ。ペットの猫、そしてオスだ!安直な名前付けやがって・・!

力ない腕がギュッと俺に巻き付いて、背中を撫でる。絶対、にゃんたを撫でてるつもりだこの馬鹿野郎。

「ふふふ。」

ひとしきり撫でて満たされたのか、”すぅ・・・”とまた静かに眠りへ戻って行った呼吸が鎖骨をくすぐって、チラリとナマエを見た。

先程よりもずっと近く、ぺったりとくっ付いて寝ている姿は恋人そのものだった。

こうして眺めてみると、眠っている時はいつもより大人らしく見える。
なぜだろう。喋ったり動いたりしてねえからか?

伏せられた睫毛は自分より長く繊細で、きっと涙も似合うだろう。
柔らかな朝の日差しの中で眺める寝顔は真っ白なシーツの上に溶けてしまいそうなくらい透明感に溢れている。

そっと手を近付け、指の腹でその頬に触れてみた。

女の肌は・・・・ここまで柔らかかったか・・・?

今まで触れたことのない柔らかさが指先を誘う。
少し肌の上を滑らせてみるとしっとりとしていて触った事はないがこれがマシュマロとかいう感触なんだろう。自分が知っている肌の感触では無かった。

もっと触れたい、と思った。
指先だけでは満足出来ない。

起こさないよう慎重に、ナマエの寝顔を両手で包みこんだ。自分の両手に収めたナマエの顔は小さく思える。

接触した肌の温度が馴染んでいて安心した時に、そういえば熱が出ていたことを思い出した。

心地よい体温が繋いだ手からこの所酷使していた身体を温め、眠りに落ち、安眠を求めてベッドへ潜り込んでしまったんだろう。

むに、と悪戯に頬を押してみても起きる気配はない。
ただ勝手の悪さからか、突き出た二枚の唇が動く姿はさながらヒヨコのようで笑いを押し殺すのに苦労した。


「ナマエ。」

「・・・・・・・。」

「ナマエ。」

「・・・・・・・。」

起きる気配がまるでない。

相変わらず唇は無防備な形のままだ。

「ミョウジ・ナマエ。」

・・・・・・・・まだ起きねえか。

ここまでされても起きないなんて、どんな神経してんだコイツは。

そんなんだから俺を怒らせるんだぞ、分かってんのかこら。

ベッドサイドの目覚まし時計に目を向けると、もう出発しないと遅れてしまう時刻。

「チッ、」

目元へ垂れた前髪を分け撫で、目前だった距離を無くそうとした。


ーーーパチリ


「「!?!?!?」」

お互い、しばし見つめ合った。
絶妙なタイミングだなナマエよ、おい。

ほぼほぼ触れ合っている鼻先。密着した身体。頭の下の腕枕。

「・・・おはようございます」と、ナマエが言った。随分と裏返って妙な声だった。
「おはよう」と答える俺の声も、同じように変だろう。

「・・・・えーー!!!!!!?」

「あー、るっせえ!!」

口を塞ぐと丸くなった瞳がぐるぐる回っていたが今は時間がねえ。

「また来る。その時に話す。分かったな?」

こくこくと頷いたので身体ごと解放し、ベッドから飛び起きて鞄を掴んだ。
駅まで走ればなんとか間に合いそうだ。
頭を抱えて放心しているナマエを見ると胸がチクリと痛んだが、きっちり看病したし、俺はやましい事は何も「ヤってねえ。」の言葉に少し救われたような顔をしたナマエ。なんだか少し苛つく反応ではあるが、今は本当に間に合わないので勢いよく無駄に重い玄関ドアをくぐると隣人と鉢合わせた。

今日は厄日に違いない。

「え・・?リヴァイ・・?隣に越してきたのリヴァイだったの・・?
そんなに私のことが好「リヴァイさん!これこれ!」

「・・ああ・・。」

フリーズ状態のまま点にした目を向けてくる隣人を紅茶缶を差し出し不思議そうに見つめるナマエ。
今度は俺が頭を抱える番だった。

「!?!?リヴァイ!!ふざけんなよ!!何隣人と寝てくれてんの!?」

「寝て・・!?」

「黙れハンジ、ナマエさっき断言しただろうが。寝てねえよ!」

ナマエの手から紅茶缶を受け取り、ハンジには一発食らわせて悶えている間にいよいよ本格的に走り出した。

階段を一気に駆け下り、歩道に降り立って駅へと急ぐ。あと五分。かなり微妙なところだ。

「リヴァイさーん!」

見上げるといつもの様に腕を振って見送るナマエと、納得いっていないハンジの顔。

やっぱり手は振り返してやらずに足を踏み出した俺に、5階から煩えブーイングが降ってきた。


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