ケ・セラ・セラ



「よお、ハンジ。ナマエに随分とお喋りしてくれたようだな。」

まさか自分の部屋へ顔を出すとは思っていなかったらしい。
出迎え早々切れている俺に面食らい、ハンジは携えていた来客者向けの笑顔をひくつかせた。

「や、やあ!リヴァイじゃないかあ・・!まさかうちに寄るとは思わなかったなあ・・!」

俺だってお前の余りの口の軽さとナマエのバイトについて話す必要が出来なければ、真っ直ぐ帰路に着いていたんだがな。

部屋を見渡すと、壁際の床に不自然に置かれた一つの空のグラスが目に付いた。
ご丁寧にそのすぐ側にはワンカップまで置いてある。

「・・・聞き耳当ててたな。」

ギクリと肩を揺らし、冷や汗を滲ませる顔を見れば図星なのは一目瞭然だ。

研究者の気質なのか分からないが、ハンジは昔から探究心が強く、関心が向いた事柄への追求に手段を選ばない。

そのベクトルがどうやら俺とナマエの関係に向いてしまったらしく、コップを壁に当てるという古典的な作戦で、信じられない事に俺達の会話をツマミに晩酌していたらしい。
正直かなり迷惑な話である。

そんな言葉をありありと乗せた視線に突き刺されたハンジは誤魔化せないと、この際、変に開き直ったらしく「でもそんなに聞こえなかったから気にする事でもないよ!」とか言い出すもんだから、お決まりの拳骨を落としてやろうかと思ったが、いい加減にこちらも呆れかえってしまう。大人ならもっとマシな言葉の一つや二つ言えねえのかよ。

「そういう問題じゃねえだろ・・。
まあいい。入るぞ。」

案の定、この前納得いくまで片付けてやったはずなのに、既に何かの紙屑やペットボトルのキャップが転がっているのが見逃せず、舌を鳴らしながもゴミ箱へ投げ入れた。だから訪問するのも嫌だったんだがな・・。
ナマエの部屋が居心地の良い部屋の頂点とするならば、間違いなくハンジの部屋を最低ラインの基準に挙げる。しかも定期的に掃除に入ってやってこのレベルだからな。ハンジの汚部屋と俺の闘いは部屋の主が死ぬまで続くだろう。一層の事手っ取り早く原因を捨ててしまおうか。確か明日は粗大ゴミの日だっただろ。

「リ、リヴァイさぁん・・・心の声が漏れてるんだよねぇ・・・・あはは・・。」

ふと、机の上の茶色の縞の食べ跡を残した皿が目に入った。
何だかデジャブな皿・・・。さっき、ナマエと食った後の飯の皿とそっくりなのだ。

「・・おいこれ、ビーフシチューか?」

「うん。ナマエがくれたんだ!久しぶりに手料理食べたよ。」

途端に皿をむくれた顔で見つめる俺に目敏く気付いたハンジは数度目をぱちくりさせた後、グフフとへの字に曲げて、
「あ、今何でお前も貰ってんだよって思ってるでしょ!分かるよ。ナマエの手料理だもん。一人占めしたかったんだよねえ。いや〜リヴァイってやっぱり恋人に独占欲強い方だよね!」
などと何故か自慢気に言ってくれるもんだから今度こそ躊躇せずに頭を殴りつけた。
勝手に人の心を読みあげやがってこのクソ眼鏡・・!
あながち図星を突いてくるのが本当に腹が立つ。
大体ナマエは恋人じゃねえ。ただの”友人”だ。と、ついさっき宣告されたんだよクソが。

だから恋人呼ばわりな部分が、無性に癇に障ったのかもしれない。


正直俺の拳なんかしょっちゅうあの頭で受け止めているハンジはポッコリとたんこぶを作りながらも平気そうにむくりと起き上がり、不思議そうな瞳を向けた。

「リヴァイどうしたの?何か苛々してない?いつも私を殴ってスッキリした顔するのに。」

言っておくが俺だって決して好き好んでこいつを殴ったり蹴ったりしている訳じゃない。
ついつい楽に黙らせようと痛みを用いてしまうだけだ。

「そんな顔するかバカ。」と否定するが、ここがハンジの部屋だからにしても、ハンジにからかわれたからにしても、確かに胸の内がモヤモヤと渦巻いている。
そしてさっきからハンジが珍しく締まった表情で胸の内を読んできやがるから、もういっその事全て吐き出してスッキリして帰ろうかと、気持ちが傾き始めた。

さっきから床なんかに置いてるのが気に障って仕方ないワンカップを取り上げ、一気に煽る。
そうして好きでもない清酒をゴクリと一飲みする間留まっていた空気を腹から吐き出す為の呼吸に尾けて「ナマエのやつが。」と切り出した。

「うん。」

「バイト決まったらしい。ソニビンマーケットだとよ。」

口内に広がる清酒の不慣れな甘さに顰めっ面になる。

「ソニビンマーケット?
なんだ、リーブスの店じゃん。良かったね。リーブスに口添えしとくんだろう?」

「よろしく程度には言ってみるつもりだ。」

ナマエには言わなかったが、あの高級スーパーの権限を持つ男はそれなりに縁深い知り合いだった。

「よろしく程度?それじゃ足りないでしょ?色々と!
こう言えばいいよ。
ナマエは自分の特別な人だから客でも仕事仲間でも悪い虫が寄らないように見張っててって。コレで完璧!」

「・・お前それを俺が言えると思うか?」

「当たり前だろ。ナマエにベタベタされたら嫌なんでしょ?」

「・・心配なだけだ。鍵も掛けねえような女だぞ。」

「またまた。そんな風に言っちゃって。
素直になりなよ〜!
バイト先の優しい仕事仲間だか客だかにコロッとほだされても知らないよ?」

ひたすら不味そうな顔をして酒と言葉を噛み砕き続ける俺に痺れを切らしたハンジは少し前のめりになって説得を続ける。

「別にいいじゃん!遠慮なんかしなくたって、やりたいようにやれば。
何か起きてからじゃ遅いんだしさ。
私が進路に迷った時、悔いが残らない方を選べって言ったのリヴァイだろう?」

目前のハンジをじとりと眺める。

こうして此処で好きでも無い酒を煽り終わりのない心配をグダグダ並べてしまってる以上、例えリーブスに醜態を晒してもナマエの事を口添えしておくべきなのだ。
ハンジの言うようにストレートすぎる台詞は口が裂けても言えないが、”ナマエが心配だから見守ってやってて欲しい”という趣旨を何重ものオブラートに包み、リーブスが何となくでも真意を汲み取れる程度の台詞でいい。

しかし商いには長けていてもこのテに関しては全く疎そうなジジイである。結婚こそ済ませているが、あれは尻に敷かれてるに違いない。

諸事情を考慮すると、リーブスが殆ど暗号のような俺の言い分を察してくれるとは思えなかった。


「うーん・・・逆にさ、リヴァイがそこまで渋る理由って何なの?」

「・・・バイトぐらい誰だってやる。俺だって働いてる。
でもいざアイツが、となると不安だらけだ。平和ボケした頭に付け込まれて妙な客にいびられたりしないかとか、下衆な野郎に騙されてうっかり惚れたりしないかとか、とにかく色々浮かんでくる。

だが俺がリーブスに口添えしてその可能性を全て潰しておいても、それがナマエがして欲しい事とは限らないだろ。
実際、ナマエみたいな奴には悪い人間は近付けたくないっていうのは俺のエゴだからな。」

・・・・そうだ。

全部、全部。結局のところ本当は俺の気持ちの問題じゃねえか。
俺が先回りしてナマエを都合よく動かしてどうなる。そんな作り上げられた不気味に生温い世間にナマエを囲って俺もナマエも納得出来るはずがない。ナマエを俺がいないと駄目な人間にしたい訳じゃない。

誰でも無条件に愛し、愛される。

俺が好きになったのは、そんな人柄だったからのはずだ。


よし。もうゴタゴタ悩むのは止めだ。

一思いにゴクリゴクリと酒を流し込み、空になった瓶をハンジへ掲げる。

「・・・分かった。

ハンジ、お前偵察に行って来い。」

とりあえずバイト先へのナマエの順応度を計るまでは、下手にノコノコ様子を見に出向いてこれからナマエと働き始める野郎共を牽制したくない。
ナマエ自身に迷わせ、選ばせる。良人も悪人もごちゃ混ぜになっても、その中からきちんと良人と結ばれるナマエを見れば、例え俺は選ばれなくとも身を引いてやれそうな気がする。
ナマエが悪人を好くとは思えないが、万が一そんな事態に風向きが向いた場合はその野郎を選択肢から”消して”やるだけだ。

ハンジのやつには迷惑をかけるが「え?・・・・いいのかい?!
よっしゃあ!任せてリヴァイ!!」

「・・・・・。」

そういえばハンジはこういう人間だった。

それはそれは長期海外旅行にでも行くようにクローゼットの服を床に敷きつめまくり、何処に隠してやがったのか付け髭や無駄に数の多い謎のネクタイ。更には奥の奥の段ボールの中身も広げようと伸びる大張り切りの腕を掴んで流石に止めた。

せっかく片付けてやったのに。まだこんなにゴミを隠してやがったか。

「普通でいい。そしてそのタンスの肥やしは全部処分するか研究室にでも移しとけ。」

「は、はひ。」

「それじゃ頼んだぞ。明日から入るらしいから一週間後くらいに行けばいいだろう。」

「了解です!!」

「余計な事は言うなよ。俺に頼まれたとか。」

「尽力します!!」

尽力・・?

「・・お前の研究室宛の荷物を滞らせてやるくらい簡単に出来るが?」

「!!!言いません言いません!!誓います!!」

単なる脅しで実行する気などないが、これでペラッペラのハンジの口も塞がっただろう。

こいつには今度珍しい書籍でも持って来てやるかと、ようやく自宅への帰り道を目指した。

短いようで長い、一週間が始まる。


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