失くし物と雨と配達人
「2018円になります。ありがとうございました。」
買った食材を袋に詰めながら溜息が漏れる。これで何日持つだろうか。出来れば一週間は乗り切りたいところ・・。
田舎から上京し、最初は色々と費用が重むのは分かってはいけれど、まさかここまでなんて・・・。
それもこれも高すぎる家賃のせいなのだ。エレベーターなし5階のくせにっ。
不満をバネに、千切れそうなスーパーのビニール袋を引き下げて階段を登る。
「早く仕事見つけなくちゃなぁ・・・。」
5階に辿り着くまでの長い階段の上を登りながら、今日と明日には完全に片付けまで終らせてそして求人情報誌を手に入れようという目標を立てた。
そうと決まれば、まずダンボールの処理から・・・・・ん?
「・・・・・?あれ・・・?」
ない。
ポケットに入れておいたはずの鍵がない・・・。
血の気が引いた。
「な、なんで・・?どうしよう・・・!」
慌て始めて足がウロつく。
落ち着いて・・!買い物に行ったからきっとその道にある!
買った荷物を家の中にしまう事も出来ないので、取り敢えず部屋の玄関扉に寄せて置いておく事にした。
チラリ、と私の部屋より奥のお隣さんの扉を見る。
ここを通らないと、部屋には入れないはずなのだ。
どんな人か会えず仕舞いだけど・・・まさか盗ったりしないよね・・そんな一番に疑われるようなこと・・・。
出来るだけ切り詰めてこんもりと買い込んだ食料品が、鍵を探しに行こうとする足枷になるなんて。
おおよそ1週間分の食料品と鍵を天秤にかけ散々迷った結果、これで食料品が失くなったら鍵を落とすなんて子供みたいな事をしでかした自分の責任なのだと登ったばかりの階段を駆け下りた。
歩道に出て、さっき通ったスーパーまでの道に目を凝らしながら歩く。
俯いて前なんか見ていられないから、たまに電柱にぶつかって痛い思いをすることもあった。
目を皿にしてひたすら地面を見つめウロウロ歩く私は予想以上に怪しい人物に見えているらしく、通り過ぎる自転車なんかも必要以上に避けて走り抜けて行く気がするのは考えすぎではないと思う。
結局、スーパーまでの道のりを半分来ても鍵は落ちていなかった。
「どうしよう・・・半分来ちゃった・・・・あと半分・・・。」
これで見つけられなかったら、もうどうしようもない。
誰か拾って交番に届けてくれた・・・?
なら明日からは仕事探しは一旦置いておいて交番巡りをしなくちゃいけない。
家に入れなかったら何処で寝ようか。やっぱり公園だろうか。あーあ、せっかく割引きのお肉買えたのに・・・。
視界を埋めるアスファルトにポツリポツリ黒い斑点が押され、見上げると雨だった。
今日はえらく気合いが入っているらしく、すごい追い上げで雨量を増す。夕立ちってやつなのかな。
勿論手に傘は持っていない。
結局スーパーの出入り口に到着しても見つからず、大振りの雨とびしょ濡れの私に買い物袋を下げた人々が怪訝な顔を向け、しばらく途方に暮れた。
最後の望みをかけ、消沈する心をなんとか奮い立たせ濡れた身体で店員さんに聞くと、案外簡単に鍵は戻ってきた。
「袋詰めのテーブルに置いてありましたよ。」
学生のアルバイトらしき人が面倒くさそうに鍵を手渡す。
「あ、ありがとうございます・・。」
探し物を受け取りながら、どこか気落ちする。
鍵は見つかった。店内を出ると雨も止んでいる。
それでも綺麗に晴れてくれない胸が、水を含んだ洋服と相余ってずっしりと重かった。
都会に揉まれるってこういう事だったのかもしれない。
「え・・・?う、うそ・・・・!」
重い気分のまま部屋に帰り着くと、玄関扉に寄せて置いておいたはずの食料品が・・・・ない。
ふにゃりと冷え切った体から力が抜け、地面に座り込む。
「ついてない・・・何で・・・?」
鍵は失くすわ、雨に降られるわ、気苦労して買った食料品は消えるわ。
何だって今日はこんなについてないんだろう。
私がいつまでたっても荷ほどきにモタついて職探ししないから、神様に呆れられたのかもしれない。
「うぅ・・・ごめんなさい・・・っくしゅん!」
寒い。雨に濡れた所為で体が冷えていた。
無事に戻ってきた鍵で部屋に入って、熱いシャワーでも浴びようと鍵穴に鍵を挿したタイミングで、お隣のドアが開く音にぎくりと動きを止める。
ここに来て始めて鉢会うお隣さん。
若いのか、男なのか女なのか、優しそうな人なのか、怖そうな人なのか・・・。
ここにあった食料品知りません・・?と、この第一容疑者に聞いてみてもいいだろうか。
横目でそっと確認してみると、同じくドアの向こう側から私を覗いているのは知った人物で目を見開いた。
「あ・・・・あれ?・・・・・リヴァイ、さん・・・?」
いつもの青と白のボーダーの制服ではない、シンプルなTシャツと短パン姿。
瞳の鋭さもいつもよりゆるまって、すっかりオフモードらしい。
「お前そりゃあ・・・・どんな状況だ・・。」
「・・・いろいろ・・・ありまして・・・。」
体に張り付くシャツを引っ張る。
なんだかリヴァイさんには情け無いところばかり見られている気がする。
それがいつも抜け目のなさそうなリヴァイさんだからこそ、余計に恥ずかしい。
一度顔を引っ込めたリヴァイさんが再び顔を出すと、手の中には買い物袋。
ネギが飛び出してるあの袋はもしかして・・・
「肉が見えたから預かって中に入れておいた。」
じわり、と冷え切ったはずの身体が温かくなって、嬉しくて泣きそうになった。
上京して1週間。
色々と溜まってきていたのかもしれない。
誰も他人と馴れ合うつもりはない。私なんか誰も見てくれていないと、急に深い井戸の中に入れられたような寂しい気持ちを抱えて眠る夜。
探し物をしてるのかと声をかけて来る人もいない。
びしょ濡れを心配してくれる人もいない。
顔見知りのご近所さんだっていない。
「ほら、早く拭け。グズグズするのはその後だ。」
投げられたタオルは実家のタオルみたいにフワフワしていて、顔を埋めると洗剤の香りがする。
「・・・・リヴァイさん。」
「なんだ。心配しなくても清潔なタオルだ。俺が洗濯した。」
「はい、いい香りします・・・あの、ありがとうございます。」
「別に構わん。」
そしてまた微かに笑う、リヴァイさんの少し意地悪な顔は私に居場所を作ってくれる。
ただこの地域を担当しているだけの配達人。
大勢の受取人の中の、ちっぽけな一人。
だと思っていたんだけど・・・・
「お隣さん、だったんですか・・?」
何故言ってくれなかったのだろう。人懐っこいというか、思ったことはズバズバ言ってくれるのに意外に水くさいところもあるのかもしれない。
「いや、俺の部屋じゃねえよ。ここに住んでる奴とは腐れ縁でな・・今は出ているが、じきに帰ってくるだろう。
会ったことないのか?近所付き合いは得意分野だろうと思ってたが。」
「ああ、それででしたか・・・確かにご近所さんとは仲良くしたい方ですが、挨拶に行ってもあまりお家にいらっしゃらないようで会えず仕舞いなのです。」
「あいつ、まだ仕事に没頭してやがったのか・・変態め。」
悪態を吐くリヴァイさんはやっぱりリヴァイさんなのだと、何処となく安心する。
受取人にだけ厳しく接している訳ではなく普段からこういう性格なんだと、この時気が付いた。
それじゃあ、別に荷物受け取る度にビクビクして身構える必要はないのかもしれないとも気付く。
・・そうと分かればまた近い内にお世話になります、SOGUWA急便様。
「何ニヤついてる?拭いたならさっさと家に入って風呂に入れ。
誰も頼れる人間のいない状況で風邪を引きたくなければな。」
「は、はい!ありがとうございました・・!」
訂正します、やっぱりリヴァイさんがリヴァイさんである限り安心なんか出来ないようです。
荷物を持ち、家に入って背中で閉めた扉にもたれながら、いつもお尻を叩かれたみたいに慌ててしまう自分が可笑しくて笑いが込み上げてくる。
鍵をかける音がガチャンと響いて、きっとまだ家の中に入らず施錠するか否か確認していたであろうリヴァイさんを想像してしまった。ちゃんと鍵しましたよ、リヴァイさん。
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